第210話 ベスコ
ヒトシは、ベスコの外れにあった小高い丘の陰で、夜が深まるのを待っていた。
城壁からは距離があり、街の灯りもここまでは届かない。
風が吹けば、草が擦れる音だけが耳に残る。
「……派手さがねぇよ」
魔剣が、つまらなそうに呟いた。
「静かでいいだろ」 ヒトシは短く返す。 「少し眠りたい。黙ってくれ」
ちょうどよく窪んだ、太い木の根が絡み合う場所。
ヒトシはそこに腰を下ろし、背を預ける。
戦いでも潜入でもない夜。
ただ“待つ”という行為が、ここまで神経をすり減らすとは思わなかった。
目を閉じる。
――その、はずだった。
次の瞬間、視界が、白に塗り潰された。
「……っ!?」
目を閉じているはずなのに、まぶしい。
焼け付くような光が、瞼の裏から脳に直接流れ込んでくる。
反射的に腕で顔を覆うが、意味がない。
魔剣が、淡々と告げた。
「こいつは派手だな。
で、どういう状況だ?」
ヒトシは歯を食いしばり、わずかに目を開ける。
――上空。
夜空を裂くように、巨大な光の塊が落ちてきていた。
一つではない。
幾重にも重なった魔力の奔流が、一本の“槍”のように束ねられ、一直線に――
「……殲滅魔法か」
喉が、ひくりと鳴る。
狙いは、明確だった。
ベスコ。
「くそっ……!」
ヒトシは跳ね起き、反射的に走り出す。
街から、できるだけ離れる。
理屈ではない。
身体が、そうしろと叫んでいた。
木々の間を抜け、岩場へ。
転がり込むようにして、大きな岩陰に身を潜める。
その直後。
――閃光。
赤黒く、脈打つような光が、夜を引き裂いた。
まるで太陽が地上に落ちたかのような明るさ。
一拍、遅れて。
――轟音。
大地が、揺れた。
耳を塞いでも、意味がない。
音というより、衝撃そのものが、身体を殴りつけてくる。
肺の中の空気が、一気に押し出され、息が詰まる。
次に来たのは、熱風だった。
灼けた空気が、岩陰にまで押し寄せる。
皮膚が、ひりつく。
髪が、焦げる匂いがした。
「……っ、は……」
ヒトシは、必死に呼吸を整える。
岩の向こう側。
視界の端で、空が赤く染まっている。
炎と、土煙と、魔力の残滓が混ざり合い、夜空を覆っていた。
「……やったな、王国」
魔剣が、低く笑った。
「これは……完全に“越えた”な」
ヒトシは、答えなかった。
頭の中に浮かぶのは、理屈でも戦略でもない。
街。
城壁。
その中で生きていた、人間たち。
フェールの時とは、違う。
今回は、止められなかった。
(……間に合わなかった)
その事実が、胸を締め付ける。
だが――
ヒトシは、ゆっくりと立ち上がった。
足は震えている。
それでも、視線は前を向いていた。
「……行くぞ」
誰に言うでもなく、呟く。
「生き残りがいるかもしれない」
魔剣が、珍しく真面目な声で返す。
「だな。
……王様の仕事ってやつだ」
赤く染まった空の下。
ヒトシは、炎と瓦礫の向こうにあるベスコへと、歩き出した。
――この一撃が、
王国とフロンティアの間に、決定的な一線を引いたことを。
その時のヒトシは、まだ、はっきりとは理解していなかった。




