第58話 商人は嘘をつかない
ナンは、森を出るときも落ち着きがなかった。
いや、正確には――
落ち着こうとして失敗している、が近い。
「えーと、塩がこれだけ、砂糖がこれだけ」
「布と針と金具……よし」
荷を地面に並べ、工房から持ち出した品と照らし合わせる。
木彫りの置物。
弓。
槍。
剣。
どれも数は少ない。
だが、ナンの目は爛々と輝いていた。
「ちゃんと等価で交換してるから、ご心配なく!」
ヒトシに向かって、早口で言う。
「塩は相場より少し多め!」
「砂糖は……これはもうサービス!」
「私が興奮してるからって、騙したりしないわよ!」
ヨークが、半眼で言う。
「……誰も疑ってねぇよ」
ナンは、ぱっと振り返る。
「そこが商人の矜持よ!」
「信用は、最初の取引で決まるの!」
そう言い残すと、
ナンはほとんど駆け足で森を出ていった。
まるで、
売り場が待ちきれないとでも言うように。
街。
午後の市は、人で溢れていた。
露店の声。
金属の音。
香辛料の匂い。
ナンは、いつもの場所に荷を下ろす。
「……さて」
深呼吸は、しない。
今は、勢いが必要だった。
まず出したのは、木彫りの置物。
小さな獣を模したものだ。
通りがかりの男が、足を止める。
「……何だ、これ」
手に取った瞬間、
眉が動いた。
「……緻密だな」
彫りは荒い。
だが、線が生きている。
無駄な削りがない。
「土産物か?」
ナンは、にっこり笑う。
「ええ」
「でも、同じ物は二つとないわ」
男は、値を聞き、少し驚く。
それでも――
置物を戻さなかった。
「……持ってく」
最初の取引が、成立する。
ナンの口角が、ほんの僅かに上がった。
次に、剣。
布に包んだまま、
鍛冶屋の前で広げる。
「……これ、直し前?」
鍛冶屋が、即座に気づいた。
「ええ」
「でも、素材はいい」
鍛冶屋は、刃を撫でる。
欠け。
歪み。
だが。
「……仕上げをすれば、輝くぞ」
目が、真剣になる。
「これ……銘があるな」
柄の付け根。
小さく刻まれた文字。
「……グルマ?」
ナンは、何も言わない。
ただ、微笑む。
鍛冶屋は、鼻で笑った。
「聞いたことはねぇ」
「だが」
「名前を刻むってのは、覚悟だ」
値を提示する。
ナンは、即答しない。
少し考え――
首を横に振る。
「……もう少し」
鍛冶屋は、目を細める。
「強気だな」
「ええ」
「でも、後悔はさせない」
一拍。
「……分かった」
値が、上がる。
ナンは、内心で息を吐いた。
(……当たった)
弓と槍も、同じだった。
安売りはしない。
だが、押し付けもしない。
「これ、誰が作ったんだ?」
何度も聞かれる。
ナンは、同じ答えを返す。
「……辺境の、無名の工房よ」
それで、十分だった。
夕方。
ナンは、空になった荷を見下ろす。
売れ残りは、ない。
そして。
「……全部、想定通り」
金額も。
反応も。
そして何より――
“次も欲しい”という声。
ナンは、笑った。
「……妄想じゃなかった」
森の奥を、思い浮かべる。
火を据えた工房。
不格好だが、真面目な仕事。
そして、
価値を知らずに作る魔物たち。
(……これは)
(……面白くなる)
ナンは、足早に歩き出す。
次は、
もっと多くの話と、
もう少し重い荷を持って。
商人の妄想は、
今日、現実になった。




