第7話 守るために、作る
ゴブリンリーダーが死んだ翌朝、森は何事もなかったかのように静かだった。
鳥は鳴き、木々は揺れ、湿った土の匂いが立ち込めている。
だが、ヒトシの目にははっきりと分かっていた。
――昨日までとは、空気が違う。
火の周りに集まる視線。
何かを待つような間。
指示が出るのを、無意識に期待している雰囲気。
ゴブリンは八体。
元の集落から分かれた、少数の群れだ。
数だけを見れば、弱い。
だが、全員が「選んでここにいる」。
それだけで、昨日までの群れとは別物だった。
「……まず、落ち着こう」
ヒトシは、火の前に立ち、ゆっくりと周囲を見回した。
昨日は戦いだった。
今日は、生きる準備だ。
敵は、まだ来ていない。
だからこそ、今やるべきことがある。
「ここを、拠点にする」
言葉は通じなくても、意図は伝わる。
ヒトシは、少し開けた地形を指差した。背後には岩場があり、片側は木々が密集している。正面以外からの侵入は難しい。
守るなら、ここしかない。
(逃げ続けるのは、もう終わりだ)
逃げるだけでは、いずれ追いつかれる。
ならば、守れる場所を作るしかない。
ゴブリンたちは、黙って頷いた。
最初にやったのは、住む場所の確保だった。
枝を集め、葉を重ね、簡易的な寝床を作る。
出来は粗い。雨風を完全に防げるわけではない。
だが、地面で眠るよりは遥かにいい。
何より――
**「ここが自分たちの場所だ」**という意識が芽生える。
ゴブリンたちの動きは、拙いが真剣だった。
誰一人、ふざけたり、手を抜いたりしない。
昨日までは、命令されることに慣れていなかったはずなのに。
(……伸びてるな)
《適応進化》の影響だろう。
環境が変われば、反応も変わる。
それは、ヒトシ一人の力ではない。
群れ全体が、少しずつ「考える」ようになっている。
次に手をつけたのは、防衛だった。
「ここ」
ヒトシは、村の正面を指した。
木の枝を斜めに打ち込み、簡易的な柵を作る。
高さは低い。
正直、オーク相手では破壊されるだろう。
だが、それでいい。
目的は、防ぐことじゃない。
遅らせることだ。
敵が止まれば、考える時間ができる。
時間があれば、罠が生きる。
罠が生きれば、
生き残れる確率が上がる。
「……全部、繋がってる」
ヒトシは、独り言のように呟いた。
【《適応進化》が反応】
【定住行動を確認】
【防衛構造の構築を検知】
【集団の危機意識:上昇】
昼を過ぎた頃、
森の見回りに出していたゴブリンが、慌てて戻ってきた。
息が荒く、落ち着きがない。
「……見たな」
ヒトシは、すぐに察した。
ゴブリンは、身振りで必死に伝える。
大きい。
太い。
二本足。
牙。
「……オーク」
その言葉を、ヒトシは噛みしめるように呟いた。
予想はしていた。
だが、現実として突きつけられると、胸の奥が冷える。
オークは、ゴブリンとは格が違う。
力も、耐久力も、経験も。
(正面からやったら、全滅だ)
それは、はっきり分かる。
ヒトシは、一瞬、逃げる選択を考えた。
今なら、まだ間に合う。
痕跡を消して、森の奥へ潜めば、見失わせられるかもしれない。
(……でも)
作りかけの寝床。
火の跡。
柵。
ゴブリンたちの、落ち着いた表情。
(ここを捨てたら)
(また、ゼロに戻る)
逃げること自体は、悪くない。
だが、逃げ続ける限り、何も積み上がらない。
そして――
次に逃げる時、もっと不利になる。
ヒトシは、全員を集めた。
言葉は多くない。
「ここは、俺たちの村だ」
柵を指差す。
「簡単には、渡さない」
ゴブリンたちは、不安そうな表情を浮かべながらも、逃げなかった。
恐怖はある。
だが、それは「どうするか」を考える恐怖だ。
何もできずに奪われる恐怖とは、違う。
夕暮れ。
森の奥から、低く太い鳴き声が響いた。
――オォォォ……
空気が、震える。
ゴブリンたちが、一斉に身を強張らせる。
ヒトシは、火を見つめながら、静かに呟いた。
「……来るな」
オークが。
間違いなく。
ヒトシは、拳を握りしめた。
怖い。
正直、勝てる気はしない。
だが。
(それでも)
(考えることは、やめない)
逃げるか。
戦うか。
罠を使うか。
まだ、選べる。
「……生き残る」
それだけは、変わらない。
小さな村は、
次の試練を迎える準備を始めていた。




