第239話 過速
低く、鈍い振動が
フロンティア全域を包み込んでいた。
魔力収集回路は、安定して回転している。
数値も、流量も、想定範囲内。
――少なくとも、人が定義した「安全」の中では。
だが。
適応進化が、静かに反応した。
魔力収集範囲をフロンティア領域とします
フロンティアの収集魔力を還元します
「……は?」
ヒトシの声は、誰にも届かなかった。
還元、という言葉の意味を理解する前に、
世界が先に答えを出した。
魔物たち
最初に異変を感じたのは、魔物だった。
森の奥。
作業に従事していたオークが、突然膝をつく。
「……っ!?」
次の瞬間、体の奥から湧き上がる熱。
筋肉が、骨が、血管が――
内側から押し広げられる感覚。
「おお……おおおおおお!!」
叫びとも、咆哮ともつかない声。
背筋が伸び、体格が一回り大きくなる。
角が太くなり、皮膚が硬質化していく。
周囲でも同時多発的に起こる変化。
ゴブリンたちは視界が澄み、反応速度が跳ね上がる。
コボルトの嗅覚が鋭敏化し、数キロ先の匂いを捉え始める。
ロックオーガは、皮膚が岩のような質感へと変わった。
強制進化。
選択も、準備も、同意もない。
ただ、注がれる。
「力が……漲る……!」
歓喜と恐怖が混じった声が、森にこだました。
人間にも、魔力は届いた。
魔法使いだけではない。
剣を持つ者、鍬を握る者、子どもでさえ。
「……なんだ、これ?」
胸の奥が、温かくなる。
いや、温かいだけではない。
満ちる感覚。
疲労が薄れ、視界が鮮明になる。
思考が冴え、身体が軽い。
「俺、三日徹夜だったはずなのに……」
「怪我が……塞がってる?」
治癒ではない。
身体が「最適化」されていく。
だが、同時に。
「……怖い」
誰かが呟いた。
理由は分からない。
だが、本能が告げていた。
――これは、人が扱っていい力ではない。
次の反応は、地面だった。
適応進化が反応
魔力回路を核とした都市を展開します
ヒトシは、足元に違和感を覚えた。
「……揺れてる?」
否。
せり上がっている。
フロンティアを囲む大地が、ゆっくりと持ち上がる。
山のように。
壁のように。
土は砕け、再構成され、
表面はまるでレンガを積み上げたかのような整然とした構造へ変わる。
それは自然ではなかった。
完全に――人工物。
同時に、遠くでも同じ現象が起きているのが分かる。
シッパル。
カーム。
フェール。
そして、瓦礫の街ベスコ。
五つの都市を囲むように、
巨大な地盤が隆起し、一つの要塞圏を形成していく。
道は遮断され、
外界と内界が、物理的に切り分けられていく。
誰かが叫んだ。
「城壁だ……!」
「いや……こんな規模、城どころじゃない……!」
それは都市ではない。
領域だ。
ヒトシは、動けなかった。
(……止めろ)
そう思った。
だが、止め方が分からない。
これは装置の暴走ではない。
魔法陣の誤作動でもない。
適応進化が、正しく働いている。
「俺は……」
守るために。
生き残るために。
そう願っただけだ。
だが、世界はそれを
別の形で最適化してしまった。
すべてが落ち着いた、その瞬間。
空気が、凍りついた。
適応進化が反応。
ヒトシの視界が、白く染まる。
【魔王ヒトシが誕生しました】
音は静かだった。
だが、その言葉は、雷鳴より重い。
誰も、声を出せない。
ヨークが、かすれた声で呟く。
「……王……?」
メイは、言葉を失っていた。
サラは、ただヒトシを見つめている。
ヒトシ自身が、一番理解できていなかった。
「……魔王?」
自分は、何も変わっていない。
考えも、願いも。
それでも。
世界が――
そう定義した。
フロンティアは、もはや一国ではない。
一都市でもない。
「魔王」を核とする、
未知の存在領域として、世界に刻まれたのだ。
ヒトシは、静かに拳を握った。
「……ふざけるな」
その声は小さい。
だが、確かだった。
魔王と呼ばれようと、
世界がどう認識しようと。
自分が、何者であるかを決めるのは――まだ自分だ。
だが同時に、ヒトシは理解していた。
もう、後戻りはできない。
この瞬間から、
フロンティアは――
世界の“中心”に立ってしまったのだから。




