第57話 止まらない商人
工房の前で、ナンは立ち尽くしていた。
……三秒。
……五秒。
そして――
「ちょ、ちょっと待って!」
突然、声が跳ね上がった。
「これ、見ていいの!?」
返事も待たず、工房に一歩踏み込む。
炉。
素材の山。
叩きかけの刃。
「え、何これ何これ!」
「火の位置がいい!」
「風の抜けも悪くない!」
「え、これ誰が考えたの!? ゴブリン!? 本当に!?」
グルマが、面倒そうに言う。
「俺だが?」
「……何だ、うるせぇな」
「うるさい!?」
ナンは、目を輝かせたまま振り向く。
「うるさくなるに決まってるじゃない!」
「これ見てテンション上がらない商人いないわよ!」
素材を指差す。
「これね!」
「これ“未完成”なのが最高!」
「完成品はね、売り先が限られるの!」
「でも途中なら――」
指を折り始める。
「鍛冶屋! 修理屋! 冒険者!」
「用途が分岐する!」
「つまりね!」
ぐいっとヒトシに詰め寄る。
「売れる先が三倍!」
ヒトシは、一歩引いた。
「……落ち着け」
「無理!」
即答だった。
「だって考えてみて!」
「この品質!」
「この量!」
「この立地!」
工房全体を見渡す。
「街の裏手でこれがあったら、取り合いよ!」
「いや、取り合いになる前に潰されるかも!」
「つまり秘密は重要!」
「でも秘密にしすぎると価値が伝わらない!」
「だから!」
息を吸う。
「私が間に入る!」
ヨークが、腕を組んで呆れ顔になる。
「……なぁ」
「こいつ」
「俺よりうるさくねぇか?」
グルマが、鼻で笑う。
「……確かに」
「洞穴にいた頃より、耳が疲れる」
ナンは、気にしない。
今度は剣を手に取る。
「この刃!」
「これね、街なら『直せる前提』で値がつく!」
「新人鍛冶が喉から手が出るやつ!」
「あ、でも!」
急に真顔。
「武器は慎重にね」
「売れるけど、目立つ」
「量は抑えましょ」
「代わりに!」
木彫りの置物を持ち上げる。
「こういうの!」
「護符扱い! 土産扱い!」
「話が付けば、値段は空気で決まる!」
ヒトシは、少し考えて言った。
「……条件は?」
ナンは、ぱっと笑った。
「量はいらない!」
「安定だけ!」
「それから!」
指を一本立てる。
「この工房の話は、私が売る!」
「名前は出さない!」
「場所も伏せる!」
「でも!」
強く言い切る。
「価値があるとは、言う!」
サラが、小声で呟く。
「……完全に本気ね」
アンも頷く。
「商人の顔だ」
ナンは、最後にヒトシを見る。
「ね?」
「面白いでしょう?」
ヒトシは、少しだけ笑った。
「……ああ」
「思ったより、な」
ナンは、満足そうに頷いた。
「じゃあ決まり!」
「これは取引じゃないわ」
「共犯よ」
工房の火が、勢いよく揺れた。
この日、
村は初めて――
商人の妄想に組み込まれた。
それがどれほど危険で、
どれほど価値のあることか。
まだ、誰も知らなかった。




