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第26話 森の外から来た者

 その知らせは、夕暮れの風とともに届いた。

「……ボス、森の北側に異形の影が見えます」

 報告に駆け込んできたのは、斥候役のホブゴブリンだった。

 その息は荒く、ただ事ではないと伝えている。

「……人か?」

 ヒトシの問いに、斥候は首を横に振った。

「……犬のような顔です。立って歩き、槍を持っていました」

(……犬面で二足歩行。まさか)

「……コボルト、か」

 ヒトシはつぶやく。

 それは噂でしか聞いたことのない魔物。

 ゴブリンよりも群れを作り、知恵を働かせ、時に交易すら行うという。

(――ここまで来たか)

 ヒトシの胸の奥で、言葉にならぬ予感がうずいた。

 この森はもう、“生き残るだけの場所”ではない。

 他者と向き合う場所に変わりつつある。

「迎え撃つか?」

「いや、待て」

 槍を構えるホブゴブリンたちにヒトシは制止の手を上げた。

「相手は様子を見に来ているだけだ。

 殺す必要はない。……俺とメイで行く」

 周囲がざわめく。

「危険では?」

「罠かもしれません」

 メイが一歩前へ出て、冷静に補足した。

「……確かに危険ですが、彼らは観察に来ているだけです。

 攻める気なら、既に襲撃を仕掛けています」

 その口調は落ち着いていて、理屈が通っていた。

 ヒトシは短く頷く。

「よし。俺たちで確かめよう」

 森を抜けると、視界が開けた。

 斜陽の中、二つの影が立っている。

 武器を手にしてはいるが、構えは低く、敵意は感じられない。

 近づくにつれ、犬のような耳と尻尾、灰褐色の毛並みが見て取れた。

(……やはりコボルトだ)

 一体が前に出て、喉の奥から低い声を発した。

「……その足を止めろ、ゴブリンの長よ」

 ヒトシは立ち止まり、静かに応じる。

「……敵意はない」

 わずかに間を置いて、コボルトの使者が頷いた。

「……我々もだ。

 この森の北を治めるコボルトの群れの使者、グルナと申す。

 今日は、戦のために来たのではない」

「話ができるのか……」

 ヒトシが思わずつぶやくと、隣でメイが囁いた。

「……言語体系が近い。意志疎通は可能です」

 ヒトシは息を整え、正面から向き合う。

「俺はヒトシ。この森の南を拠点とする群れの長だ。

 用件を聞こう」

 グルナは槍を地面に突き立て、慎重に言葉を選んだ。

「……この森は、いま不安定だ。

 オークの群れが消え、ゴブリンの活動が変わった。

 それに――」

 視線がヒトシを射抜く。

「……人間の気配が増えている」

 森の木々がざわりと鳴った。

 風が冷たくなる。

「人間……?」

「南の街から、森に向けて斥候が放たれている。

 このまま乱れが広がれば、我らの森は奴らに目をつけられる」

 グルナの声音には怒りと焦りが滲んでいた。

 しかし、それは恐怖ではなく、この森を守る意思の表れだった。

「……だから来たのか。攻めにではなく、止めに」

「そうだ。互いに無用な戦をせぬよう、取り決めをしたい」

 ヒトシは沈黙する。

 メイが小声で尋ねる。

「……どうしますか?」

「まずは、相手の腹を見よう」

 ヒトシはわずかに前へ出た。

「俺たちはこの森で暮らす。ただ、それだけだ。

 他を侵す気はない」

 グルナは、しばらくヒトシの目を見ていたが――

 やがて槍を下ろした。

「……それで十分だ。

 我らも、争う気はない」

 そう言うと、腰の袋から小さな石版を取り出し、地面に置く。

 そこには古代文字のような刻印が並んでいた。

「……我らの合意の印。これを境としよう」

 ヒトシが石版を見つめていると、メイが耳元で囁いた。

「……魔力を帯びています。契約の象徴でしょう」

(……なるほど。こういう文明もあるのか)

 コボルトの使者は踵を返しかけ、ふと足を止めた。

「もう一つだけ、忠告を」

 その声は低く、森に沈む。

「……人間は、理屈が通じぬ。

 取引も約束も、力で覆す生き物だ。

 気をつけることだ、南の王よ」

 そう言って、彼らは木々の奥へと消えた。

 森の葉擦れの音が、やけに遠くに聞こえた。

 帰り道。

 ヒトシはメイと並んで歩いていた。

「……あいつら、悪い連中じゃなさそうだな」

「ええ。理性的です。ですが――」

「だが?」

「彼らが“使者”を寄越したという事実が重要です。

 それは、我々を一つの国として見たということです」

 ヒトシは、足を止めた。

 国。

 その言葉の重みを、ゴブリンだった頃の自分は理解していなかった。

(……国、か)

 かつてはただの巣。

 火を起こし、狩りを覚え、生き延びるだけの集団。

 だが今――

 他の種族が、対話の相手として認識する存在。

 それは、誇りでもあり、恐怖でもあった。

【《適応進化》が反応】

【外部勢力からの公式認定を確認】

【群れの社会的階層が上昇】

【“組織”から“共同体”へ移行】

 風が止まり、森が一瞬、息を潜めた。

 木々の間を渡る魔力が、どこか祝福のように感じられる。

 メイが小さくつぶやいた。

「……ボス」

「ん?」

「……私たちは、もう森の一部ではありません」

「……そうだな」

 ヒトシは、空を仰ぐ。

 夜の帳が降りる森に、月が浮かんでいた。

「……ならば、次は――」

 彼は、息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

「……“どう生きるか”を、決める番だな」

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