第65話 売り場で起きた、静かな異変
ナンは食器を街に運びながら考える。
正直に言えば、私は半信半疑だった。
森で見たときは、確かに綺麗だった。
木目は揃い、縁は滑らかで、触った指に引っ掛かりがない。
だが、それはあくまで「森の中で見た感想」だ。
(街で売れるかどうかは、別)
私は商人だ。
良い物と、売れる物は違うことを、嫌というほど知っている。
馬車の荷台には、丁寧に布で包んだ箱。
中身は、皿、コップ、スプーン、フォーク。
どれも見慣れない意匠だが、奇をてらってはいない。
(……さて)
(どう転ぶか)
街に入ると、いつも通りの喧騒。
屋台の呼び声、馬のいななき、金属の打ち合う音。
私はまず、いつもの市場では売らないことにした。
理由は簡単だ。
あそこは安さと量が正義。
新しい価値を試す場所じゃない。
向かったのは、職人街の端。
道具屋、仕立屋、料理人向けの店が集まる一角だ。
最初の客は、料理人だった。
昼前、仕込みの合間だろう。
腕を組み、私の荷をじっと見ている。
「……木製、か?」
「ええ。でも、ただの木じゃありません」
私は一枚、皿を差し出す。
男は受け取り、指で縁をなぞった。
「薄いな」
「ええ」
「割れにくそうだ」
「ええ」
彼は何も言わず、軽く叩く。
鈍く、落ち着いた音。
「……妙だ」
そう呟いて、男は皿を置いた。
「安物じゃないな」
「ええ」
私は、値段を告げる。
男は、眉をひそめた。
「……高い」
「はい」
私は否定しない。
ここで言い訳を始めたら、負けだ。
男は少し考え、首を振った。
「今日はやめとく」
そして、去ろうとした。
――だが。
「……ちょっと待て」
立ち止まり、振り返る。
「それ、盛り付けたらどう見える?」
「試します?」
私は、すぐ横の屋台から、煮込みを少し分けてもらった。
皿に盛る。
湯気。
色。
皿の縁が、料理を邪魔しない。
男は、黙った。
数秒。
「……これ」
「はい?」
「料理が、静かだな」
私は、内心で息を呑んだ。
(分かる人だ)
派手じゃない。
主張しない。
だが、引き立てる。
「一枚、置いていく」
男はそう言って、銀貨を置いた。
値切りも、文句もなかった。
そこから、流れが変わった。
道具屋が覗き、
仕立屋が手に取り、
給仕が「軽い」と呟いた。
誰も「すごい」とは言わない。
だが、全員が同じ反応をする。
「……使いやすいな」
それは、商人にとって最高の言葉だ。
午後、私は別の通りへ移った。
今度は、貴族の屋敷に納める御用商人の溜まり場。
ここは慎重に行かないといけない。
武器なら、即座に目を付けられる。
だが、食器なら――。
「変わった意匠ですね」
若い男が声をかけてくる。
「どこの工房です?」
「……森の奥です」
冗談めかして答えると、男は笑った。
「冗談がお上手だ」
私は、コップを渡す。
軽い。
持ちやすい。
口当たりが良い。
「……なるほど」
男は、静かに頷いた。
「これは」
「“新しい”のではなく、“整っている”」
その言葉に、私は心の中で叫んだ。
(そう!それ!)
彼は続ける。
「奇抜ではない」
「だが、今までのどれとも違う」
「これは……広がりますよ」
夕方。
私は、売れ残りを確認する。
……少ない。
(売れてる)
(派手じゃないのに)
それが、何よりの証拠だった。
市場の端で、二人の料理人が話しているのが聞こえた。
「例の皿、どうだった?」
「悪くない」
「料理が落ち着く」
――噂が、自然に回り始めている。
私は、馬車に戻りながら思う。
(あの森)
(あのゴブリン)
(……いや)
(ヒトシ)
彼は、分かっている。
武器は、奪われる。
だが、文化は奪えない。
真似はできても、
同じ環境は作れない。
技術を共有し、
分業し、
量を安定させる。
(……これは)
(大きくなる)
私は、手綱を握り直した。
次は、注文だ。
個数じゃない。
継続だ。
この静かな異変は、
きっと街の中で、ゆっくりと広がっていく。
そして誰も気づかないまま――
価値観が、少しずつ書き換えられていくのだ。




