第33話 静かな檻の外
縄は、きつくはなかった。
だが、それが逆に不気味だった。
サラは、背中に回された手首の感触を確かめながら、ゆっくりと呼吸を整えていた。縛りは的確で、血は止まらないが、無理に動かなければ痛みも少ない。
(……慣れてる)
捕らえることに、だ。
森の中を歩かされながら、サラはそう思った。
前を行くゴブリンたちは、決して乱暴ではない。引きずることも、押すこともない。ただ、逃げられない位置を保ち、淡々と進んでいる。
それが、逆に怖かった。
「……サラ」
小さな声。
隣で歩くアンが、視線だけを動かしてきた。
「……最悪の想定、しておいた方がいい」
アンの声は低く、落ち着いている。だが、その奥にある緊張を、サラは聞き逃さなかった。
「……分かってる」
分かっている。
だが、想定できない種類の不安が、胸の奥に溜まっていた。
後ろから、メリーの息遣いが聞こえる。
頭を打った影響か、少し荒い。
(……生きてる)
少なくとも、今は。
だが、この先は?
森を進むにつれ、視線が増えていく。
木の影。
岩の陰。
枝の上。
ゴブリンだ。
数が、思っていたより多い。
「……こんなに、いた?」
メリーが、震える声で呟いた。
その言葉に、周囲のゴブリンが反応する。
ざわ、と空気が揺れた。
視線が集まる。
ひそひそとした声。
意味は分からないが、感情は伝わる。
(……興奮してる)
サラは、背筋が冷えるのを感じた。
期待。
好奇心。
そして――欲。
捕虜を得た群れの、素直な反応だ。
(……まずい)
頭の中で、警鐘が鳴る。
これまでの戦いでは、彼らは理性的だった。
だが、集団になった瞬間、空気が変わる。
誰かが笑う。
誰かが近づく。
誰かが、距離を測る。
その一つ一つが、悪い予感を積み上げていく。
「……ねえ」
メリーが、声を震わせる。
「……あのゴブリン、来ないよね?」
視線の先。
リーダー的なゴブリン――
森の中で、命令を出していた存在。
彼は、少し離れた位置を歩いていた。
こちらを見ていない。
近づいてもこない。
その態度が、余計に不安を煽る。
(……何を考えてる?)
サラは、唇を噛んだ。
普通なら、捕虜を確認しに来る。
怯えているか、抵抗しないか。
だが、彼は違う。
まるで――
結果が分かっているかのように、距離を保っている。
村が見えてきた。
粗末だが、確かに「拠点」と呼べる場所。
ゴブリンたちの声が、一段と大きくなる。
期待が、はっきりと形になる。
誰かが手を叩く。
誰かが、品定めするように視線を走らせる。
サラは、喉が渇くのを感じた。
(……これは)
(……助かった、で終わる流れじゃない)
アンも、無言で頷いている。
メリーは、唇を噛みしめ、目を伏せた。
その時。
「……下がれ」
低い声が、響いた。
ざわついていた空気が、ぴたりと止まる。
リーダー的なゴブリン――ヒトシが、一歩前に出ていた。
「……触るな」
短く、はっきりと。
周囲のゴブリンたちは、不満そうにしながらも距離を取る。
その様子を見て、
サラは、別の種類の恐怖を覚えた。
(……止められる、ってことは)
(……逆に言えば)
(……止めなければ、どうなる?)
ヒトシは、捕虜の三人を一瞥した。
感情のない目。
だが、冷たいわけではない。
ただ――
決めている目だった。
(……この先)
(……良い未来は、想像できない)
サラは、はっきりとそう思った。
命は、まだある。
だが、
この場所で、何が始まるのか――
それだけは、分からなかった。
そして、それこそが、
一番、恐ろしいことだった。




