第一章 盗まれた日常(1)
豪華なシャンデリアが煌めく下で、思い思いに着飾った人々が談笑している。私はそれに、目の前にいる人物に気付かれないよう注意しながら視線を遣った。
今日は私の姉、ルシールの誕生日だ。その祝いの宴が本人の嗜好その他諸々の事情により、それはそれは盛大に催されている。事情とは、簡単に言うと我がエーミス伯爵家の面子などだ。こんなどうでもいいことで家の力を量るなんて馬鹿馬鹿しいが、周りがそうするのだから仕方ない。
笑いさざめく人の群れの中でも美人と評判の姉と母は良く目立ち、自然と目が惹きつけられてしまう。私はなすがまま、ぼんやりと二人を見つめた。
「……エレン、聞いているかい?」
目の前の人物に突然問いかけられ、咄嗟に微笑を浮かべた。目上の人間と接するときは、巨大な猫を被るべし。これが私の世渡り術だ。
「ええ、勿論ですわ。叔父さま」
「嘘はよくないよ。二人のことが気になるんだろう?」
「そう、かも知れません」
そのような事実は一切認められなかったが、話を逸らすため叔父の勘違いの尻馬に乗って、儚げに頷いてみた。唯でさえ話の雲行きが怪しかったのに、小言交じりにあの話を勧められては敵わない。
「まあ、それも無理はない。二人、特にオリアーナ殿は兄上が亡くなってから随分変わってしまったからな。あんなに兄上を愛していたのに、今ではすっかり忘れてしまったようだ」
十代後半の娘が二人もいるとは到底思えない美しい女が、見目麗しい男たちに囲まれている。彼女の名は、オリアーナ。あれが自分の母親だなどとはとても信じられないと思いながら、叔父の言葉に耳を傾ける。
「若い娘でも滅多に着ない胸元や背中の開いたドレスばかり着て、若い男を侍らせて。ルシールも母親そっくりで、着飾ることと顔の良い男を探すことに夢中だ。領地のことも君に任せきりだろう」
「私は、そんな。領地経営をしてくれているのはハミッシュで、手伝いだって満足にできているかどうか」
母から離れた場所で同じように男をかしずかせている姉を横目に告げる。意識してしおらしく作った態度こそ嘘だが、言った内容は本当だ。今は亡き父さまの右腕にして我が家の優秀な執事であるハミッシュのお陰で、うちは何とかまわっている。
「いいや、君はよくやっているよ。それと変わって、エレン以外の二人は家のことに関わろうともしない。兄上の遺言によれば自分の娘が婿を取り、その婿が爵位を継ぐまではオリアーナ殿が女伯爵として領地を守ることになっている。しかしそんなことはどこ吹く風で金を使うばかり。先のゲストヴィッツ帝国との戦で兄上が立てた武勲があるからこそ、こんな無理を利いて頂けたのに、その甲斐がない」
「二人は私と違って綺麗ですもの、周りが放っておきませんわ。そのせいで私よりも忙しくて、中々時間がとれないだけです」
二人は私との血の繋がりを疑うほど美しい。艶やかな銀髪に雪のように白い肌、北の海に浮かぶ氷を嵌め込んだような蒼い瞳。妖艶でいて孤高を感じさせる二人の美貌は数多くのものを魅了してやまない。
それに比べて私は地味な黒髪黒眼。父さまと揃いだから嫌だと思ったことはないけれど、私とは大違いだ。まあ揃いと言っても、父さまは大人の色気たっぷりの格好良い男性だったが。
「そればかりでもないことは、君も分かっているはずだろう。兄上が亡くなってから七年、その間ずっと時間がとれなかったなどありえない。おまけに最近じゃ、母娘で同じ男に夢中らしいじゃないか。クレイヴン公爵家次期公爵、エルバート。エウラ騎士団とは言え若くして団長に上り詰めたのだから切れ者ではあるのだろうが、その場その場で違う女を連れ歩くどうしようもない女っ誑しだと評判の男だ。そんな男を追いかけ回すなど、エーミス家の恥だ」
「……熱を上げているのはどちらかと言うと母の方で、姉はあまり興味はないようですわ。彼の持つ完璧な容姿やその高貴な生まれなどに少々惹かれているだけです。世間一般の娘たちと同じように」
母だか姉だかが呼んだらしく、今日の宴にも来ているその男を遠目に見つつ、若干面倒くさくなりながら言った。
叔父はストレイス侯爵家に婿入りしてもなおうちに対する愛情は枯れることがないようで、折に触れて気遣って下さる。しかしときにその行き過ぎた情熱が鬱倒しいこともままある訳で。
だから叔父の前では迂闊に愚痴の一つも言えない。うっかりするととんでもない藪蛇になることも、よくある話だ。
「やはりエーミス家を継ぐのはエレンしかいないよ。君ももう十七だ。どうだい、うちのスウィジンあたりと結婚して」
「叔父さま、待って下さいませ。いつも言っているように、私はまだ結婚なんて考えてはいませんし、家を継ぐのは順当に行って姉でしょう」
出た、結婚話。叔父と話すとすぐこれで、寄ると触ると従兄弟のスウィジンとの縁談を勧められる。しかも何故だか私を異様に美化していて、最早恥ずかしい。
先ほどぼうっとしていたのも、嵐のような結婚の勧めに耐えかねたせいだ。頑張って話を逸らそうとしたのに、結局この話になってしまった。
「今日はスウィジンも来ているんだ。久々に君に会いたいと言ってね。おい、スウィジン」
私の訴えはさらりと聞き流し、遠くでワインを飲んでいたスウィジンに叔父は手招きする。
「久しぶりだね、エレン。会えて嬉しいよ」
これと言って特筆すべきところのない、平凡そのものといった風情の青年がこちらにやって来て、にこりと微笑む。この笑顔だけは、優しそうと言ってもいいかも知れない。
「本当に、お久しぶりですわ。スウィジン殿」
私もスウィジンに合わせて微笑するが、内心は違った。――会えて嬉しい? 私に? スウィジンは幼い頃から姉のことばかり見つめていた。今日だって姉に会いに来たのであって、私などほんの口実に過ぎないはずだ。全く、ことあるごとに他人のことを利用して。
「嫌だな、エレン。スウィジン殿だなんて他人行儀な。昔のようにスウィジンと呼んでくれて構わないんだよ」
「あら、私ももう十七ですもの。貴方にいたっては十八でしょう。昔と同じという訳にはいきませんわ」
「遠慮しなくてもいいじゃないか。君と僕の仲なんだから」
どんな仲だ、どんな、と心の中で毒づく。
「うん、まあ後は若い二人にお任せするよ。未来の伴侶になる二人の間に邪魔者はいらないからね。老いぼれは退散するとしよう」
叔父はにやりと笑うとさっさとその場を離れて行った。無用な気遣いだ。
「全く、父上は気が早くていけないな。けれど僕もいずれは君と、と思っているんだ」
「結婚なんて、まだまだ現実味がなくて。あまり、考えたことはありませんわ」
言いながら、密かに嘆息する。
姉の好みはとにかく顔の良い男。私と同じく人並みの容姿しか持たないスウィジンでは、姉の取り巻きにすらなれない。けれど、先刻までワイン片手に姉を見つめていた人間が、急に宗旨替えしたとも思えない。だから、あの姉の妹ならいいかなんていう、くだらない理由でこんなことを言っているのだろう。全く、情けないにもほどがある。
「ひょっとして、結婚に抵抗があるのかい? 伯母上を見ていたら、結婚なんてと思うのも分かる気がするけれど」
「そういう面もあるのかも知れませんわ。結婚して、誰かの妻になって……そうして幸せになる自分が想像できないのです。どうせ壊れてしまうものなのにって、思ってしまって」
こういう勘違いをするところは、スウィジンと叔父はよく似ている。またもや儚げな自分を演出し、これ以上話を続けにくい雰囲気を作ろうと画策した。
「でも、エレンは貴族の娘だ。いつかは結婚するだろう。その相手が僕だったらいいと思うんだ。何も今すぐ返事が欲しいって訳じゃない。考えておいてくれないかい?」
「……考えるだけなら」
仕方なしに私がそう答えると、スウィジンは良かった、とだけ言って去って行く。思惑通り、話を切り上げさせることに成功したようだ。
やっといなくなったと安堵の溜め息を吐く。本当に、うんざりだ。
元々、私は宴だの夜会だのと言った類のものが好きではない。はっきり言って嫌いだ。貴族同士の腹の探り合いなんて、できる限り避けたい。
だから王族主催の節目節目に開かれる貴族全員参加の舞踏会と、我が家主催のもの以外は一切出席しない。それも、かなり渋々だ。王族主催は出席しなければ不敬な娘だと噂になってしまうし、我が家主催のものは私がいなければ仕切り役不在になってしまう。
仕切り役とはつまり、ようこそいらっしゃいました、今日は楽しんで行ってくださいませなどと挨拶する役のことだ。こればかりは執事のハミッシュではどうにもならない。エーミス家が主催しているのだから、エーミス家の人間が挨拶するのが筋だ。使用人に任せるなど、客人に対して無礼にもほどがある。
本当は暫定的にでもエーミス家当主となっている母がやるべきことなのだが、あの人は好みの男でなければ口も利かないので期待するだけ無駄。姉もまた然り。従って、消去法で私しかいないという訳だ。
かくして苦手な宴でひとしきり挨拶をして回る羽目になり、それが一段落したかと思ったら今度は叔父につかまる、という気疲れに次ぐ気疲れに見舞われたのだった。
流石にこれ以上はないだろうと思いながら、エーミス家王都別邸が誇る大広間の端に寄る。壁にもたれると脱力した。
結果的に言うと、これは間違いだった。今日一番の災厄は、これから起こるのである。