第79話 スタンピート到達
最初に見えたのは、土煙だった。
地平線の向こう、山と森の境目。
風に流されるはずのない重たい砂塵が、横にではなく――前へ動いている。
「……来る」
ヒトシの声は低く、短かった。
望遠代わりに使っていた高台から、全員が同じものを見る。
黒い波。
それは比喩ではない。
山岳地帯から溢れ出した魔物の群れが、地形を無視して押し寄せてくる。
先頭に見えるのは、ロックオーガ。
岩を纏ったような巨体が、斜面を蹴り砕きながら突進してくる。
その足元を縫うように走るのが、牙猪。
牙を突き立て、地面を掘り返しながら速度を落とさない。
さらに後方。
群れの左右を囲むように、狂走ウルフが散開している。
統率のないはずの狼が、まるで役割を理解しているかのように動いていた。
岩壁を這い、跳ね、落ちる影。
ロックリザードだ。
垂直の壁を進路として利用し、側面から降ってくる。
数。
――多すぎる。
ヒトシの脳が、瞬時に判断を下す。
(受け流せない)
(分断も無理)
(逃げ場は……ない)
村の背後は森。
左右は丘陵。
正面は、この大群。
サラが、息を呑んで呟く。
「……間違いなくスタンピートね」
「街なら……」
アンの声が、途中で切れる。
メリーが、はっきりと言った。
「街なら、壊滅するわ」
ヒトシは頷いた。
「この村でも、同じだ」
それでも。
ヒトシは、一歩前に出る。
「――初動で削る」
誰も異論を挟まなかった。
「メイ」
「はい」
メイの声には、いつもの軽さはない。
「範囲最大」
「温存しなくていい」
メイは、深く息を吸う。
魔力が、空気を震わせる。
「……了解です」
両手を広げ、詠唱に入る。
次の瞬間。
――空が、歪んだ。
熱でも光でもない。
圧縮された魔力の層が、前方一帯を覆う。
「《広域・重圧陣》!」
見えない壁が、群れを押し潰した。
先頭の狂走ウルフが、地面に叩き伏せられる。
牙猪が足を取られ、前の個体に突っ込む。
ロックリザードが、壁から落ちる。
完全な殲滅ではない。
だが――流れが、乱れた。
「今だ!」
ヒトシの叫び。
ヨークが、一歩前に出る。
いつもの笑顔はない。
「……今日は、ふざけられねぇ」
オークの筋肉が、張り詰める。
ヨークは、盾を構えたまま――突っ込んだ。
牙猪の突進を、真正面から受け止める。
鈍い衝撃音。
地面が、えぐれる。
ヨークの足が沈み、歯を食いしばる。
「……押し返す!」
怒号とともに、牙猪を横に弾き飛ばす。
その隙に、ゴブリンとコボルトが連携して仕留めにかかる。
混戦。
完全な乱戦。
ヒトシは、その中心に立っていた。
剣を振るう。
一太刀ごとに、重さが変わる。
――当てる。
――流す。
――避ける。
剣の基礎動作が、身体に染み込んでいく。
【適応進化が反応】
【乱戦環境を確認】
【乱戦適応を開始】
【視野分割処理を最適化】
【近接判断速度を補正】
ヒトシの視界が、広がる。
敵が“群れ”ではなく、個の集合として認識され始めた。
恐怖は、消えない。
だが――処理できる。
背後で、メイが叫ぶ。
「次、行きます!」
第二波の魔法が、群れの中央を薙ぐ。
ヨークの怒号が重なる。
サラの剣が、狂走ウルフを斬り伏せる。
メリーの魔法が、ロックリザードを焼き落とす。
アンが盾で仲間を守る。
それでも。
それでも数が、減らない。
ヒトシは歯を食いしばる。
(……耐えろ)
(まだ、だ)
このスタンピートは、ただの暴走ではない。
操られている。
その確信だけが、ヒトシを支えていた。
そして。
この戦いの、本当の地獄は――
まだ、姿を見せていなかった。




