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第60話 歪みはじめた噂

 最初は、偶然だった。

 ナンが街に持ち込んだ剣の一本が、

 露店ではなく、武器屋の奥で試し斬りされた。

「……妙だな」

 店主はそう呟いた。

 切れ味がいい。

 刃こぼれしない。

 軽すぎず、重すぎない。

 だが、何より――

 使っていて“嫌な癖がない”。

「銘は……“グルマ”?」

 聞いたことのない名だった。

 有名工房の刻印でもなければ、

 貴族御用達の鍛冶師でもない。

 それなのに、

 仕上げが、異様に整っている。

「これ、どこで?」

 ナンは、いつも通り笑って誤魔化した。

「ええと……森の方で」

 それ以上は言わなかった。

 だが、その一本が、

 すべての始まりだった。

 数日後。

 別の武器屋でも、同じ話が出始める。

「最近、妙に出来のいい剣が回ってきてる」

「値段の割に、完成度が高すぎる」

「これ、どこの流通だ?」

 最初は、好意的だった。

 “掘り出し物”

 “無名だが当たり”

 そんな評価が、じわじわと広がった。

 だが、街という場所は、

 評価が集まるほど、疑念も集まる。

「……安すぎないか?」

 ある武器商が、ぽつりと言った。

「これだけの出来なら、

 もっと高値で出してもいいはずだ」

「なのに、相場より一段安い」

「まるで……」

 言葉が、濁る。

「……どこかで、

 人件費を削っているみたいだな」

 それは、

 誰も口に出さなかった“懸念”だった。

 職人を使い捨てにしているのではないか。

 奴隷労働ではないのか。

 違法な工房ではないのか。

 証拠はない。

 だが、疑いは芽生えた。

 さらに、問題は別の方向からも広がった。

「この剣、持ちがいい」

「刃の減りが遅い」

「買い替えが減るな……」

 武器屋にとって、

 **“長持ちしすぎる武器”**は、

 必ずしも歓迎される存在ではない。

 修理の依頼が減る。

 買い替えの頻度が落ちる。

「……悪い剣じゃない」

「だが、商売としては、扱いづらい」

 そう判断する店が、少しずつ増え始めた。

 そして、決定的だったのは――

 出所がはっきりしないこと。

「製造元は?」

「工房は?」

「保証は?」

 ナンは、答えられなかった。

 嘘はつける。

 だが、具体的な名前が出せない。

 それだけで、街では致命的だった。

「……悪いが」

 ある武器屋は、申し訳なさそうに言った。

「次からは、

 この剣は扱えない」

「理由は?」

「噂が立ち始めている」

「どんな?」

「――“正体不明の工房”だ」

 噂は、形を変えて広がる。

「森の奥に、

 正体不明の鍛冶集団がいるらしい」

「人間じゃない、って話だぞ」

「魔物が作ってるとか……」

 誰かが冗談めかして言い、

 誰かが真顔で受け取る。

 そして最後に、

 必ずこう締められる。

「……関わらない方が、いい」

 ナンは、夜の宿で頭を抱えた。

(売れなくなったわけじゃない)

(だが……)

(“扱いづらい商品”になっている)

 需要はある。

 品質も評価されている。

 それなのに、

 流通の壁が、見えない形で立ちはだかっている。

 街という場所は、

 剣の切れ味だけでは回らない。

 信用。

 保証。

 説明責任。

 それらが揃わないものは、

 自然と弾かれる。

 森に戻ったナンは、ヒトシに報告した。

「……売れなくなりそうです」

「正確には、

 “売りづらくなってきている”」

 ヒトシは、静かに聞いていた。

「理由は?」

「品質が良すぎる」

 一瞬、沈黙。

「……それは、問題だな」

 ヒトシは、苦笑した。

「街は、“良すぎるもの”を怖がる」

「説明できない力は、

 警戒される」

 ナンは、驚いた顔をした。

「……怒らないんですね」

「当然だ」

 ヒトシは、即答する。

「これは、失敗じゃない」

「次の段階に来ただけだ」

 剣は、街に届いた。

 評価も、された。

 そして今、

 “正体を問われる段階”に入った。

 ヒトシは、確信する。

(ここからだ)

(街に溶け込むか)

(街の外に、別の流れを作るか)

 適応進化は、まだ沈黙している。


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