第28話 割に合わない仕事
森に入ってから、半日ほどが経っていた。
湿った土が靴底に絡みつき、歩くたびに鈍い感触を残す。視界は悪く、木々の間を縫うように進まなければならない。それでも、サラの歩みは一定だった。速すぎず、遅すぎず。音を立てない場所を無意識に選びながら進む。
森で生き残るには、力よりも習慣がものを言う。
「……止まって」
メリーが小さく声を出した。
しゃがみ込み、地面を指でなぞる。落ち葉の下に残った、浅い足跡。
「……新しいわ。小さい。数は……三、四体」
「コボルトか」
アンが盾を背負い直す。
依頼内容と一致していた。
森の奥で数を増やしているコボルトの間引き。それだけの仕事だ。
「……追う」
サラは短く言い、進路を変えた。
獣道の先で、動きが見えた。
コボルトが数体、何かを抱えて移動している。狩りの帰りか、別の場所への運搬か。村ではない。だが、まとまっている今が一番叩きやすい。
「……散る前にやるわよ」
サラが剣に手をかける。
アンが半歩前に出て盾を構え、メリーが後方で魔力を練った。
合図は要らない。
最初に飛び出したのはサラだった。距離を一気に詰め、振り向いたコボルトの喉を断つ。剣は骨に当たる感触を残し、すぐに引き戻された。
次の一体が悲鳴を上げかけた瞬間、アンの盾が横から叩きつけられる。小さな体が木にぶつかり、地面に転がった。
メリーの火球が、獣道の先を焼く。狙いは敵ではない。逃げ道だ。
炎が立ち上がり、コボルトたちが散った。
「逃げるわ!」
「追わない!」
サラは即座に判断した。
森での追撃は危険だ。
目的は殲滅ではない。依頼達成だ。
数分で戦闘は終わった。倒れた数体を残し、生き残りは森の奥へ逃げていく。
「……集めましょう」
メリーが言い、魔法で死体を引き寄せる。
一体、二体、三体。
血の匂いが濃くなるにつれ、メリーの動きがわずかに止まった。
「……ねえ」
「多くない?」
アンが数えながら答える。
「……十五」
「まだあるわ」
最終的に数え終えた時、三人は自然と顔を見合わせた。
「……十六」
サラは、静かに息を吐いた。
「依頼は十体だったわよね」
「ええ」
メリーが肩をすくめる。
「最近こういうの多い。ギルドの調査、雑すぎるわ」
「森だから、で済まされる」
アンが盾に腰を預ける。
「逃げた分も含めたら、結構な数になるな」
その声には苛立ちが混じっていた。
恐怖ではない。ただ、手間が増えたことへの不満だ。
「……割に合わない」
サラは淡々と言った。
「報酬は増えないでしょうし」
三人とも、同じ結論に至っていた。
この程度のズレは珍しくない。森ではよくあることだ。
「……追う?」
メリーが一応、確認する。
「しない」
サラは即答した。
「今日は十分。これ以上潜る意味はない」
アンも頷く。
「帰ろう」
三人は迷わず踵を返した。
帰路の森は静かだった。戦闘の痕跡を残しながらも、鳥の声はすでに戻っている。
「……割に合わない仕事だったな」
アンがぼそりと呟く。
「ええ」
メリーが応じる。
「数の確認くらい、ちゃんとしてほしい」
「どうせ言っても変わらない」
サラが短く言う。
「ギルドはいつもそう」
三人は小さく笑った。
まだ余裕がある。
まだ、これは仕事の範疇だ。
この時点では――
この森に、別の意思が潜んでいるなど、考えもしなかった。
少し離れた場所。
木々の影の中で、ヒトシは静かにその背中を見送っていた。
戦闘の一部始終を見ていたが、動く気はない。
「……行ったな」
小さく、メイが言う。
「……ああ」
ヒトシは短く答える。
「……今は、まだだ」
冒険者たちは、何も気づいていない。
それでいい。
この森で何が起きているのかを知るのは、
もう少し先でいい。




