Prologue
昨日は夜更かしして、詰まるところ、ほとんど寝ていない。
半端に寝てしまった所為か「徹夜明けの妙なテンション」にもなれず、無駄に費やされた時間に対する喪失感を否定するために、何もせず、ただぼうっとしている。
10分はぼんやりしていただろうか、時計を見てまだ余裕があることを確認し、おもむろに身を起こす。相変わらず天井の低い部屋だ。一週間前まで居た部屋と比べると、図面の上では「微妙に低い」だけである。しかし、住み慣れた部屋の印象が頭の中に未だ強く残っているからか、「微妙に低い天井」と言う小さな差異を無視できない。こうなると、とことんまで気になってしまう。
まあ、そんなことは置いておいて着替えを始める。
途中、部屋が暗いことに気付きカーテンを開けるために窓まで動く。カーテンの端を手で掴み、一気に開け放つ。
薄曇りで小暗い空だ。脳の覚醒を促すには太陽光が一番だとよく言われるが、この天気では逆に布団に潜り込みたくなる。ここ数日はこんな天気ばかり続いて、そろそろ冬が来るのだということを実感する。
このあたりに少し長く住んでいると大抵は、「冬」は堪える季節であり、忌避されるものだと考えるようになる。子供の頃は半裸で雪合戦しても平気だったが、今は雪を見ることすら嫌になってしまった。
まあ、そんなよくある話も置いておいて、冷蔵庫に手を伸ばす。
余談だが、僕は物心ついたときからほとんど朝食を抜いたことがないし、これから抜く予定もない。そうは言っても、とりたてて言うほど健康に気を遣っているわけではなく、なんとなく続けて来られただけだ。もちろん、これから朝食を抜く日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
冷蔵庫からは、とりあえずバナナを取り出した。あと緑茶も。
そうだ、コンビニのおにぎりを冷凍しておいたのを忘れるところだった。慌てて電子レンジに投げ入れる。
ちょうどバナナを食べ終えたところで、おにぎりの解凍が終わったようだ。
早速食べようと思ったが、およそ人間の皮膚の限界を超えた温度になったおにぎりが、熱くてまともに掴めない。とりあえず、先っぽをつまんで冷蔵庫に投げ入れ、きっかり15秒待ってから取り出した。
今度はちょうど良い温度になっている。これでようやく主食を摂取できる。しかし、時計を見るといつの間にか時間が押していた。そろそろ家を出ないとまずい。
口におにぎりを詰め込み、玄関へと急ぐ。
靴を履いて外へ出ると、扉に鍵をかけ、鈍色の空の下を駆け出す。
外は思いのほか寒くなかったが、コートを脱ぎたくなる気温にはほど遠い。午後には雪が降り出す予報で、明日には結構な量が積もるだろう。家の近くに小川があるから雪捨て場に困る事は無いだろうが、そもそも雪かきをする気が起きない。
今の僕の職場は家から川に沿って徒歩15分ほどの場所にある、プラスチックの容器等を製造している工場で、経営状況は可もなく不可もなしといったところだ。
それはそうと、工場の経営状況について考えてる暇があるなら走った方が良いかもしれない。時間が無いことを完全に忘れていた。寝不足でふらつく足を気魄で動かす。眠り目のまま走るのは大変危険だから気が進まないが、遅刻しそうなこの状況では仕方が無い。
道中の面白みの無い風物は、遣り手の作家でも風景描写に困るほどだろう。いやしかし、「何も無い」の一言で済ませられるから、案外素人向けの風景かもしれない。「素人向けの風景って何だよ」と、心の中で突っ込んだが、やはり今は走ることに集中しよう。
程なく工場が見えてきた。全力疾走したおかげで時間には間に合いそうだ。
今、僕は息を切らしながら工場の従業員用の玄関に滑り込んだ。なぜ滑り込んだのかと問われると「そういう気分だったから」と答えるほか無い。
それはともかく、急いで通路を歩く。工場と言ってもそれほど大きい訳でもなく、第一印象としては小さいと感じる人が多数を占めるだろう。
それにしても眠い。さっきは危うく転びそうになった。睡魔に襲われながらも何とか自分の椅子に腰を下ろす。
「あ、社員証」と、思わず口に出してしまう。危うく記録の上で欠勤するところだった。
立ち上がったところで違和感を覚える。
「あれ……」冷や汗が背中を濡らし始める。脱いで乾かしたい衝動を抑えつつも、冷静になるため目をつむる。
「何の問題ですか?」と自分に言い聞かせる。明らかに誤用だが今はそんなことどうでも良い。
時計によれば、普段はとっくに朝礼が始まっている時間だ。けれども今日は始まらない。とりあえず隣の同僚に聞いてみよう。
「あの、同僚さん。今日は朝礼やらないんですか?」
「ん、朝礼? もう終わったよ。お前が来る少し前に。」
「え?」
「嘘だよ。」
「嘘かよ。」
一つ目の問題は解決された。
「それなら今日は朝礼無しですか。」
「そうだよ。」
朝礼が無くなった理由が気になるが、同僚はそれ以上は何も言わないつもりらしい。仕方ないのでそんな日もあるかもしれないと自分を納得させた。
そして何事も無く昼休みを迎え、僕は何時も通り食事のため工場を出て少し歩いた先の食堂に向かう予定だった。
救急車のサイレンがけたたましく響いていた。いや、響いているように感じた。
幻覚か、現実にそうなのか自分でもよく分からない。
夢を見ているのかもしれない。自分の体と、その周囲との間にある違和が気になった。何物とも噛み合わず、ちぐはぐというか何というか。
それ以前に、ここがいったい何処なのかすら理解できなくなっている自分の頭に不安を覚えずにはいられない。体を動かそうにも、感覚が無い。
夢ならこの辺で醒めても良いはずだ。しかし、そんな気配も一切ない。手がかりを求めて朝から順に自分の行動を思い返そうとしてみたが、なぜか昼休みからの記憶が無い。
そもそも今は何時なんだ。昼休み以降の記憶が無いということは、今現在が昼休みだと言うことだろうか。なにも分からない。
視界が端の方から黒くフェードアウトしていくことに気がついた。
抗おうにも手段が無い。
どうしようもないから、意識が消えていく感覚に身を任せる。
不思議と眠くは無かった。
推敲はしません。