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漆黒の花  作者: 保野透香
◇雨降り前の雷鳴
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第一章 盗まれた日常(2)

 ああ疲れたと思いながら、大広間の中央で軽やかに踊る人々を見つめる。この日のために集めた新進気鋭の若き演奏家たちが奏でる音楽に乗って、彼らは表面上とても楽しそうにしていた。


 姉や母の招待者は基本的に容姿と家柄、財力のいずれかかまたはどちらも共に優れた男ばかりなので、私が家同士の付き合いを加味して招待した方々の連れてきた娘以外は、若い娘はいない。しかし、その数少ない年頃の娘たちにとっても好条件の男が山のようにいるので、少しでも親しくなろうと熱心なようだ。男だって、ここにいる男性全員が姉や母のとりこと言う訳ではないし、仮にそうだとしても予備を確保しようと言うよからぬ男はそれなりに存在する。

 元から夫婦の人々は別としても、そんな若い男女たちはそれぞれの思惑を抱えて踊っているのだろう。難儀なことだ。見ているだけでげんなりする。


「お疲れのようだね、エレン嬢」


 クスリという笑みとともに突然声をかけられる。一体誰だと思って視線を向けると、そこにいたのは何と――エルバート・クレイヴン、その人だった。例の、母と姉のお気に入りだ。

 ついさっきまで母の近くでいつものように甘い台詞をふりまいていたくせに、いつの間にこれほど接近を許したのかと自分の迂闊を呪う。


「ええ、ちょっと。でも、お気になさらず。どうぞ今宵の宴を楽しんでいらして下さい」

「いやいやそういう訳にはいかないよ。可憐なお嬢さんが辛そうにしているのに、自分だけ宴を楽しむなんて、そんなことできやしないさ」


 甘い声、甘い笑顔で目の前のまるでお伽話の王子様のような男は告げる。金の髪に夏空のように晴れやかで明るい青の瞳を持つ彼の笑顔は、とても魅力的だ。こうして見ると、貴族令嬢、果ては既婚の貴婦人たちから山ほど秋波を送られているのも納得できる。

 騎士団長という役職に見合うよく鍛えられたしなやかな体躯に、やさしく甘い、けれど女っぽいという訳ではない綺麗な顔立ち。しかも臣に下った王弟閣下のご長男とくれば、女にもてない方がどうかしている。現に、数々の女性と浮名を流しているにもかかわらず彼の人気はいや増すばかりだ。

 年頃の、普通の女の子ならばこの機を逃さずお近付きになろうとするだろう。


「そんな。母も姉もクレイヴン様とお話するのを楽しみにしていましたのよ。私よりも二人のことを気に掛けてあげて下さいませ」


 けれど、私は普通の女の子とあまり趣味が合わなくて。つまりこんな男、嫌いなのだ。にこにこ笑いながら、腹の中では女など一まとめに見下している気がする。それに、どこか底が知れなくて胡散臭さが拭えない。

 寄るな。あっち行け。私にかかわろうとするな。


「君は控えめで、とても気を遣う女性なんだね。でも、今ぐらいはオリアーナやルシールも許してくれるよ」

「いいえ、今日の主役は姉ですもの。姉を差し置いて私ばかりがクレイヴン様とお話なんて、できませんわ」


 本当はとっと消えろと言いたいところを耐えに耐え、令嬢ぶりっ子を継続する。

 何でも母が父さまを好きになった理由は、どんな男でも自分に言い寄ってきたのに、唯一父さまだけが靡かなかったからなのだそうだ。この男もそういう点に関しては母と同じ臭いがするので、適当に媚を売っておくのが吉だ。ないとは思うが万が一目をつけられたら困る。

 こんな男のせいで今まで必死に保ってきた外面が崩壊するというのは、あまりにも惜しいということもあるけれど。


 そのときだった。

 ――ええっ! まさか、あれ!

 唐突に上がった大声に驚き、その発生源を反射的に見る。そこにあったものに、私は更に仰天した。


「もしかして、蒼海の淑女……?」

「多分そうだろうね。それにしても、ここで見るとは思わなかったな」


 騒ぎの中心にいるのは姉だった。露台を背にして立つ彼女の胸元には、輝く首飾り。中心には大振りのサファイアがあしらわれ、それを大小のダイヤが華麗に飾っている。亡国、バイル公国の大公家に伝わっていた由緒正しい首飾りで、それ故に蒼海の淑女と呼ばれ近隣諸国にまで存在が知れ渡っていた逸品だ。


「あれは確か、この前の競売で三百万ネラスという法外な値段で落札されていたような」

「十七年の沈黙を破って王家が出品するとかで、かなり話題になっていたね。落としたのはエインズワース商会だったはずだ。あそこの跡取り息子を見かけたから、彼からの贈り物かな」


 エインズワース商会。うちとも取引のある、かなり大規模な商家だ。宝石をはじめとする装飾品やドレス、化粧品などを取り扱っており、高価なものから比較的安価で普通の平民も手に入れ易いものまで幅広く商いをやっている。母と姉はここでかなりの買い物をしており、我が家の財政を絶賛圧迫中だ。

 それ以外にも個人的に付き合いがあるのだが、今は割愛。


「え、ルパート・エインズワースが?」


 ルパート・エインズワースはエインズワース商会の跡取り息子だ。茶髪に知的な銀の瞳を持つ彼は、目の前の男には劣るがかなり整った造作をしている。私からも招待状を送っておいたが、姉の取り巻きの一人でもあるので、姉からも誘われているだろう。


 しかし彼は、姉のような派手好みの女性は苦手なんです、という空気を常に纏っていたはずだ。姉は少しも気付いていなかったが。

 姉はお得意様なのでそれなりにちやほやしていたが、本人は爽やかな好青年で他の取り巻きたちとは一線を画していた。姉の取り巻きは、やっぱり馬鹿な坊ちゃん連中が多かったのだ。父親を手伝ってエインズワース商会を切り盛りしているルパートとは大きく異なる。

 そのルパートが、三百万ネラスの贈り物。意外すぎる。というか、何か裏があるとしか思えない。


 驚きに目を見開いていると、突如大広間を突風が吹き抜けた。

 風に煽られ、シャンデリアを明るく煌めかせていた蝋燭が消える。視界が闇に閉ざされた。一寸先も見えぬ闇とはこのことだろう。

 明らかに緊急事態だ。

 辺りに、先ほどの大声など比ではない悲鳴が満ちる。急なできごとに、恐慌状態に陥った者も多いようだ。確かに、女性などは不安だろう。仕方ない。怖いものは怖いのだ。

 けれど、この騒動をどうにかしなければならないと思うとうんざりする。思わず、勘弁してくれと溜め息を吐いてしまった。


「クレイヴン様、申し訳ありませんわ。我が家の使用人たちがすぐ明かりを付けると思いますので、少々お待ち下さいませ」


 取り合えず、隣にいた胡散臭い男に声をかける。


「いいや、僕は平気さ。それよりも君は大丈夫かい?」

「ご心配なく。私も平気ですわ」

「強がらなくてもいいんだよ。君はか弱い女性なんだから」


 反射的に頬がひくつくのが分かった。こいつ、ムカつく。紳士的と言えば聞こえはいいが、こんな発言は女性蔑視でなければ何だと言うのだろう。

 今が暗くて良かった。どんな顔をしていても絶対にばれない。

 怒りでなんと言って良いものか分からず口を閉ざしていると、大広間に明かりが戻った。流石はうちの使用人。仕事が早い。

 これ幸いと後処理を理由にこのムカつく男の傍を離れようとすると、またもや悲鳴が上がった。今度は何だと思って視線を向けると、姉が金切り声を上げている。


「ない! ないですわっ! 蒼海の淑女がないっ!」


 姉の胸元で燦然と光り輝いていた首飾りが消えていた。

 頭がクラクラした。どうしてこう、次から次へと。

 姉の叫びで客人たちも動揺し、騒ぎが大きくなり始めている。とにかくあの悲鳴を断たねばと、姉の元へ走り寄った。淑女の振る舞いとしては品に欠けるが、今は仕方ない。周りも大目に見てくれるだろう。


「落ち着いて下さいませ。蒼海の淑女がないとは一体どういうことですの? 暗くなるまではしていらしたのでしょう?」


 今にも泣き出しそうな姉の手を握り、訊く。


「分かりませんの。暗くなってすぐ、誰かにぶつかられて。それから少しして明かりがついて、それで気が付いたら」

「どうやら、怪盗夜猫が出たらしいな」


 姉を遮るようにそう告げたのは、あのムカつく男だった。いつの間にか姉が背にしていた露台にやって来ている。

 意外な事実を伝えたその声は大広間中に響き、驚いた人々は一瞬で静かになった。


「夜猫って、あの?」

「そうだろうね。これがあるってことは」


 このムカつく男――ええい、面倒だムカ男で統一しよう、は手に持っていたものヒラヒラさせた。

 黒い紙が猫の形に切り抜かれている。そして、流麗な筆致で夜猫参上、と書かれていた。


「そこに落ちていたよ。多分、さっきの混乱に乗じて蒼海の淑女は夜猫に盗まれたんだろう」

「よ、夜猫が何でうちに……!」


 姉が声を詰まらせ、哀れっぽく訴える。


「夜猫ってあれでしょう、最近話題の義賊でしょう? あくどい商売をしている商人や貴族たちから盗み、貧しい人々をそのお金で助けているという。でも、うちは夜猫に狙われるような非道な真似はしていませんわ!」

「それは私も同感ですわ。けれど、あの紙があるということは夜猫が来たということなのでしょう」


 夜猫は、犯行現場に必ず猫型に切り抜かれた例の黒紙を残している。その特徴を利用した模倣犯の犯行かも知れないが、可能性はとても低い。

 あの紙はなかなか凝っていて細部まで作りこんである。そっくりそのまま同じものを用意するのはかなり難しいだろう。以前、何件か模倣犯により偽の紙が使用されたことがあったが、いずれも細かな違いから模倣犯であることが見破られ捕まっている。そのため、最近はそんなことをする者はいない。


「それ、本物ですわね? クレイヴン様」

「ああ、今まで僕が見てきた本物と全く同じだよ」


 それに、夜猫関係の捜査を一手に引き受け、模倣犯の犯行であることを見破ったのは、何を隠そうこのムカ男なのだ。

 性格はさておき仕事はかなりできるらしいこの男のことだ。まず、間違えたりしないだろう。


「取り合えず、僕もやることやらないとね」


 そして、ムカ男は腹が立つほどいい笑みを浮かべ。


「エウラ騎士団長として、この件に関するエーミス伯爵家の協力を要請する」


 それはそれは格好つけてこう言った。

 一ネラス=一円の予定です。

 宝石の値段は一応調べたのですが、あまり良く分からずじまいでした。これは違うと言う方がいましたら、是非教えて下さると嬉しいです。

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