第52話 役割が生まれた日
洞穴の空気は、まだ落ち着いていなかった。
泣き笑いを終えたグルマは、何度も深呼吸を繰り返している。
「……ああ、くそ」
「胸の奥に詰まってたもんが、一気に抜けた気分だ」
ヒトシは、黙ってその様子を見ていた。
ヨークが一歩前に出る。
そして、迷いなく手を差し出した。
「グルドを殺ってくれたな、兄弟!」
グルマは一瞬、目を見開いた。
次の瞬間。
「はっ!」
笑って、その手を強く握り返す。
「上出来だ、兄弟!」
ゴツ、と拳を打ち合わせる。
その瞬間だった。
【――《適応進化》が反応】
【役割の成立を確認】
【個体名:グルマ】
【個性:ものづくり】
空気が、揺れた。
派手な光も、轟音もない。
だが――
確実に、何かが変わった。
グルマが、ふらりとよろめく。
「……おい」
「何だ、これ」
額に手を当てる。
「……頭が、すっきりすんぞ!」
目が、いつもより冴えている。
視線が速い。
洞穴の壁、道具、素材――
一瞬で見渡し、理解している。
「……ああ、そういうことか」
独り言のように呟く。
「……今まで、霧がかかってたみてぇだ」
ヨークが、にやりと笑う。
「それ」
「癖になるよなぁ」
グルマが、ヨークを見る。
「……お前も、か?」
「何度か、あった」
ヨークは肩をすくめた。
「ボスが何か決断するときとかな」
ヒトシは、静かに息を吐いた。
(……個体名)
(……個性)
それは、初めて見る反応だった。
戦闘でも、群れでもない。
役割に対する進化。
「……技術者、か」
ヒトシが、低く呟く。
グルマは、にやりと笑った。
「悪くねぇ響きだ」
「少なくとも、洞穴に籠もってるだけのゴブリンよりはな」
そのとき。
「……ねぇ」
サラが、首を傾げた。
「何か……」
「私たちにも、影響出てない?」
メリーが、目を閉じる。
「……集中しやすい」
「言葉が、整理される感じがします」
アンも、短く頷いた。
「判断が、早い」
ヒトシは、確信する。
(……これは)
(……“誰かが役割を得た”だけじゃない)
(……周囲も、それに適応してる)
グルマという技術者が生まれた。
それは、
群れの中に、新しい歯車が組み込まれたということだ。
そして、歯車は一つだけでは回らない。
サラたち冒険者。
ヨーク。
ヒトシ自身。
それぞれが、
無意識に“噛み合う側”へと、押し出されている。
グルマは、手を握ったまま言った。
「……なぁ」
「俺、条件がある」
ヒトシは、視線を向ける。
「命令は、聞かねぇ」
「でも」
「作る場所と、素材があるなら」
少しだけ、真剣な顔で続ける。
「……本気でやる」
ヒトシは、即答しなかった。
だが、ゆっくりと頷く。
「……十分だ」
洞穴は、もう逃げ場ではない。
工房になる。
そしてこの日。
群れは、初めて――
“役割”を持った存在を得た。




