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第46話 塩の価値

 ヒトシは、正直に言った。

「……金は、ない」

 少しも格好をつけない。

 隠す意味もない。

 ナンは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに笑った。

「ですよね」

「森の中で貨幣経済は、無理があります」

 そう言って、肩にかけていた大きな袋を下ろす。

「だから、物々交換で」

 ヒトシは、ほっと息を吐いた。

 ――助かった。

 内心ではそう思っているが、表情には出さない。

「……見せてくれ」

 ナンが袋の口を開く。

 布の内側から、いくつかの小袋が現れた。

 乾燥した薬草。

 簡易な布。

 金属の針。

 どれも魅力的だ。

 だが――

 ヒトシの視線は、ある一点で止まった。

「……塩」

 白い粒。

 それを見た瞬間、迷いはなかった。

「……これだ」

 ナンは、少し驚いた顔をする。

「塩、ですか?」

「地味ですけど……いいんです?」

 ヒトシは、静かに頷いた。

「……一番、必要だ」

 保存。

 味付け。

 体調管理。

 人として生きていた頃の知識が、即座に答えを出していた。

 ナンは、ふっと笑う。

「……なるほど」

「本当に、普通の感覚ですね」

 代わりにヒトシが差し出したのは、

 森で採れた樹の実だった。

 見た目は地味だが、

 甘みと酸味のバランスがいい。

 ナンは一つ、口に入れて目を瞬かせる。

「……これ、加工してないのに」

「……質がいい」

「……分かりました、成立です」

 こうして、

 最初の交易はあっさり成立した。

 その日の夕方。

 ヒトシは、肉を焼かせた。

 いつも通りの狩りの獲物。

 いつも通りの焚き火。

 だが今日は――

 小さな袋から、塩を取り出す。

「……これを」

 指先で、振る。

 白い粒が、焼けた肉の表面に落ちる。

 ジュッ、という音。

 立ち上る香りが、明らかに違った。

 周囲の魔物たちが、ざわつく。

「……匂い、違う」

「……腹、減った」

 ヒトシは、一切れ切り分け、

 まず自分で口に運んだ。

「……」

 噛んだ瞬間、確信する。

(……やっぱり)

(……全然、違う)

 肉の脂。

 旨味。

 それを引き立てる塩。

 それは、人として当たり前に知っていた味だった。

「……食べてみろ」

 次に、ヨーク。

 そしてメイ。

 ゴブリン、オーク、コボルトへ。

 最後に、ナンにも差し出す。

「……どうぞ」

 ナンは遠慮がちに受け取り、一口。

 次の瞬間、目を見開いた。

「……え?」

 もう一口。

「……ちょっと、待って」

 三口目で、完全に固まる。

「……美味しい」

「……え、これ」

「……街で食べる肉より……」

 冒険者の三人も、同じ反応だった。

 サラが、思わず言う。

「……何これ」

「……屋台より、美味しい」

 アンも、真顔で頷く。

「……塩だけ、ですよね」

 メリーは、ヒトシを見る。

「……味付け、知ってる人の味だわ」

 ナンは、はっとしたようにヒトシを見る。

(……そうか)

(……この森)

(……ただ食べてるだけじゃない)

 価値を、作っている。

 魔物が、

 ただ獲って、焼いて、食うだけではなく。

 “どう美味しくするか”を考えている。

 それは、付加価値だ。

【――《適応進化》が反応】

【文明的味付けを検知】

【旨味の追求を確認】

【生活進化:食文化】

【満足度上昇】

【集団士気:向上】

 ヒトシは、内心で苦笑した。

(……味付けで、進化するのかよ)

 だが、納得もしている。

 食は、生きる基盤だ。

 そこが変われば、

 すべてが変わる。

 食事の後。

 ナンは、荷物をまとめながら言った。

「……また、来ます」

「次は、もう少し」

「……色々、持ってきますね」

 ヒトシは、短く頷いた。

「……こちらも」

「……用意しておく」

 ナンは、ネコ耳を揺らしながら笑う。

「今後も、よろしくお願いします」

 そうして、森を出ていった。

 夜。

 焚き火のそばで、ヒトシは一人考える。

(……金、か)

 物々交換でも、当面はやっていける。

 だが、限界はある。

(……金があれば)

(……もっと、いい暮らしができる)

 塩一つで、

 ここまで変わる。

 なら――

 次は、何が変わる?

 ヒトシは、焚き火を見つめながら、

 静かに思った。

(……生き残る、だけじゃ)

(……もう、足りないな)

 森は、確実に

 文明の匂いを帯び始めていた。

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