第23話 数を数えるということ
朝の空気は、ひんやりとしていた。
森の中とはいえ、ここは以前のゴブリンの村とは違う。
木と土で作られた小屋が並び、畑があり、家畜の気配がある。
――生活の匂い。
ヒトシは、そのことを強く意識しながら、焚き火の前に立っていた。
(……落ち着くな)
自分でも驚くほど、胸の奥が静かだった。
ここ数日、戦いと決断の連続だった。
オークとの死闘。
進化。
捕虜。
交渉。
だが今は、剣を握っていない。
骨槍も、石斧も手にしていない。
それなのに――
今までで一番、重要な時間が始まろうとしていた。
「……全員、集まったな」
ヒトシの声に、自然と視線が集まる。
ゴブリン。
ホブゴブリン。
そして、オーク。
種族は違う。
体格も、力も、文化も違う。
だが今、この場にいる全員には、共通点があった。
――生き残った者たちだ。
ヒトシは、一度深く息を吸った。
「……まず、数を確認する」
それだけで、場の空気が引き締まる。
戦いの前でも、
進化の前でもない。
生活の話だ。
「ゴブリン――二十七体」
ヒトシは、一体ずつ顔を見ていく。
小柄な者。
傷跡の多い者。
まだ若そうな者。
だが、全員がここまで生き延びた。
それは、誇っていい事実だ。
「……オーク、五体」
捕虜だった者たち。
今は、
仲間だ。
陽気なオークが、手を挙げる。
「……はい、ちゃんと五体いますよ〜」
「減ってません!」
何体かが、思わず笑った。
ヒトシは、内心で少し驚く。
(……冗談が、空気を和らげてる)
意図的ではない。
だが、確実に役に立っている。
(……こういう存在も、必要なんだな)
「……それから」
ヒトシは、少し声を低くした。
「鶏が、二十羽」
鶏舎の方から、
小さな鳴き声が返ってくる。
それを聞いて、ヒトシは思う。
(……これが、食料だ)
肉。
卵。
繁殖。
狩りとは違う、
継続する食料源。
それが、ここにはある。
「……以上が、今の全戦力だ」
戦力、という言葉を使ったのは、意図的だった。
数は、力だ。
だが、管理できなければ重荷になる。
(……人間だった頃、こんなこと考えたことあったか?)
ヒトシは、ふと自嘲する。
会社。
社会。
組織。
気づけば、
似たようなことをしている。
ただ違うのは――
失敗すれば、即死ぬ世界だということだ。
「……次に、拠点についてだ」
ヒトシは、足元の地面を踏みしめた。
「ここを、拠点にする」
即断。
だが、衝動ではない。
「元のゴブリンの村は」
「ただの住処だった」
「守るだけで、精一杯だった」
仲間たちは、黙って聞いている。
「……だが、ここには」
ヒトシは、周囲を見回した。
「畑がある」
「家畜がいる」
「雨風をしのげる小屋がある」
「作る力が、ある」
それは、
生き延びるための土台だ。
陽気なオークが、肩をすくめる。
「……まあ、正直言うと」
「俺たちの村、かなりボロでしたけどね!」
「屋根、普通に雨漏りしますし!」
ゴブリンたちから、笑い声が上がる。
ヒトシは、その光景をじっと見た。
(……いい)
恐怖だけの集団ではない。
緊張だけでもない。
息ができる空気がある。
それは、長く生きるために必要だ。
「……次は、役割分担だ」
ヒトシの声が、再び引き締まる。
「全員が、同じことをする必要はない」
「むしろ、分けた方が生き残れる」
枝で地面に、大まかな円を描く。
「……まず、内政班」
ヒトシは、ゴブリン十体を指名した。
「畑と鶏舎を覚える」
「食料を増やす」
「減らさない」
指名されたゴブリンたちは、驚きながらも背筋を伸ばす。
戦いではない。
だが、重要な役割だ。
「……次に、斥候と警備」
森を見る者。
村を守る者。
「……最後に、道具作り」
骨槍。
石斧。
農具。
「……全部、必要だ」
反論は出なかった。
全員が、
自分の居場所を見つけ始めている。
内政班は、すぐにオークのもとへ向かった。
「……畑って、どうやる?」
「……土、掘るだけ?」
素朴な質問。
オークは、首を振った。
「……それだけじゃ、ダメだ」
「土は、疲れる」
ゴブリンたちが、首を傾げる。
「……疲れる?」
陽気なオークが、笑いながら補足する。
「栄養ってやつですよ!」
「ずっと同じ場所使うと、痩せるんです!」
ヒトシは、目を細める。
(……オーク、普通に農業知識あるな)
思っていたより、ずっと“文明的”だ。
「……作ってるのは、何だ?」
ヒトシが尋ねると、
オークは胸を張った。
「……じゃがいも、です!」
「割と、手堅いです!」
ヒトシは、心の中で大きく頷く。
(……正解だ)
保存が効く。
育てやすい。
腹に溜まる。
生存戦略として、理想的だ。
その時、
ゴブリンの一体が、冗談めかして言った。
「……豚肉と一緒に食うと、美味そうだな!」
一瞬、空気が止まる。
だが――
オークは、笑った。
「……あはは!」
「僕の肉は、美味しくないですよ〜!」
場が、一気に和む。
ヒトシは、その様子を見て思った。
(……殺し合ってた相手なのにな)
だが、それが現実だ。
昨日の敵が、
今日の仲間になる。
この世界では、
それが珍しくない。
夕暮れ。
ヒトシは、一人で畑を眺めていた。
畝の並び。
芽吹き始めた作物。
(……狩りだけじゃ、ここまで安定しなかった)
戦いは必要だ。
だが、戦いだけでは続かない。
(……食える場所がある)
それだけで、
未来が見える。
ヒトシは、空を見上げた。
森は、変わらない。
だが、自分たちは変わった。
(……生き残るって、こういうことか)
殺し合いだけじゃない。
数を数え、役割を決め、育てる。
それが、
続く強さだ。
「……よし」
ヒトシは、静かに呟いた。
「次は……」
頭の中には、
すでに次の問題が浮かんでいる。
未進化ゴブリン。
周辺勢力。
縄張り。
休んでいる暇はない。
だが、
焦りはなかった。
今は、
土台ができたのだから。




