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漆黒の花  作者: 保野透香
◇雨降り前の雷鳴
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第二章 薔薇の園で下準備(5)

「もし、クレイヴン公爵とかに会っちゃったら凄い面倒なことに……。何でこんなところにいるの、私。あー、やだやだ。うちに帰りたい」

「そう心配しなくても父上は今日、留守だよ。仕事の関係で王宮にいる。来週までは泊まり込みらしいから、遭遇する確率はないも同然だね」


 往生際悪くぶつぶつと呟き続ける私に、ムカ男は苦笑してこう言った。告げられた内容で私は大いにほっとしたが、それにしたってここにいたくないことは変わらない。前を歩くムカ男の背中を睨みつけながら、渋々後に続く。


「にしてもね、今日は気力体力ともにもう品切れなの。こんなとこ来てる場合じゃないの」

「そんなに帰りたかったら、ここがどこだか気付いた瞬間に馬車に立てこもれば良かったんだよ。でも、エレンはしなかった。それは、できないと思ったからだろう」


 その時点で君の負けだよ、エレン。軽やかに言うムカ男に僅かに殺意が湧いた。ムカ男の言うとおり私は言いたかったけれど言えず、妥協に妥協を重ねてここにいるのだから尚更だ。


「あんたの底意地の悪さと周到さには、素直に賛辞を贈るかしないか。流石はエルバート・クレイヴン、出世街道を異例の速さで驀進してきただけあってどんなときも、それこそこんな小娘相手にだって全力投球。少しは手加減を覚えたらどう? ――あの馬車、トレンス庭園からクレイヴン公爵邸への最短の道順では進まなかった。まるで見せびらかすみたいに大通りばかり走って。治安のことを考慮しても、あれほど遠回りする必要はなかった筈なのに」


 ここまで来る間、黙りこくりながらも不審に思っていたのだ。目的地が分からなかったためおかしいと思いつつも黙っていた。ああ、あのとき何か言うべきだった。今さら遅いが、そう思う。


 あれは多分、二つの意味を持った策略だ。


 トレンス庭園で薔薇の花を楽しんだ後、恋人を自分の家へと連れ帰る――そんな理想の二人を人々に描かせるため、わざわざ遠回りして人通りの多い道で、文字通り公爵家の目立つ馬車を見せびらかした。そうしたら世間はあの二人はもう結婚まで秒読みかと勝手に憶測し、仲の良い恋人同士という降って湧いた新事実に真実味が増す。

 更に、そこまでやっておいて私が速効うちに帰ったら、今日の努力が台なしになる。明日にはやっぱりあの二人の仲は悪かったんだと言われて終わりだ。おまけに家のことまで何か勘繰られるかも知れない。だから、逃げられない。


 家のことを持ち出されたら黙って諦める、私はそういう人間だと踏んでの作戦だろう。事実そうなのだから何も言えない。実に的確な性格分析の上での作戦だ。それはもう憎らしいくらいに。


「これぐらいしないと君は来てくれない。絶対に逃げるからね」

「当たり前でしょう」

「それは残念。エレンらしいけどね。さて、そろそろ目的地に到着だ」


 ムカ男は立ち止まり、目の前を見た。今までの普通の部屋とは違う。そこにあったのは硝子張りの温室だった。ムカ男は少し力を入れて温室の扉を開き、体をずらして中の様子を私に見せる。目に飛び込んできた光景に私は息を呑んだ。


 薔薇だ。トレンス庭園よりもずっと種類も豊富なようで、温室を彩る美しい薔薇たちに思わず見惚れた。けれど、ひときわ私の目を惹いたのは温室中央、一番目立つ場所に植えられた青い薔薇だった。


 青い薔薇は長らく不可能の象徴だったが、最近の聖遺物を利用した研究により不可能は可能になった。それは衝撃の研究成果で、暇も金もある人間の間ではかなり話題になっているのだとか。上流階級と呼ばれる高貴な方々は、その青い薔薇を取り寄せようと躍起になっているそうだ。そのため希少価値が異様に高まり、価格も急激に高騰しているらしい。私も話だけは聞いている。だが、実物については何も知らなかった。


「……凄い」


 知らず知らずのうちに呟いていた。不可能と言われたそれが、目の前にある。

 青紫などの青に近い色でごまかしているのではない、完璧な青。他のどんな薔薇よりも高貴で、気高い。他の花を圧倒する空気があった。


「気に入ってもらえたようで良かったよ。そんなところにいないで、中に入ってじっくり見たらいいさ」


 ムカ男の声に促されるようにして温室の中へ足を踏み入れる。その間も目は青い薔薇を追っていた。凝視しながら近付くと、そのまま飽きもせずに眺め続ける。

 そのままどれほどの時間が経ったのだろう。短い時間だったようにもそれこそ一時間や二時間平気で眺めていたようにも思えるが、気が付くとムカ男が私の肩を軽く叩いていた。


「お茶が入ったよ。少し座って、僕と話さないかい?」


 温室の中を改めて見回すと、奥の方に温室に似合いの蔓薔薇の装飾が施された円卓と椅子が置いてあるのを見付けた。夢から覚めたような気分で、円卓の上にお茶とお菓子が乗っているのを見つめる。私が気付いていなかっただけで、誰かが持って来ていたのだろう。

 私としては薔薇を見るか帰るかの二択でお願いしたいが、お茶とお菓子に罪はない。折角用意してもらったものを無駄にするのも悪いので、頂くことにした。


「仕方ない。お茶飲んだらまた薔薇を見よう」

「そんなにあの薔薇が見たいのならまた来ればいいよ。だから、今は僕とお喋りしよう」

「冗談。そう何度も公爵邸になんか来れません。青い薔薇は惜しいけど、自分で他にある場所見付けるから」


 最早恒例となってしまっている言い争いをしながら席に着く。こんなものが恒例なんて、忌々しい限りだ。


「やっぱり、エレンは他の人間とは違って面白いな。公爵家との繋がりとか、欲しくないのかい?」

「名前呼ぶのやめて。そりゃあ欲しくないのかって言われれば欲しいけど、あんたがいる限り繋がりなんて諸刃の剣にしかならなさそう」


 そう言ってお茶を口に含むと、ふわりと良い香りが鼻腔をくすぐった。公爵家のお茶らしく最高級品だ。ここまで上質のお茶は滅多に飲まないので、ありがたく堪能する。


「ふっ、言うなあ。噂通りだね、本当に」

「噂? 一週間前もそんなようなことを言ってたけど、噂って何? 一体どこで噂になってるって言うの?」


 恋人にする宣言で訊きそびれていたが、ずっと疑問だった。


「下町や、言葉は悪いけど貧民街と呼ばれているようなところでは君は有名人だよ。漆黒の花ってね」


 ムカ男の言葉にお茶を吹きそうになる。漆黒の花。言われた当時の記憶が蘇るが、まさかあれが広まっているとは思わなかった。えーと、尋常じゃないぐらい封印したくて堪らない。


「仕事柄、あの辺りとの関わりは良くあってね。君の話はどこでも聞くよ。何でも孤児の子どもたちが作っていた、組織的に犯罪を働く集団を穏便に解散させたんだって? 仕事がないから犯罪に走るしかなくて、弱い者同士で身を寄せ合っていた子たちだったから、仕事を世話して危ない真似をしなくてもいいようにしたって」


 そのようなこともあったと言えばあった。ムカ男の話だと随分と物騒な集団に聞こえるが、犯罪と言ってもスリやかっぱらい、置き引き程度だ。孤児はいい孤児院に巡り合わない限り、こうして生きていくほかない。だから小さい子は信頼できる孤児院に引き取ってもらい、割と大きな子には働き口を紹介した。子どもたちの集団のまとめ役は私と同い年だったし、大きい子もそこそこにいたからこうするのが一番だったのだ。それにしても、ここに持って行くまでが大変だった。まとめ役その他になかなか信用してもらえなかったから。


 ……まあ、そのまとめ役って、実はライルなのだけれど。これは言わなくてもいいだろう。貴族社会でそう言ったことが噂になることは、ライルにとってもエーミス家にとっても喜ばしいことではない。私は黙ってお茶の横に置かれた焼き菓子に手を伸ばした。これまた上質の砂糖を使っているようでとても美味しい。


「地元でも問題になっていたけど、なかなか知能犯でどうしても捕まえられなかったんだそうだね。子どもたちの方も生きるためだから必死だし、そんなことをやっている子がまともな職には就ける訳がない。まあ、このご時世孤児差別もまだまだ根強くて、まっとうな孤児でも雇うところなんかまだまだ少ないけれどね。だから余計に悪循環だ。そこで君が下町で店をやっているところへ出向いて行って、伯爵家が後見につくから雇って欲しいと頭を下げたらしいね。何かあったら自分がきっちり補償すると」

「いや、あのね、そんなに話さなくてもいいから」


 私が恥ずかしがっているのを察したのか、ムカ男は人の悪い笑みを浮かべて先を続ける。本当に嫌な男だとまたもや実感されられた。


「それを証明するために、まず真っ先にエーミス家が子どもたちを雇ったそうだね。そうやって、下町の職人、商人の集まりである店連の長老を頷かせたって聞いてるよ。そのときに言われたんだってね、漆黒の花」


 漆黒の花とは、荒野に咲く黒い花弁を持つ花の異称だ。草木の芽吹きにくい土地で他の動物に食べられることを防ぐため、目立たない黒い花を咲かせるようになったと言われている。一見地味な姿でも、荒野を旅する人々にとっては見かけるととても心を慰められるらしい。厳しい土地でも花を咲かせ、しなやかに生き抜く姿がとても美しく見えるそうだ。

 その証拠に、荒野の旅人は決まってこう口にするのだと言う。漆黒の花より美しい花は他にない、と。


「その長老は若い頃は荒野を横断する過酷な商隊にいたらしいから、掛け値なしの褒め言葉だ。あの人は気難しい人なのに、そこまで言わせるなんてよっぽどのことだよ。まず、普通の貴族令嬢じゃ無理だ。称賛に値すると、僕は思うけれどね」


 でも、何だか大袈裟すぎて恥ずかしいんです。それに、そこまで言われるようなことはしていないのだ。


「普通の貴族令嬢は孤児と関わる機会がないでしょう、そもそも。私は父さまに連れられて孤児院に出入りしていたから、環境が違ったの。ただそれだけ」

「そうかな? その環境を言うのなら、ルシールだって同じだろう?」


 ムカ男の言葉に、無性に胸が痛くなった。同じ? ――それは、本当に? いや、違う。私たち姉妹は、決して同じではなかった。姉は母に歪んだ愛情を向けられ、私は父さまに懐いていた。これで同じ環境などと言える筈がない。


「そうでもなかったから。うちも、割と複雑なの」


 私の言葉に、ムカ男は何かを思い出すような顔をした。


「例えば、オリアーナとか?」

「母は父さま至上主義だったの。ある意味、可哀そうな人なのかも知れない。父さまに自分の方を向いてもらいたかったし、できることなら父さまと一つになりたいって思ってた。だから、父さまと同じ髪と目の色を持つ私が気に食わないってこと。一番近くにいるのが、自分ではなくなってしまった気がしてね。だから、露骨に姉をえこひいきして、私に辛く当たって」


 まあ、姉には利用価値があって私にはなかったからかもしれないが。公の場であの二人が並ぶとそれはまあ沢山の男が寄ってくるのだ。母と姉は互いに互いを引き立てることができる。それだけの容姿を持っていた。


「そのせいでますます父さまは私だけを構ってた。今思えば、良かれと思ってやったことが全て裏目に出てるの。おかしな話でしょう。そして、今はもう永遠に愛する人を失った。それで、今は自棄になってるのかも知れない」


 こんなことを人に話したことは今まで一度もない。けれど、何故だか口を突いて出ていた。今までの私を、知らない人だったからかもしれない。少しも接点がなくて、別の世界の人だから。


「姉とも昔はそれなりに仲の良い姉妹だったの。でも、いつしか今のような関係になっていた。唯一自分を好いてくれるような肉親に気に入られるよう努力したら、姉はあんなふうにならざるを得なかったんだと思う。私も、母にえこひいきされる姉と親しく接し続けることはできなかったしね。結局、姉も母の被害者なんだって気付いたときには、もうどうしようもないぐらい高い壁があったの。私では多分、それを壊せない」


 私も、父さまに好かれたくて愛されたくて孤児院に慰問へ行っていた頃もあった。すぐにばれて、そんな必要はないと、余計なことは考えず目の前の子どもたちを対等に愛しなさいと言われたけれど。でも姉は、母に気付いてもらえなかった。


「だから、君は二人のことを嫌いになれないのか。……敬称、付けないくせに」


 ムカ男の呟きに苦笑する。嫌い。確かに、その言い方はしっくりこない。敬称は、付けられないんだけど。


「嫌い、か。姉は、うん。前はそうだったかも知れない。でも、今は嫌いにまではなれないな。好きにも、なれないんだけどさあ」


 姉は紙一重で異なった、もう一つの私の未来だ。全部丸ごと受け止めることはできないけれど、嫌悪感を剥き出しにまではできない。


「母は、嫌いって言うか怖いの方が近いから。嫌いとか憎いとか、そんなんじゃないの。これは本能への刷り込みだよ。不思議にね、母のしたことを仕方ないかもって思えるようになっても、怖いのは変わらないの。昔、訳も分からず引っ叩かれてた頃の感情が抜けない。母から離れていれば割と客観視できるけど、母の前に立つと幼い私に引き戻されて行くのが分かる。今はそれでも大分冷静なままでいられるようになったけどね」


 ただただ泣くことしかできなかった昔の私。今よりもずっと幼くて、無力だった。

 そんな、支えも何も失って独りきりだった私を救ったのは、父さまの手の暖かさで。今、見た目だけでも平静を装っていられるようになったのは、間違いなく父さまのおかげだ。

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