第27話 救援要請 ―― 選択の重さ
夜の森は音が少ない。
虫も鳴かず、風も止まっている。
まるで、何かを待っているかのようだった。
ヒトシは焚き火を見つめながら、目を閉じていた。
(……来る)
理由はない。
だが、確信に近い感覚があった。
次の瞬間。
枝を踏む音。
慎重だが、焦りを隠しきれていない足運び。
ヒトシは立ち上がった。
「……ボス」
見張りに立っていたホブゴブリンが、低く告げる。
「……森の北側から」
「……コボルトが、一体」
一体、という報告が重かった。
(……使者か)
(……それとも、逃げてきたか)
「……通せ」
ヒトシは短く命じる。
迎撃の準備はしない。
だが、油断もさせない。
槍を持つ者たちは、影に残った。
闇の中から現れたコボルトは、昨日の使者――グルナだった。
だが、その姿は明らかに違っていた。
肩で息をし、
毛並みは乱れ、
鎧には乾ききらない血の跡。
(……戦ってきたな)
グルナは数歩進み――
そこで、膝をついた。
土に片膝をつくその仕草に、
周囲の空気が張りつめる。
「……ヒトシ殿」
低く、掠れた声。
「……頼みがある」
ヒトシは、すぐに言った。
「……やめろ」
グルナが、顔を上げる。
「……膝をつく必要はない」
「……昨日、対等だと言った」
一瞬の沈黙。
やがて、グルナはゆっくりと立ち上がった。
「……感謝する」
その声には、誇りが残っていた。
「……だが」
「……今日は、お願いに来た」
「……何があった」
ヒトシの問いは、短い。
感情を挟まない。
それが、話を進める唯一の方法だと理解している。
「……人間だ」
グルナは、即答した。
その二文字だけで、空気が変わる。
「……南の街から」
「……冒険者が、森に入った」
メイが、ヒトシの隣でわずかに身じろぎした。
(……来たか)
予想していなかったわけではない。
だが、現実になると重い。
「……数は?」
「……三」
少数。
だが、それが意味するのは――
経験と自信だ。
「……武装は」
「……剣、盾、魔法」
ヒトシは、静かに息を吐いた。
(……典型的な討伐班)
(……しかも、慣れてる)
「……我らの村は」
グルナの声が、少しだけ低くなる。
「……すでに、襲われた」
その言葉に、ゴブリンたちの間でざわめきが走る。
ヒトシは、制するように手を上げた。
「……被害は」
グルナは、目を伏せた。
「……死者が出た」
「……見張りと」
「……子供だ」
森の静けさが、重くのしかかる。
(……討伐、か)
(……狩る側の論理だ)
ヒトシの胸の奥で、冷たい怒りが形を持つ。
「……なぜ、俺たちに来た」
ヒトシは、あえて聞いた。
助けを求める理由は、分かっている。
だが、言葉にさせる必要があった。
グルナは、真っ直ぐにヒトシを見た。
「……昨日」
「……あなた方を見た」
「……逃げず」
「……考え」
「……選ぶ群れだと、分かった」
媚びはない。
評価としての言葉。
「……力だけの者は、いずれ暴走する」
「……だが、あなた方は違う」
その一言が、重かった。
メイが、静かに口を開く。
「……確認します」
「……我々が介入すれば」
「……人間と衝突する可能性が高い」
グルナは、即座に頷いた。
「……否定しない」
「……だが」
「……このままでは、我らは滅びる」
率直な現実。
嘘は、何一つなかった。
ヒトシは、しばらく黙っていた。
(……行けば、引き返せない)
(……行かなければ)
(……次は、俺たちだ)
頭では、分かっている。
だが、決断は簡単ではない。
「……時間は?」
ヒトシが問う。
「……長くはない」
「……彼らは、効率的だ」
その言葉が、何よりも不気味だった。
ヒトシは、深く息を吸い、吐いた。
「……すぐに答えは出さない」
グルナは、当然だというように頷く。
「……構わない」
ヒトシは、続けた。
「……だが」
「……一つだけ、確認させろ」
グルナが、耳を立てる。
「……俺たちが動いた場合」
「……お前たちは、どうする」
迷いのない答えが、返ってきた。
「……共に戦う」
「……そして、生き残る」
その言葉には、覚悟があった。
【《適応進化》が反応】
【他勢力からの正式な救援要請を検知】
【集団間協調行動の可能性を確認】
【“介入”という選択肢が解放されました】
ヒトシは、夜明け前の空を見上げた。
森の向こうが、
わずかに白み始めている。
(……選ぶ時が来た)
生き残るだけの時代は、
もう終わりだ。
「……夜が明けるまでに」
ヒトシは言った。
「……答えを出す」
グルナは、深く頷いた。
「……待つ」
それだけ言い残し、
コボルトは森の闇へ溶けていった。
ヒトシは、その背中を見送りながら呟く。
「……次は」
「……人間、か」
胸の奥で、
重く、熱い何かが動き始めていた。




