第41話 名を与えるということ
空気が、妙に張りつめていた。
誰も命令していない。
誰も止めてもいない。
それでも、全員が自然と輪を作っていた。
中心にいるのは、
ヒトシと――陽気なオーク。
「……なあ」
オークは、頭をかきながら笑う。
「冗談、だよな?」
「名前がどうとか」
「俺、今までこのままで困ってねえし」
軽口だ。
だが、どこか落ち着かない。
ヒトシは、その様子を見て、少し間を置いてから口を開いた。
「……無理に、やることじゃない」
声は、穏やかだった。
「……名前は」
「……役目を縛るものでもある」
「……お前が嫌なら、やめる」
それを聞いて、
冒険者三人は、はっとする。
強制しない。
ここでも、ヒトシは同じだった。
陽気なオークは、しばらく黙り込んだ。
やがて、視線を上げる。
「……なあ、ヒトシ」
「名前ってさ」
「……誇っていいもん、なんだよな?」
ヒトシは、短く頷いた。
「……そうだ」
その瞬間だった。
オークは、にっと笑った。
「じゃあ」
「一回くらい、調子に乗ってもいいか!」
場が、少し和む。
だが――
次の瞬間、空気が変わった。
【――《適応進化》が強制反応】
今度は、警告が先に来た。
【高位行為を検知】
【命名行為:世界干渉レベル】
ヒトシの喉が、鳴る。
(……高位?)
(……俺が?)
グルナが、低く呟いた。
「……来るぞ」
「……名を与えるってのは」
「……世界に、その存在を刻む行為だ」
ヒトシは、陽気なオークを見る。
ふざけた態度は、消えていた。
真剣な目。
名を受け取る覚悟の目。
ヒトシは、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「……お前は」
「……この群れの中で」
「……誰よりも、場を和ませてきた」
「……戦う時も」
「……逃げる時も」
「……一番前で、笑ってた」
陽気なオークが、鼻をすする。
「……やめろよ」
「……照れるだろ」
ヒトシは、少しだけ口元を緩めた。
「……調子に乗りそうだから」
「……今まで、名前は呼ばなかった」
「……だが」
「……今は、必要だと思った」
そして。
はっきりと、告げる。
「……ヨーク」
その瞬間。
【命名完了】
【対象:オーク個体】
【名称:ヨーク】
【格付け更新】
空気が、震えた。
派手な光はない。
雷鳴もない。
だが――
確実に、世界が一段深く鳴った。
ヨークの背筋が、ぴんと伸びる。
「……あ?」
自分の声が、少し違うことに気づく。
頭の中が、妙に澄んでいる。
「……なんだこれ」
「……悪く、ねえな」
ゴブリンたちが、ざわつく。
「……名前」
「……本当に、付いたぞ」
グルナは、息を吐いた。
「……ドラゴン以外で」
「……命名が通るのは」
「……初めて、見た」
【命名権限:暫定承認】
【魂属性による例外処理】
【人の魂を持つ魔物:命名可能】
ヒトシの胸に、重たい感覚が残る。
(……俺は)
(……もう、ただの群れの長じゃない)
それでも。
ヨークは、いつもの調子で笑った。
「いやぁ!」
「王も俺みたいなセンスなんですね!」
その言葉に、
思わずサラが吹き出す。
アンも、口元を緩める。
メリーは、感慨深そうに呟いた。
「……名前って」
「……すごいんだね」
メイは、静かにヒトシを見る。
「……じゃあ」
「……いつか」
「……私も?」
ヒトシは、少しだけ困った顔をした。
「……その時は」
「……ちゃんと、考える」
その言葉は、約束だった。
名を持つ魔物が、一体増えた。
だが、それ以上に重要なのは――
名を与える存在が、ここに生まれたことだ。
この日。
ヒトシはまだ、王を名乗っていない。
だが世界は、静かに認識し始めていた。
――境界の森に、
名を与える存在がいる、と。




