第24話 二つの集団、そして名
森の空気は、張りつめていた。
ヒトシは足を止め、静かに周囲を見渡す。
背後には、進化を遂げたゴブリンたち――ホブゴブリンの仲間。
骨槍を構える者。
石斧を握る者。
だが、全員が無闇に前へ出ようとはしない。
(……落ち着いてるな)
それが、以前との決定的な違いだった。
斥候の報告どおり、この一帯には
二つのゴブリン集団が存在している。
距離は近い。
だが、性質はまるで違う。
(……試されるな)
ヒトシは、無意識に拳を握った。
最初の集団は、すぐに見つかった。
木々の間にある、粗末な巣。
枝と葉を積み上げただけの住処。
見張りも、配置もない。
そして――
こちらの気配に気づいた瞬間。
「ギィィッ!!」
金切り声と同時に、
未進化ゴブリンたちが飛び出してきた。
(……速いが、考えてない)
武器は木の棒や石。
構えも、間合いも、めちゃくちゃだ。
「……来るぞ」
ヒトシの短い合図。
それだけで、仲間たちは動いた。
前列が一歩出て、骨槍を突き出す。
後方から、石が飛ぶ。
一体が足を止められ、転ぶ。
次の瞬間、頭部に石が当たる。
倒れる。
別の一体が叫びながら突っ込んでくるが――
遅い。
体格差。
経験差。
そして、覚悟の差。
数分も経たず、戦いは終わった。
森に残ったのは、
荒い息と、沈黙だけだった。
ヒトシは倒れたゴブリンたちを一瞥する。
生きている者はいない。
だが、胸は痛まなかった。
(……話す前に襲った)
(……それが、答えだ)
「……行くぞ」
ヒトシは、振り返らなかった。
少し進んだ先。
今度は様子が違った。
気配はある。だが、襲ってこない。
木陰。
岩陰。
こちらを観察している視線。
(……知能がある)
ヒトシは即座に理解した。
「……武器を下げろ」
仲間たちに指示する。
一瞬の緊張。
だが、全員が従った。
ヒトシは、数歩前に出る。
「……俺はヒトシだ」
「……話がしたい」
沈黙。
やがて――
一体のゴブリンが、ゆっくりと姿を現した。
体格は未進化ゴブリンよりやや大きい。
だが、目が違う。
落ち着きと、判断力がある。
「……お前たちの存在は、知っていた」
はっきりした言葉。
周囲が、わずかにざわつく。
「……森の奥で起きた戦いを、見ていた」
「オークを倒し」
「村を奪い」
「……共に暮らしていることも」
事実だ。
否定する意味はない。
「……それで?」
ヒトシは促す。
ゴブリンは、まっすぐにヒトシを見る。
「……仲間に、入れてほしい」
即答だった。
迷いはない。
(……合理的だ)
弱いままでは、滅びる。
それを理解している目だった。
「……条件は?」
ヒトシが問う。
「……従う」
「……役割を果たす」
「……裏切らない」
簡潔で、現実的。
ヒトシは、短く考え――頷いた。
「……いい」
その瞬間。
【《適応進化》が反応】
【高知能個体との合流を検知】
【魔力適性:顕著】
【進化条件を満たしました】
ゴブリンの体が、ふらりと揺れた。
「……っ!?」
膝をつき、頭を押さえる。
歯を食いしばり、息を詰まらせる。
(……進化か)
淡い光が、体を包む。
空気が、震える。
やがて――
ゆっくりと顔が上がった。
その目は、
以前よりもはるかに澄んでいた。
「……私は……」
声は落ち着いている。
「……ゴブリンメイジ、ですね」
自分の状態を、即座に理解していた。
ヒトシは、息を呑む。
(……魔法職)
力だけではない。
知と魔力を持つ存在。
群れの次の段階に、明確に必要な駒だ。
ヒトシは、一歩前に出た。
「……名前を与える」
場が、静まる。
名を持つということは、
数ではなく「個」として認めるということ。
「……お前の名は、メイだ」
一瞬の沈黙。
そして――
「……メイ、ですか」
ゴブリンメイジは、ゆっくりとその名を反芻する。
「……悪くありません」
「……いえ、むしろ」
わずかに、口元が緩んだ。
「……適切です」
ヒトシは、内心で頷いた。
(……これでいい)
名は役割を示す。
メイは、“知”を担う存在だ。
メイは、周囲を一瞥し、淡々と言った。
「……隣のゴブリン集落を壊滅させた話も、聞いています」
「……あいつらは、馬鹿でしたからね」
感情のない事実確認。
だが、そこに悪意はない。
生き残った側の、冷静な評価だ。
ヒトシは、咎めなかった。
(……現実を見ている)
それだけで、価値がある。
「……メイ」
ヒトシは名を呼ぶ。
「考えること」
「備えること」
「教えること」
「それを任せる」
命令ではない。
役割の提示だ。
メイは、即座に頷いた。
「……承知しました」
「……私の知識と魔力は、あなたの判断を補佐します」
主は、ヒトシ。
その立場を、メイ自身が正しく理解している。
それが、何より重要だった。
森を後にしながら、
ヒトシは二つの集団を思い返す。
一つは、力だけで突っ込んだ集団。
一つは、考え、待ち、選んだ集団。
生き残ったのは、後者だった。
(……俺たちも、同じだ)
考え、選び、
役割を与え、名を与える。
群れは、
確実に「社会」へ近づいている。
ヒトシは、前を向いた。
メイという“知”を得て。
次の段階へ進むために。




