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挿話(二)

岡田以蔵さん視点です。

 夕餉の後、風呂で身を清めて身支度をする。

 部屋の中が片付いていることを確認してから、部屋を出た。

 先生の部屋の襖の前に座り、深呼吸してから声をかける。

「以蔵です、よろしいでしょうか」

「入れ」

「失礼します」

 襖を開けると、先生は手にしていた書状を置いて俺を見た。

「長旅でお疲れのところ、申し訳ありません」

「かまわない、どうした」

「……………………」

 黙って歩いて先生の前に座り、姿勢を正して畳に手をつき、深々と頭を下げた。

「俺がおかした罪のご報告と、罰をいただきに、まいりました」

「……平井達のことか」

 やはり、ご存知だったのか。

「それもですが、他にもあります」

 頭を下げたまま言うと、しばらく沈黙が続いた。 

「……わかった、順に聞こう。

 頭を上げろ」

「……はい」

 ゆっくりと頭を上げる。

 先生は静かな表情で俺を見ていた。

「平井達については、大久保様からの書状でだいたいのことは知っている。

 平井からも書状が来て、令旨をもらうことへの賛同を求めてきたが、勝手なことをするなと諌めておいた。

 大久保様の書状を受け取ってから平井に書状を送っていたのでは時間がかかりすぎたから、おまえがすぐに動いて平井を止めたことは、罰を与えるようなことではない。

 むしろ、よくやった」

「……ありがとうございます」

 胸の奥に痛みを感じながらも、軽く頭を下げる。

 先生に褒められて苦しいと思ったのは初めてだ。


「それとは別に、何があったんだ」

「……先生が江戸に行かれた後、連れて行ってもらえなかったことを不満に思い、稽古もせずに酒に溺れて、他藩の連中に誘われて天誅に参加しました」

 稽古は先生に命令されたことではないが、暗殺をひかえるようにとは言われていたのに、それに背いた。

「……………………」

 長い沈黙の後、先生は小さく息をつく。

「おまえを残していったのは、この屋敷とお雪を守るためだが、平井達のことのように、留守の私が対応できないことをおまえに頼むためでもあった。

 そう説明をしなかったのは、おまえに自分で気づかせたかったからだ」

 意外な言葉に視線を上げると、先生はまっすぐに俺を見ていた。

「おまえの忠誠心は嬉しく思うが、依存では意味がない。 

 私が命じたから何も考えず従うのではなく、自分で考えたうえで私の命に従うようになってほしかった」

「……申し訳ありません」

 確かに以前の俺は、先生の命令をそのまま実行するだけで、その意味を考えたことがなかった。

 『屋敷を頼む』という言葉に、お雪を守ることも含まれているのだと、気づけなかった。

 自分の愚かさが、さらなる罪を招くことになったのだ。


「だが、今のおまえは、わかっているのだろう。

 それに、私が江戸に行く前に比べて、身体つきが一回り大きくなったようだ。

 一時的に道を踏みはずしたのだとしても、改心した後はさらなる稽古に励んでいたのだろう。

 反省できているなら、罰を与えるほどではない」

 優しい言葉が、心に刺さる。

「……もうひとつ、罪をおかしました」

「……なんだ」

 深呼吸して覚悟を決めると、畳に手をつき、深く頭を下げた。

「……酒に溺れた俺を心配したお雪が、諌めようとするのに腹をたてて、めちゃくちゃにしたくなって、…………押し倒しました」


 その瞬間、先生から発せられたはげしい気配に、息が止まった。

 肌が粟立ち、身動きすらできないような重圧が全身にかかる。

 怒気を通り越して殺気に近いその鋭い気配を、甘んじて受けとめる。

 先生は、お雪を守ると約束したと、昼間おっしゃっていた。

 そのために残していった俺が、お雪を傷つけたのだから、先生が怒るのは当然のことだ。

 この場で斬り捨てられることさえ、覚悟のうえだ。 


 じっと動かずにいると、長いような短いような時間のはてに、ふっと先生の気配がゆるんだ。

 先ほどまでの険しさが嘘のように、静かになる。

「頭を上げろ」

 静かな命令に、こわばった身体をなんとか動かす。

 それでも先生を見れずにいると、大きなため息が聞こえた。

「続きを話せ」

「……え……?」

 とまどいながら視線を上げると、先生は、険しい表情ではあったが、怒ってはいないようだった。

「おまえが本当にお雪に狼藉を働いたのなら、おまえの師としてもお雪の後見人としても、この場で斬り捨てただろう。

 だが、昼間のお雪の態度から考えれば、そうでないことはすぐわかる。

 だから、続きを話せ」

「……………………」

 先生の洞察力の深さに、新たな尊敬の念と、わずかな痛みが心をよぎる。

 いっそ問答無用で斬り捨てられたほうがよかった。


「……お雪は、ふるえながらも、のしかかる俺をまっすぐに見つめて、『この状況は恐いが岡田様は恐くない』と、言いました。

 『自分と同じように先生を尊敬する岡田様のことを、兄弟子のように思っているから、心配なのだ』と。

 もう先生には弟子とは思われてないのだと、だから連れて行ってもらえなかったのだと愚痴る俺に、『先生は岡田様をまだ弟子だと思っている。だからこの屋敷を頼むとおっしゃられたのだ』と、言いました。

 ……それで、目が覚めて、酒をやめることができました」

 酔っぱらいに押し倒されたことがあるから、男が恐いのだと、以前言っていた。

 それを知っていながら、同じことをした。

 俺を心配して、恐怖心を抑えて諌めにきてくれたのに、その気遣いを踏みにじったうえに、古傷を抉るようなことをした。

 あの時の自分の愚かさと不甲斐なさは、いくら稽古を重ねても消せない。

 だから、先生に罰を与えてもらいたかった。


「……それは、大久保様の茶の誘いより、前のことだな?」

 問いかけというよりは確かめる響きに、小さくうなずく。

「……はい。数日前でした」

「だろうな」

 もし時期が逆だったら、俺は屋敷にいなかっただろうし、いたとしてもお雪を助けようとは思わなかっただろう。

 大久保様の使いだったから、命の危険はなかっただろうが、女を連れてこいと言われて名乗らずに攫おうとするようなろくでなしな奴らでは、大久保様のところに着くまでにお雪の心の傷はさらに深くなっただろう。

 あの時助けだしたお雪は、よほど恐かったのか、俺にすがってふるえていた。

 お雪がこの屋敷に来てすぐの頃、支えようとした俺から逃げて先生にすがった時のように。

 その違いが不思議で、ずっと気になって考えていて、気づいた瞬間、自分を殴りたくなった。

 お雪の『この状況は恐いが岡田様は恐くない』という言葉は、言い訳ではなく本心からだったのだ。

 その信頼の根本にあるのは、兄弟子という認識だろう。

 先生を信じているから、弟子の俺もそんなことをするはずがないと信じた。

 おそらくあの時も、先生が来るのがもう少し遅くて、『男』ではなく『俺』だと思い出せる時間があったなら、正気に戻っていたのだろう。

 俺は見た目や身元の怪しさからお雪を疑っていたのに、お雪は最初から俺を信じていた。

 なのに、自らその信頼を裏切るところだった。

 昼間の先生やお雪の言葉に、さらにうちのめされた。

 先生の信頼も、お雪の信頼も、俺にはふさわしくない。

「……お雪は、何も言いませんし、態度も変わりませんが、心の傷は、さらに深くなったでしょう。

 俺は、お雪を守れませんでした。

 いえ、俺が、お雪を傷つけました。

 ですから、どうか、罰をお与えください」

 改めて深く頭を下げる。

 そのまま待っていると、先生はまたため息をついた。


「甘えるな」


「っ!」

 言葉とともに脳天にふってきた拳が、がつんと意識を揺らす。

 くらりと視界が回って、畳に倒れ伏した。

「私に罰を与えてほしいというのは、結局は自分で考えていないということだ。

 それでは、以前のおまえと何も変わっていない」

 続く言葉が、拳よりも強く心を叩きのめす。

「……っ、申し訳、ありません……」

 俺は、また、いや、まだ、先生に依存していたのか。

 変わったつもりで、変わっていなかったのか。

 情けなさすぎて、ぐっと拳を握りしめる。

「だからといって、『自分で始末をつける』などと言うことは、許さんぞ」

 言い当てられて、びくりと身体がすくむ。

「……です、が……」

「それは、逃げだ。

 武士にとって、命で責任を取るのは称えられることだが、おまえのそれは違う。

 できるはずのことを放棄して、逃げようとしているだけだ」

「……………………」

「もしおまえがそうしたら、お雪はさらに傷つくだろう。

 自分のせいだと、己を責め続けるだろう。

 おまえは、お雪に一生消えない心の傷をつけたいのか?」

「いえっ、違います、ですが」

「ならば、考えろ」

 畳に手をついてようやく身体を起こすと、先生は厳しいが静かなまなざしで俺を見ていた。

「おまえがお雪を傷つけたことを償いたいと思うなら、お雪のために何ができるか、どうすればお雪を癒せるかを考え、実践しろ。

 それを、罰とする」

「……………………はい」





 先生の部屋を出て、大きく息をつく。

 緊張しっぱなしで、喉が渇いた。

 台所で水を飲もうと廊下を進み、角を曲がったとたん、お雪が襖を細く開けて顔を出しているのが、廊下の隅の灯りにぼんやりと見えた。

 反対側を見ていたお雪は、ふりむいて俺に気づくと、部屋を出て近寄ってくる。

「以蔵様……っ」

 泣きそうな表情と声に驚きながらも、大股に歩いて近づく。

「どうした」 

「さっき、恐いのが、いて……っ」

「何っ!?」

 脇差に手をかけながら、もう一方の手でお雪の腰を抱きよせる。

 小さすぎる身体は、攫われやすいが、抱えて逃げやすいという意味では便利だ。

 いつでも抱えあげられるようにしながら周囲の気配を探ったが、俺とお雪と先生以外の気配は、感じられなかった。

 念の為に範囲を広げて探ってみたが、屋敷にも庭にも、人の気配はない。

 遠くに感じるのは、方角からして、竹三とお梅だ。

 どこかの藩の刺客が来たわけでは、ないようだ。

 緊張を緩めて、俺の着物をすがるようにつかんで身体を寄せているお雪を見下ろす。

「今屋敷にいるのは、俺とおまえと先生だけだ。

 他には誰もいない」

「……ほんとう、ですか……?」

 たどたどしい口調で言いながら、お雪が涙をためた目で見上げてくる。

 あの時のことを思い出して、よみがえる罪悪感をこらえながら、軽くその背をたたいた。

「本当だ。何も危険はない。だからおちつけ」

 幼い頃に弟にしてやったように、とん、とんと背をたたくと、お雪はほっとしたように息をついて、少しだけ身体を離したが、俺の着物をつかんだ手はそのままだった。

「すみません……おさわがせしました……」

「いや……だが、何があったんだ?

 何か物音がしたのか?」

「……それが……よくわからなくて……。

 わたし、半分寝てたんですけど、突然、何か、すごく恐くなって、飛び起きて、逃げたくなって、でも、すぐにおさまって、でも、恐くて……」

 ぽつりぽつりと語っているうちに思い出したのか、お雪は身体をふるわせる。

 お雪は俺の肩ぐらいまでしかないから、うつむくと顔が見えなくなる。

 だが、背にふれたままの手から、ふるえと怯えが伝わってきた。

「……おちつけ。

 俺も、先生もいる。

 おまえが傷つくことは、絶対にない」

 再びとん、とんと背中をたたいてやりながら、考えこむ。

 お雪が気づくような強い気配に、俺はともかく先生が気づかないはずはない。

 だが、お雪から聞くまで、俺は何も感じなかったし、先生も何もおっしゃらなかった。

 俺達に気づかせないほどの手練てだれなら、お雪が気づくはずがない。

 わざとお雪にだけ気づかせる意味などない。

 鼠が音でも立てたのか。

 いや、その程度でこれほど怯えはしないだろう。

 だとしたら、いったい何が。


 突然の、恐い気配、すぐに消えた…………。


「あ」

「ぇっ」

 思い当たったことに、苦笑がもれる。

 びくりとふるえたお雪が、不安そうな表情で見上げてきた。

「以蔵様……?」

 再びの泣きそうな声に焦って、軽く背中を撫でた。

「わかった、もう大丈夫だ」

 撫でた背中が冷えていることに気づいて、改めて見ると、お雪は寝巻しか着ておらず、素足だった。

 土佐と違って、京の冬はやけに冷えるうえに、板張りの廊下は容赦なく冷気を伝えてくる。

「身体を冷やすな。風邪を引くぞ」

「ぁっ」

 膝をかがめて、お雪を腕に乗せるように抱きあげる。

 揺れたせいか、それともさっきからの恐怖のせいか、お雪は俺の首に腕をからめるようにして抱きついてきた。

 抱えあげた身体は小さく細く、ほんの少し力加減を間違えただけで、壊してしまいそうだ。

 ゆっくりと歩いてお雪の部屋に入り、布団に近づく。

 膝をついてお雪をおろそうとしたが、首に巻きついた細い腕はゆるまなかった。

「……………………」 

 しばらく迷ってから、布団の横に胡坐をかいて座り、お雪を横抱きにする。

 嫁入り前の娘にしていいことではないとわかってはいたが、幼子のようにふるえてすがりつく身体をひきはがすことはできなかった。

 『どうすればお雪を癒せるかを考え、実践しろ』という、先生の言葉を思い出す。

 この程度で癒せるとは思えないが、せめて安心してふるえがおさまるまでは、こうしていてやりたかった。


 そっと背中や肩を撫でていると、こわばっていた身体から少しずつ力が抜けていく。

 しばらくして小さく息をついたお雪は、力を抜いてよりかかってきた。

「……すみません……」

「……いや。おちついたか?」

「……はい……」

「なら、布団に入って身体を暖めろ」

「……はい……」 

 布団をめくって、抱えたお雪を横にならせ、布団をかけてやる。

 されるがままだったお雪は、立ち上がろうとした俺を見上げてくる。

「あの……以蔵様……」

「なんだ」

「……さっきの、恐かったの、なんだったか、わかったんですか……?」

「……ああ」

「なん、ですか……?」

 緊張が解けて眠くなったのか、口調はたどたどしいが、声には不安がにじんでいた。

「…………」

 できれば言いたくなかったが、言わないままでは不安は消えないだろう。

 覚悟を決めて、再び胡坐をかいて座る。   

「……おまえが感じたのは、先生だ」

「……先生……?」

「そうだ。

 さっき、俺と話をしていて、お怒りになられた。

 その気配を感じとって、おまえは恐くなったんだ」

 先生と出会ってだいぶ経つが、あれほどの怒気を放つ先生は、初めてだった。

 重圧を感じるほど強く烈しい気配だったから、離れた部屋にいたお雪も感じとってしまったのだろう。

「先生……が……」

 つぶやくように言ったお雪は、軽く首をかしげた。

「……どうして、先生は、そんなにお怒りになられたんですか……?

 わたし、先生が怒ったところ、見たことないです……」

「それは……」

 この期に及んで言いよどむ自分を内心で叱咤して、言葉にする。

「……先生の江戸行きに連れていってもらえなかったことを恨んで、稽古もせず出歩いて酒に溺れていたことを、お詫びしたんだ。

 それで……怒られた」

 殴られた脳天は、まだずきずきと痛む。

 おそらく瘤ができているだろう。

 だが、それほどの勢いで殴った先生の手も、痛かったはずだ。


「……でも、許してくださったんでしょう……?」

 間延びした、だが信じきったような声で、お雪が言う。

「……ああ。

 …………なぜ、そう思う?」

 問いかけると、お雪はふわりと笑う。

「だって、先生が、たった一度の失敗を許さずに見捨てるなんてこと、なさるはずがありませんから」

 寝ぼけていながらも、先生への信頼を感じる言葉だった。

 先生と出会ってからの時間は、俺よりはるかに短いのに、俺よりはるかに深く先生を理解しているように思えた。

 つくづく自分が情けなくなる。

 刀をふるうことしかできないと思いこんで、頭を使わずにいたから、その程度のことすらわからなかったのだ。

「……そうだな。先生だからな」

「はい……先生ですから……」

 お雪は嬉しそうにうなずく。

「先生はもう怒ってらっしゃらないから、もう何も恐いことはない。

 安心して、寝ろ」

「……はい……おやすみなさい……」

「……おやすみ」

 目を閉じたお雪は、すぐに寝息をたて始める。

 音を立てないようにそっと立ち上がり、部屋を出て襖を閉めた。

 台所で水瓶から水を飲み、ため息をつく。

 お雪の言葉の真意に気づいた日に、自分の情けなさを思い知ったつもりだったが、今夜のほうがもっと情けなかった。

 だが、気づけただけよかったのだ。

 気づいたからこそ、なんとかしようと思える。

 もう二度と、先生の信頼も、お雪の信頼も、裏切りたくない。

 そのために最善を尽くそうと、改めて誓った。

 

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