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第81話 異変

 スタンピートは、去った。

 嵐が通り過ぎたあとのように、森は不自然なほど静まり返っていた。

 つい先ほどまで響いていた咆哮や地響きが嘘のように、風の音と、折れた木が軋む音だけが残っている。

 ――だが、村は無事ではなかった。

 壊れた柵。

 踏み荒らされた畑。

 押し潰された家屋。

 そして、動かなくなった仲間たち。

 ヒトシは瓦礫の間を歩きながら、無意識に拳を握り締めていた。

(……半分、か)

 数えたくはなかったが、把握しなければならない。

 ゴブリンも、コボルトも、確実に数を減らしている。

 名前のない仲間たち。

 だが、確かにここで生きていた存在。

 ヨークが、いつもの軽口を叩かず、黙って瓦礫をどかしている。

 グルマは壊れた工房の前に立ち尽くし、歯を食いしばっていた。

 メイは、魔力切れで膝をついたまま、震える手で回復魔法を使い続けている。

 誰も、声を上げなかった。

「……生存者、確認!」

 コボルトの一体が、かすれた声で叫んだ。

 ヒトシは、すぐそちらへ向かう。

 倒木の陰。

 血にまみれたロックリザードが、浅い呼吸を繰り返していた。

「……仕留めろ」

 後ろから、低い声が飛ぶ。

 正論だった。

 敵だ。

 さっきまで、確かに村を壊していた魔物だ。

 ヒトシも、そう判断しかけた。

 ――だが。

「……待て」

 自分でも驚くほど、即座に口から言葉が出た。

 リザードの目が、かすかに動く。

 その視線に、敵意がない。

 恐怖と混乱。

 それだけが、滲んでいた。

「……違う……」

 掠れた声。

 たった、それだけ。

「……違う?」

 ヨークが眉をひそめる。

「おい、ヒトシ。今さら情けかける場面じゃねぇぞ」

「分かってる」

 ヒトシは、視線を逸らさずに答えた。

「でも……さっきまでの連中と、様子が違う」

 言葉にできない違和感。

 だが、それは確かにあった。

 その瞬間。

 リザードが、びくりと身体を震わせた。

「……な、なんだ……?」

 声が、変わった。

 たどたどしいが、意味を持った言葉。

「……頭が……冴える……?」

 周囲が、凍りつく。

「今まで……霧が……かかってた……」

「笛……あの音……」

 リザードは、ゆっくりと首を振る。

「操られてた……魔笛で……」

 ざわ、と空気が揺れた。

「……喋ってる?」

「今……魔笛って……」

「そんな、馬鹿な……」

 村側の魔物たちが、一斉にざわめく。

 敵が。

 さっきまで殺し合っていた存在が。

 言葉を持っている。

 ヒトシは、息を飲んだ。

(……これが)

(適応進化の影響か?)

 その考えが浮かんだ瞬間。

【適応進化が反応】

【極度の精神干渉状態からの回復を確認】

【スキル取得:意思の回復】

【スキル取得:精神干渉耐性】

 頭の奥に、冷たい感覚が走る。

 ヒトシは、ゆっくりと理解した。

 この魔物は、ただの敵ではなかった。

 操られていた。

 意志を奪われ、群れに投げ込まれていた。

 ――自分たちと、同じだ。

 もし。

 もしあの時、ヒトシが現れなかったら。

 ゴブリンたちも、

 ヨークも、

 グルマも、

 メイも。

 こうなっていたかもしれない。

「……」

 ヒトシは、一歩前に出る。

「お前……名前は?」

 リザードは、少し戸惑い、それから答えた。

「……まだ、ない」

 その言葉に、村の魔物たちが、微妙な顔をした。

 警戒。

 不信。

 そして、かすかな同情。

「……家族は?」

「……山の向こうに……まだ……」

 その声は、震えていた。

 ヒトシは、はっきりと言った。

「ここでは、殺さない」

「話ができるなら、敵じゃない」

 一瞬、沈黙。

 ヨークが、低く息を吐いた。

「……すぐ信用はできねぇ」

「だが」

 グルナが、静かに続ける。

「操られていたのなら……被害者でもある」

 リザードは、ゆっくりと頭を下げた。

「……ありがとう」

 その仕草が、あまりにも人間じみていて、

 誰もが言葉を失った。

 ヒトシは、空を見上げる。

 スタンピートは終わった。

 だが。

(……これは、終わりじゃない)

(もっと厄介なものが、背後にいる)

 魔笛。

 精神干渉。

 そして、意志を奪う存在。

 戦争は、形を変えただけだ。

 ヒトシは、静かに宣言する。

「……今日から、世界は変わる」

 敵と味方の境界は、

 もう単純ではなくなった。

 それを理解した瞬間だった。

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