第235話 変わる生活
朝のフロンティアは、以前よりも騒がしい。
それは争いの気配ではなく、人の気配だった。
城の高台から街を見下ろすヒトシは、わずかに目を細める。
通りを行き交う人の数が、明らかに増えている。
魔物、人間、元奴隷、元兵士。
出自も種族も違う者たちが、同じ時間に、同じ方向へ歩いている。
「……本当に、変わったな」
独り言のように呟くと、背後から足音がした。
「王、またここですか」
声の主はラバルだった。
かつてフェールを治め、今はフロンティアの一員として生きる男。
「列車の音が、ここまで聞こえるようになりましたね」
遠くで、低く澄んだ振動が響く。
魔力列車が、フェール方面から戻ってくる音だった。
「一ヶ月も経ってないのに、もう“当たり前”みたいな顔で使われてる」
ヒトシの言葉に、ラバルは苦笑する。
「人は便利さに慣れるのが早い。
だが――これは、慣れていい類のものではありません」
「分かってる」
ヒトシは視線を街へ戻した。
かつては、フロンティアとフェールの行き来に半日以上かかっていた。
徒歩。馬車。
雨が降れば足止めされ、夜になれば野営を強いられた。
今は違う。
魔力列車に乗れば、四十分足らず。
朝フェールで仕入れを行い、昼にはフロンティアで商いができる。
それは――
単なる移動手段の改善ではなかった。
生活の速度そのものが、変わったのだ。
市場は、朝から活気に満ちていた。
「次の列車、いつだ!」 「昼便ならまだ間に合うぞ!」 「シッパルの干し肉が入ったって!」
声が交錯し、笑い声が混じる。
列車の時刻表が、生活の基準になり始めていた。
ヒトシは、人混みの中を歩きながら、静かに周囲を観察する。
荷車の数が増え、
露店が増え、
通りの端では、即席の掲示板に運行情報が書き込まれている。
「王!」
呼び止めたのは、見慣れた鍛冶職人だった。
「フェールからの鉄材、今日も届きました!
列車がなけりゃ、こんな量、扱えませんよ!」
「無理はするな。事故が一番まずい」
「分かってますって!」
職人は笑いながら頭を下げ、作業場へ戻っていった。
その背中を見送りながら、ヒトシは思う。
(これが、“国”か)
軍事でも、戦争でもない。
だが確実に、国家としての形を帯び始めている。
工房地区では、さらに異変が起きていた。
グルマを中心に、鍛冶師、木工職人、ドワーフたちが集まり、
常設の開発区画が作られつつあった。
「次は何を再現するんだ?」 「王の知識、まだまだあるんだろ?」
そんな声が、あちこちから飛ぶ。
ヒトシは軽く手を振る。
「期待しすぎるな。
俺が知ってるのは“完成した世界”の話だ。
ここで作るのは、フロンティア用のものだぞ」
「分かってるさ!」
グルマが豪快に笑った。
「だから面白ぇんだろうが!
そのまま真似できねぇから、頭を使う!」
ドワーフたちも頷く。
「線路一本で世界が変わるとはな」 「次は運ぶものだ。人だけじゃない」
ヒトシは、胸の奥で小さく息を吐いた。
これは、想定以上だ。
良い意味でも、悪い意味でも。
その日の夕方。
ヒトシは城の回廊を歩きながら、ふと立ち止まった。
遠くで聞こえる列車の音。
夕焼けに染まる街。
増え続ける人の数。
(変わりすぎている)
便利さは、人を前に進める。
だが同時に、引き返せなくもする。
この変化は――
果たして、守りきれるのか。
ヒトシは、無意識に拳を握った。
駅前広場。
昼間は荷の積み下ろしで埋まっていた場所に、今は人の輪ができている。
「次の便は明朝だってさ」 「じゃあ今日は泊まりだな」 「久しぶりに家族と飯が食える」
その声を、ヒトシは少し離れた場所から聞いていた。
列車は、人を運ぶだけではない。
時間の余裕を運び、
選択肢を増やし、
そして――
人が「未来の話」をする余白を作った。
(これは……まずいな)
ヒトシは、そう思った。
いや、悪い意味ではない。
だが、この速度で“当たり前”が塗り替わるなら、
フロンティアは、もう「守るだけの国」ではいられない。
城の会議室では、簡易な集まりが開かれていた。
グルマ。
ドワーフ代表。
ウエス。
ラバル。
そして、メイとメリー。
形式ばった会議ではない。
だが、全員が理解していた。
――これは、国の方向を決める場だ。
「開発チームを、正式に立ち上げたい」
グルマの言葉に、誰も反対しなかった。
「列車は成功だ。だが、これだけで終わる気はねぇ」 「王の知識を“再現”するんじゃない」 「フロンティアに合った形に“翻訳”する」
ドワーフが腕を組む。
「一度知っちまった便利さは、戻れん」 「なら、制御するしかない」
ラバルが静かに続けた。
「この国は、急激に広がりすぎている」 「制度も、考え方も、追いついていない」 「……だが、止めれば崩れる」
全員の視線が、ヒトシに集まる。
ヒトシは、少しだけ間を置いた。
「俺は、全部を決めるつもりはない」
意外そうな顔が並ぶ。
「王が決めなきゃ、混乱します」
メリーの言葉に、ヒトシは首を振った。
「違う」 「決めるのは“正解”じゃない」 「“選び方”だ」
ウエスが、思わず前のめりになる。
「選び方……ですか?」
「そうだ」
ヒトシは、会議室を見渡した。
「列車を作ったのは俺じゃない」 「形にしたのはグルマたちだ」 「俺は、方向を示しただけだ」
少し、言葉を探す。
「これからも同じだ」 「俺が全部やる国は、俺が倒れたら終わる」 「それじゃ意味がない」
静寂。
そして――
メイが、ふっと笑った。
「王らしくないですね」
「だろ?」
「でも……」 メイは真剣な顔に戻る。 「その方が、長生きしそうです。この国」
会議の終わり際。
ヒトシは、窓の外を見た。
遠くで、列車の灯りがゆっくりと移動している。
線路に沿って、規則正しく。
「開発チームは、俺の知識を“材料”として使え」 「だが、完成形はお前たちが決めろ」
グルマが笑う。
「随分と無茶を言う王だ」
「国を作るってのは、無茶の積み重ねだろ」
その言葉に、誰も否定しなかった。
夜更け。
ヒトシは一人、城の外廊を歩いていた。
聞こえるのは、風と、遠くの生活音。
争いの気配はない。
(守るものが増えた)
それは、力を与えると同時に、
選択を重くする。
だが――
列車の音を聞きながら、ヒトシは思う。
(それでも、前に進むしかない)
フロンティアは、もう戻れない。
だが、まだ形を選べる。
この国が――
「誰かの正解」ではなく、
「皆で考え続ける場所」である限り。
ヒトシは、静かに息を吐いた。
変わる生活は、
やがて――
変わる思想へと繋がっていく。




