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第73話 街で息をする

 冒険者ギルドは、思っていたよりも――

 普通だった。

 ヒトシは建物の前で、ほんの一瞬だけ立ち止まった。異世界なら一度は訪れたい。

 石造りの二階建て。

 掲げられた紋章は剣と盾。

 出入りする人間たちは、鎧姿もいれば普段着に近い者もいる。

(……もっと物々しい場所だと思ってた)

 魔物と命のやり取りをする連中の巣窟だ。

 血と酒と怒号が渦巻いている――そんな先入観があった。

 だが、扉の向こうから聞こえてくるのは、

 雑談と笑い声、紙をめくる音。

 ヒトシは息を整え、扉を押した。

 中は広い。

 掲示板には依頼書がびっしりと貼られ、

 受付カウンターの奥では職員が忙しそうに動いている。

「……いらっしゃいませ」

 すぐに声をかけられた。

 若い女性の職員だ。

 事務的だが、敵意はない。

「初めての方ですか?」

「……ああ」

 ヒトシは短く答えた。

 声が、喉を通る。

 人間の声だ。

(まだ、大丈夫だな)

「では冒険者登録ですね。こちらへどうぞ」

 流れるように案内される。

 断られない。

 疑われない。

(……これが、人間の姿)

 違和感はある。

 だが、拒絶はない。

 それだけで、胸の奥が少し軽くなった。

 水晶は、思ったよりも小さかった。

 台座の上に乗せられた、手のひら大の透明な石。

「こちらに手を置いてください」

「……これが」

 ヒトシは、思わず呟いた。

(異世界といえば、これだな)

 ゲームで、物語で、

 何度も見てきた光景。

 ヒトシは、そっと水晶に触れた。

 ――淡く、光る。

「確認できました」

 職員が読み上げる。

「名前:ヒトシ」

「種族:人間」

「レベル:10」

「職業:剣士」

 周囲が、少しざわついた。

 低くも高くもないレベル。

 だが、登録時点で10というのは珍しい。

 ヒトシは内心で苦笑する。

(適応進化で助かったな)

 もしゴブリンのステータスが出ていたら、

 今頃ここは騒ぎになっていただろう。

「こちらが冒険者証になります」

 金属製の小さな札を渡される。

 ずしりと、重い。

(……これが)

(街で生きるための証か)

 ヒトシは、それを受け取り、懐にしまった。

 ギルドを出ると、昼時だった。


 腹が、鳴る。

(……そういえば)

(街で飯を食うの、初めてだ)

 香ばしい匂いに引かれるように、

 ヒトシは食堂に入った。

 木製の机と椅子。

 人で賑わい、湯気と笑い声が満ちている。

「いらっしゃい!」

 威勢のいい声。

「おすすめは?」

「パンと鶏のスープだ」

 即答だった。

 ヒトシは頷き、それを頼む。

 最初に出てきたのは、パン。

 大きく、茶色い。

 表面は硬そうだ。

(……パンだ)

 ゴブリンとして生きてきて、

 焼いた木の実や肉は食べた。

 だが、パンは初めてだ。

 手に取る。

 温かい。

 香ばしい小麦の匂い。

 齧る。

「……硬っ」

 思わず声が漏れた。

 歯応えが強い。

 だが、噛み締めると、じわりと甘みが出てくる。

(……悪くない)

 噛むほどに、味が広がる。

 続いて、スープ。

 鶏肉と野菜を煮込んだ、素朴なものだ。

 一口。

 ――美味い。

 油のコク。

 野菜の甘み。

 鶏の旨味。

(……ああ)

(これが)

(人間の飯か)

 派手さはない。

 だが、落ち着く味だった。

 ヒトシは、無言で食べ進める。

 満たされていく。

 腹だけでなく、

 どこか、心の奥まで。


 食堂を出た後、

 ヒトシは武器屋に立ち寄った。

 冷やかしのつもりだった。

 だが――

(……あ)

 目に留まる。

 剣。

 見覚えのある造り。

 柄の角度。

 刃の厚み。

 重心の位置。

(……グルマのだ)

 間違いない。

 値札を見る。

 ――高い。

 上の下。

 量産品より明らかに上。

(……売れてるな)

 店主が、誇らしげに言う。

「最近入ったやつでな。作りは地味だが、よく切れる」

「銘は……?」

「“グルマ”だ」

 ヒトシは、思わず笑いそうになった。

(……あいつ)

(ちゃんと名前、残してやがる)

 街で評価されている。

 それも、技術として。

 誇らしさと同時に、

 別の感情も湧く。

(……この流れ)

(売れないのは剣のせいではない、続けられる)


 武器屋を出る頃、

 空は少し赤くなり始めていた。

 ヒトシは、歩きながら息を吐く。

(……街は、刺激が多い)

 人。

 物。

 価値。

 すべてが、森とは違う。

 適応進化が、

 静かに反応しているのを感じた。

(……悪くない)

 ふと、意識の端に表示が浮かぶ。

【残り適応時間:12時間32分】

 ヒトシは、足を止めずに笑った。

(……まだ、余裕はある)

 今日は、もう少し街を見よう。

 森に帰るのは――

 もう少し先だ。

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