第93話 繁殖と合流
最初に気づいたのは、音だった。
朝の森が、少しだけ騒がしい。
木々を渡る風の音に混じって、
軽い足音、甲高い声、笑い声のようなものが増えている。
「……増えたな」
ヒトシは、はっきりそう思った。
数日前まで、この時間帯はもっと静かだった。
戦争の後、森は一度、死んだように沈んでいたはずだ。
だが今は違う。
工房の近くでは、ゴブリンが二体一組で木材を運び、
その足元を、小さな影がちょろちょろと走り回っている。
「おい、そっちは危ねぇぞ!」
ゴブリンの声に、
小さなゴブリンが「きゃっ」と声を上げて逃げる。
――子供だ。
ヒトシは、足を止めた。
「……いつの間に」
昨日はいなかった。
少なくとも、こんなに目立つ数ではなかった。
ヨークが、少し後ろから歩いてくる。
「気づきましたか、王」
「……ああ」
「昨日の夜からです」
ヨークは、少し照れたように頭を掻いた。
「戦が終わって、落ち着いたからでしょうな。
ゴブリンも、コボルトも……増えてきてます」
「急すぎないか?」
「ゴブリンですから」
その言い方が、妙に当然のようで、ヒトシは苦笑する。
ゴブリンの増え方は、人間の常識では測れない。
それは、これまでの経験で嫌というほど思い知っていた。
工房の裏手。
グルマが、削りかけの木材を前に腕を組んでいた。
「おい、ヒトシ」
「どうした?」
「工房の人手、増やしていいか?」
「……増えてるのか?」
「増えてるどころじゃねぇ」
グルマは、顎で示す。
そこには、
成体より一回り小さいゴブリンが数体、
興味津々で作業を覗き込んでいた。
「生まれて半月も経ってねぇはずだが、
もう刃物の扱いを覚えようとしてやがる」
「早すぎるだろ」
「ゴブリンだぞ?」
またその言い方だ。
ヒトシは、ため息交じりに言う。
「危険な作業だ。
最初は運搬と整頓だけにしろ」
「分かってる」
グルマは、少し真面目な顔になる。
「だがよ……正直、助かる。
戦争で減った分が、埋まり始めてる」
その言葉に、ヒトシは何も返せなかった。
減った分。
失った分。
それを、単純に“補填”と呼んでいいのか。
心のどこかで、まだ引っかかっている。
昼前。
森の入口付近で、見慣れない影を見つけた。
「……止まれ」
ヒトシの声に、
その影はびくりと震え、立ち止まる。
背は低いが、ゴブリンではない。
耳の形も、体つきも違う。
コボルトだ。
しかも、武器を持っていない。
「……敵意は?」
問いかけると、
コボルトはゆっくりと頭を下げた。
「ありません」
流暢な言葉だった。
「スタンピートで群れが壊れました。
行き場がなく……この森の噂を聞きました」
ヨークが、小さく息を吸う。
「また、か」
最近、こうした“合流希望”が増えていた。
戦争の余波は、広範囲に及んでいる。
生き残ったが、帰る場所を失った魔物たち。
「条件は?」
ヒトシは、淡々と聞く。
「命令に従います。
働きます。
仲間を傷つけません」
まるで、用意してきた言葉のようだ。
ヒトシは、少しだけ考え、頷いた。
「受け入れる」
コボルトの目が、見開かれる。
「……本当ですか?」
「ここでは、力より役割を見る」
ヒトシは、そう告げた。
「出来ることをやれ。
出来ないことは、教わればいい」
その言葉に、
コボルトは深く頭を下げた。
「感謝します」
夕方。
森を一望できる小高い場所で、
ヒトシは立ち止まった。
視界の端々に、動く影がある。
ゴブリン。
オーク。
コボルト。
新参の魔物。
数は、確実に増えている。
(……実感が、遅れてくるな)
戦争の直後は、ただ必死だった。
守ることで精一杯で、数の変化に目が向かなかった。
だが今、こうして見ると分かる。
森は、再び“満ち始めている”。
「王」
メイが、隣に立つ。
「増えていますね」
「ああ」
「不安ですか?」
ヒトシは、少し考えた。
「……責任が増える」
正直な答えだった。
数が増えれば、
守るべきものも、判断も、失敗の重さも増す。
だが同時に。
「選択肢も増える」
メイは、微笑んだ。
「それが、王という立場なのかもしれませんね」
「……まだ慣れない」
ヒトシは、そう答えた。
ゴブリンとして生きること。
人の魂を持ったまま、王として立つこと。
どちらも、簡単ではない。
だが。
(……増えていく命を)
(もう、見過ごしたくはない)
ヒトシは、森を見渡す。
失ったものは、戻らない。
だが、ここに集まってきた命は、確かに“今”だ。
「……よし」
小さく、決意を口にする。
「受け入れる準備を進める」
「繁殖も、合流も」
「全部含めて、この森の現実だ」
適応進化のアナウンスは、まだ鳴らない。
だがヒトシは分かっていた。
この“増加”そのものが、
次の進化への土台になるということを。
森は、再び息を吹き返している。
今度は、
数と多様性を伴って。




