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第1話 心霊という名のゴミ箱

 東京都心にある『コズミック・クロニクル』の編集部の応接室は、窓のない閉鎖的な空間だった。


壁一面には過去のバックナンバーが詰め込まれた書棚がそびえ立ち、古い紙の匂いと、誰かが持ち込んだ強い沈香じんこうの香りが、

逃げ場のない空気となって停滞している。


科野航は、使い古された革のソファに腰を下ろし、目の前のテーブルに置かれた湯気の立たない茶を見つめていた。


窓がないこの部屋では、外の春の陽光も、あの日墓地で感じたあの芳醇ほうじゅんな空気も、遠い世界の出来事のように思えた。


「……科野さん、本当に申し訳ない。あんな奇妙な体験談を寄稿していただいた手前、うちとしても裏付けと言いますか、専門家の見解を添えないわけにはいかなくてね」


どこか落ち着かない様子で語るのは、編集者の佐藤だ。


彼は科野の古い知人であり、今回の不可解な現象を、次号の特集記事として成立させるための落とし所を探っていた。


「専門家、か」


科野は短く呟いた。


その言葉の響きには、明らかな拒絶の色が混じっていた。


科野にとって、あの日聞いた音は、既存の知性と常識が到達できる範疇を遥かに超えた現象だった。


それを、ありふれた解釈に無理やり押し込めようとする行為は、彼にとって到底受け入れられるものではなかった。


「ええ、この業界では有名な方です。……失礼ながら、科学では解明できない現象をそのまま掲載するのは、読者が納得する説明がないと難しいんですよ。

編集部としても、何らかの権威の言葉が欲しいんです」


佐藤の言葉が終わるのとほぼ同時に、応接室の重いドアが開いた。


入ってきたのは、派手な刺繍が施された重厚な法衣を纏った女だった。


首筋からは、歩くたびにカチャカチャと乾いた音を立てる、大粒の数珠がいくつも重なっている。


彼女が踏み出す一歩ごとに、沈香の匂いが部屋の空気をさらに重く塗りつぶしていった。


「お待たせいたしましたわね。……あなたが、あの不思議な音を聴かれたという方?」 


女は、芝居がかったゆったりとした所作で科野の向かいに座った。


その視線は科野を値踏みするように捉えようとするが、科野はそれを、ただそこにある現象を観察するかのような目で見返した。


佐藤が慌てて紹介を始める。


「こちら、霊視の権威として知られる、明神みょうじん蓮華先生です。明神先生には、科野さんの体験を霊的な視点から解き明かしていただこうと……」


「解き明かす必要などない」


科野は佐藤の言葉を切り捨て、明神という女を真っ直ぐに見据えた。


「君は、あの音が『誰』の声だと決めつけるつもりだ? 先祖の霊か、それとも地縛霊か。あるいは、私への警告だとでも言うのか」


明神は一瞬、科野の無礼な物言いに眉を潜めたが、すぐに慈愛を装った、作り物の微笑を浮かべた。


「科野さん、そんなに尖らないで。あなたが聴いたのは、間違いなくお父様の強い想いですわ。供養が足りないのではない。むしろ、あなたが科学という狭い世界に閉じこもっていることを、お父様は案じておられる。

あの音は、あなたがこちら側の世界へと歩み寄るための、導きの響きなのです」


科野の中で、怒りが冷徹な論理へと変換されていった。


「導き、だと?」


科野は嘲笑するように鼻を鳴らした。 


「君たちはそうやって、未知の現象に『人間的な感情』という名のラベルを貼る。幽霊や因縁という使い古されたゴミ箱に、処理しきれない真実を投げ込んで蓋をするんだ。それは導きなどではない。ただの思考停止だ」


明神の頬が、引き攣った。


「失礼な。私はこれまでに多くの迷える魂を導いてきました」


「安心させただけだ。自分が理解できる程度の狭い枠組みに収めてやることでな。だがあの音は、そんな矮小なものではなかった。 

あの不連続な跳躍、物理法則をあざ笑うような圧倒的なエネルギーの顕現。それは君のような人間が、数珠を鳴らしながら語れるほど安っぽいものじゃない」


科野は立ち上がり、佐藤に視線を向けた。


「佐藤。私の書く記事に、この女の空想を一行たりとも混ぜることは許さない。これは心霊記事ではない。我々の科学がいかに未熟な『殻』の中に閉じ込められているかを突きつける、観測の記録だ」


「科野さん、ちょっと待ちなさいよ!」


明神の叫びを背に、科野は応接室を後にした。


エレベーターに向かう廊下を歩きながら、科野は確信を深めていた。


霊能者も、そしておそらくは今の多くの科学者も、同じ「殻」の中にいる。


見えないものを霊と呼んで逃げるか、存在しないと断じて目を逸らすか。そのどちらもが、自分たちが住む三次元という檻の中の住人に過ぎない。


「……まずは、この檻の正体を正確に知る必要がある」


科野はポケットからスマートフォンを取り出し、その画面を見つめた。


そこには、学会から異端児として疎まれながらも、宇宙の95.4%を占める未知に挑み続ける、一人の物理学者の名前があった。


藤代拓海。


彼なら、あの※拍子木ひょうしぎの音を、ゴミ箱に捨てずに受け止めるかもしれない。


       (第1話・完)


拍子木ひょうしぎとは、「拍子」を取るための木の音具。。『和漢三才図会』には、「俗にいう拍子木(と表記する)」と記され、近世期では、「柝」と記して、「ひょうしぎ」と読ませている。両手に持って打ち合わせると、「カンカン」と高く澄んだ音が出る。日本では古来様々な用途に用いられてきた。(火の用心・・・など)







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