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第76話 戻った後に来るもの

 森の空気は、重かった。

 湿り気を含んだ土の匂い。

 葉擦れの音。

 遠くで鳴く獣の声。

 ――帰ってきた。

 そう認識した瞬間だった。

 ヒトシの視界が、ぐらりと歪む。

「……っ」

 膝が折れた。

 地面に手をついた瞬間、

 感覚が一気に変わる。

 腕が、短い。

 指が、太い。

 爪が、硬い。

 視線が、低くなる。

 呼吸が、荒くなる。

 喉から漏れた声は、

 人間のものではなかった。

「……戻った、な」

 ゴブリンの声。

 間違いない。

 完全に戻っている。

 人化は、終わった。

「王!」

 最初に駆け寄ってきたのは、ヨークだった。

「大丈夫ですか!?」

「……ああ」

 ヒトシは、深く息を吐く。

 人間の身体に慣れ始めていた分、

 戻った直後は、正直きつい。

(……重い)

(だが)

(落ち着く)

 不思議な感覚だった。

 街では常に、

 視線を意識し、

 声を選び、

 距離を測っていた。

 だが、ここでは違う。

 誰も疑わない。

 誰も値踏みしない。

 ヒトシは、ゴブリンとして

 正しく呼吸できる。

「……終わったんですね」

 サラが、少し離れた場所で言った。

「ええ」

「見事に」

 アンが、肩をすくめる。

「出口まで、もったのは上出来よ」

「……正直」

 メリーが呟く。

「もう少し早く戻ると思ってた」

 ヒトシは、苦笑した。

「俺もだ」

「だが」

「街は、予想以上に情報が多かった」

 その言葉に、皆が一瞬、首を傾げる。

 ――次の瞬間。

 世界が、鳴った。

【――《適応進化》が反応】

 これまでとは、明らかに違う。

 重なる。

 重なる。

 止まらない。

【通知再開】

【抑制状態を解除】

【未処理ログを確認】

【件数:278】

「……なっ」

 ヨークが、思わず声を上げる。

「今、何か……」

「聞こえた、わね」

 サラも、眉をひそめる。

 ヒトシは、目を閉じた。

(……278件)

(そんなに?)

 だが、すぐに理解する。

(街、か)

(あの環境)

(刺激の塊だった)

 ヒトシの意識に、

 洪水のように情報が流れ込む。

 視線の数。

 言葉の裏。

 価格の変動。

 価値の基準。

 敵意と好奇心の区別。

 すべてが、

 **「生存に関わる情報」**として

 適応進化に蓄積されていた。

【人間社会における環境圧を記録】

【情報過多状態を確認】

【即時処理は危険と判断】

【アナウンス抑制を実施していた】

「……なるほど」

 ヒトシは、静かに呟く。

「街にいる間」

「意図的に、黙ってたな」

 メリーが、目を見開く。

「それって……」

「人化より、怖い話じゃない?」

「そうだな」

 ヒトシは、否定しなかった。

「もし、あの場で」

「全部聞こえていたら」

「俺は、動けなかった」

【抑制解除に伴い、再評価を開始】

 空気が、微かに震える。

【群れへの影響を検証】

【文化接触による変化を検知】

 ヒトシの背後で、

 ゴブリンたちがざわめく。

「……何か」

「考え方が」

「変わった気がする」

 コボルトの一体が、言った。

「街の道」

「頭の中で、描ける」

 ヨークが、低く笑う。

「俺たち」

「もう、“森しか知らない魔物”じゃないですね」

 ヒトシは、ゆっくり立ち上がる。

 ゴブリンの身体。

 慣れ親しんだ重さ。

 だが、中身は――

 確実に変わっていた。

【適応進化:群れ全体への影響を確認】

【効果:文化耐性 微増】

【効果:対人認識補正】

【効果:集団思考の柔軟化】

「……これが」

 ヒトシは、静かに言う。

「街に行った“代償”だ」

「そして」

「成果だ」

 サラが、少し笑った。

「命懸けの観光だったわね」

「二度目は?」

 アンが聞く。

 ヒトシは、少し考えてから答える。

「……すぐではない」

「だが」

「もう、選択肢には入った」

 森が、静かにそれを受け入れる。

 ここは、戻る場所だ。

 そして、

 また出ていける場所になった。

 ヒトシは、空を見上げた。

(……適応進化)

(お前は)

(本当に、厄介だ)

 だが同時に、

 これほど頼れる力もない。

 人化は終わった。

 だが、

 変化は、今から始まる。

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