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第77話 村が変わり始めた日

 森の空気は、重かった。

 湿り気を帯びた土の匂い。

 葉が擦れる音。

 遠くで鳴く獣の声。

 ヒトシは、深く息を吸った。

「……戻ったな」

 人化が解けてから、すでにしばらく経っている。

 体は完全にゴブリンのものだ。

 腕は短く、

 視線は低く、

 皮膚は緑色。

 それでも――

 街の感覚が、頭から離れなかった。

(情報が多すぎる)

(音も、匂いも、人も)

(あれを常に受け取っていたら……)

 そこまで考えて、ヒトシは歩みを止めた。

 ――静かだ。

 村が、静かすぎる。

 以前の村は、

 もっと雑然としていた。

 誰かが叫び、

 誰かがぶつかり、

 誰かが奪い合っていた。

 だが今は違う。

 音はある。

 人は動いている。

 それなのに、

 無駄な衝突音がない。

「……?」

 最初に気づいたのは、動線だった。

 工房の前に、物が置かれていない。

 通路が自然と確保されている。

 次に気づいたのは、視線だ。

 ゴブリンも、

 オークも、

 コボルトも。

 互いを「避ける」動きをしていない。

 ぶつからないように、

 無言で、自然に、間合いを取っている。

(……誰かが、指示した?)

 いや、違う。

 これは、

 決まりごととして共有されている動きだ。

 ヒトシの脳裏に、

 街の光景が浮かぶ。

 市場での人の流れ。

 店先の暗黙の順番。

 誰も教えていないのに守られる距離感。

(……馴染んでる)

(村が)

(人の暮らし方に)

「王」

 声をかけてきたのは、ヨークだった。

「戻った直後から、村が少し……いや、だいぶ変です」

「具体的には?」

「皆、考える前に動いてます」

 ヨークは言葉を探しながら続ける。

「作業の分担も、

 物の置き場も、

 言われなくても、分かってる感じで」

「……なるほど」

 ヒトシは、確信に近いものを覚えた。

 街だ。

 自分が街で受け取った情報量。

 あれが、

 人化が解けた瞬間、

 一気に村へ還流した。

 ヒトシは、胸の奥で小さく息を吐く。

「適応進化、か」

 その瞬間。

【適応進化が反応】

【人間社会由来の行動様式を解析】

【群れ全体への定着を開始】

【文化的判断基準の共有率 上昇】

【無意識的マナー形成】

【村構造の再編成を促進】

 今度は、

 耳障りではなかった。

 むしろ、

 「やっと言語化された」という感覚に近い。

「……街に行ったのは、正解だったな」

 ヒトシは、はっきりそう思った。

 戦わなかった。

 奪わなかった。

 名も売らなかった。

 ただ、歩いて、見て、感じただけだ。

 それだけで――

 村は、変わり始めている。

 工房のほうを見ると、

 グルマが何かを指示していた。

 怒鳴らない。

 奪わない。

 作業の流れを、短く説明し、

 相手の返事を待っている。

 以前なら、ありえなかった光景だ。

(……もう)

(「魔物の村」じゃないな)

 かといって、

 人間の街でもない。

 その中間。

 ヒトシは、そこに強い手応えを感じていた。

(この村は)

(進化してる)

(俺の意図以上に)

 適応進化は、

 力をくれるものではない。

 環境を写し、

 選択を拡張し、

 結果を返すだけだ。

 だが――

 その積み重ねが、

 文化になる。

 ヒトシは、静かに拳を握った。

「……次は」

「何を、取りに行こうか」

 街で得たのは、金でも武器でもない。

 暮らし方そのものだった。

 それが今、

 確かに村に根を張り始めている。

 森の奥で、

 新しい音が鳴り始めていた。

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