第34話 一晩という時間
夜は、思ったより早く来た。
森の奥に設けられた仮の囲いの中で、サラは地面に座らされていた。縄は解かれていないが、締め付けは緩い。逃げられない程度に、ただ存在を固定するためのもの。
(……放置、されてる)
それが、何よりも不安だった。
殴られない。
脅されない。
怒鳴られもしない。
代わりにあるのは、距離だ。
囲いの外を、ゴブリンたちが行き交う。
時折、こちらを見る。
声を潜めて、何かを話す。
意味は分からない。
だが、感情は分かる。
期待。
高揚。
そして――待つ、という空気。
「……サラ」
アンが、低い声で呼んだ。
「……これは、良くない」
「……分かってる」
サラは短く答えた。
メリーは、少し離れた位置で横になっている。麻痺はまだ抜けきっていないようで、指先を動かすたびに、顔をしかめていた。
「……ねえ」
メリーが、掠れた声を出す。
「……あのゴブリン、来ないね」
サラは、囲いの外を見た。
焚き火のそば。
少し離れた場所。
彼――ヒトシは、そこにいた。
こちらを見ていない。
近づいてもこない。
(……忘れられてる、わけじゃない)
(……むしろ、逆)
彼が何もしないからこそ、
周囲のゴブリンたちの視線が、こちらに集まる。
誰かが、囲いに近づく。
指を伸ばす。
その瞬間。
「……下がれ」
低い声。
ヒトシだった。
たった一言で、
そのゴブリンは距離を取る。
不満そうな空気。
だが、逆らわない。
それを見て、
サラの胸に、別の恐怖が生まれた。
(……守られてる、のか?)
(……それとも)
(……管理されてるだけ?)
夜が、深まる。
焚き火の音。
肉の焼ける匂い。
笑い声。
ゴブリンたちは、普段通りの夜を過ごしている。
捕虜がいることが、特別ではないかのように。
それが、怖い。
(……日常、なんだ)
アンが、息を整えながら呟いた。
「……私たちがどうなるか」
「……もう、決まってるのかもしれない」
サラは、答えなかった。
決まっていない。
だが、決められる側だ。
その事実だけが、重くのしかかる。
夜半。
風が冷たくなる。
囲いの中で、三人は眠れなかった。
目を閉じても、音が消えない。
気配が、近づいたり、離れたりする。
時折、ゴブリンがこちらを見る。
値踏みするような視線。
そのたびに、心臓が跳ねる。
(……このまま、朝を迎えるのか)
(……迎えられるのか)
その時。
ヒトシが、囲いの前に立った。
焚き火の明かりで、影が揺れる。
三人は、息を止めた。
だが、彼は何もしない。
ただ、短く言った。
「……夜が明けるまで」
「……ここで待て」
それだけだ。
理由も、説明もない。
だが――
それが、命令だと分かった。
ヒトシは、背を向けて去っていく。
その背中を見ながら、
サラは、はっきりと感じていた。
(……これは)
(……一番、嫌なタイプの相手だ)
優しくもない。
残酷でもない。
ただ、自分の基準で決める存在。
夜は、まだ終わらない。
そして、この一晩が、
三人の未来を決める時間になる――
そんな予感だけが、静かに積もっていった。




