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第21話 空白の理由

 朝の森は、静かだった。

 霧が低く漂い、木々の間を縫うように光が差し込んでいる。

 鳥の声が遠く、足元では湿った土がわずかに沈む。

 ヒトシは、先頭を歩きながら、頭の中で何度も同じことを考えていた。

(……選択を、間違えるなよ)

 進化したことで、力は増した。

 仲間も強くなった。

 だが――

 食料は待ってくれない。

 腹が減る。

 それは、今や個人の問題ではない。

 群れ全体の問題だ。

「……まず、整理しよう」

 ヒトシは、歩きながら口を開いた。

 隣には、数体のホブゴブリン。

 斥候役も、戦闘要員も混じっている。

「選択肢は二つある」

「一つは、未進化のゴブリンの集落と接触する」

 仲間たちが、頷く。

 それは、昨日の報告にもあった。

 東に、十数体規模の小さなゴブリン集落。

 狩りは下手。

 道具も粗末。

「……仲間に引き入れれば、数は増える」

「労働力も増える」

 だが。

 ヒトシは、言葉を切った。

「……食い扶持も、増える」

 その一言で、空気が引き締まる。

 進化後の体では、

 一体増えるだけで消費量が跳ね上がる。

(……今は、余裕がない)

 ヒトシは、心の中でそう結論づけていた。

「もう一つは……」

 視線を前に向ける。

「空白地帯を取る」

 誰かが、小さく呟いた。

「……誰もいない場所、ですよね」

「正確には、今はいない場所だ」

 ヒトシは、静かに言った。

「理由があるはずなんだ」

「この森で、誰も住まない理由」

 それが、今回の鍵だった。

 ヒトシは、斥候の報告を思い出す。

 大型獣が多い。

 だが、群れはいない。

 普通なら、

 強い集団が居座るはずの場所。

(……オークだ)

 結論は、すぐに出た。

 オークが、狩っていた。

 だから、他が住み着けなかった。

 そして――

(……オークがいなくなった今)

(……“空白”が生まれた)

 それは、

 奪い合いが始まる前の、一瞬の隙だ。

「……そこを取る」

 ヒトシは、迷わなかった。

「未進化ゴブリンとの接触は、後回しだ」

「まず、生き延びる」

 仲間たちは、反対しなかった。

 それが、今の優先順位だと理解している。

 半日ほど歩いた頃、

 森の景色が、微妙に変わり始めた。

 木々の間隔が広い。

 下草が、踏み固められている。

(……道がある)

 獣道ではない。

 もっと、

 人為的な痕跡だ。

 ヒトシは、手を上げて足を止めさせた。

「……慎重に」

 全員が、無言で頷く。

 少し進むと、

 開けた場所に出た。

 そして――

「……は?」

 思わず、声が漏れた。

 目の前にあったのは、

 畑だった。

 土が耕され、

 規則正しく植えられた作物。

 蔓が伸び、葉が茂っている。

「……畑、だよな……?」

 誰かが、呆然と呟く。

 ヒトシも、同じ気持ちだった。

(……オークが……?)

 狩るだけの存在だと思っていた。

 奪い、喰らい、壊す存在。

 それが――

(……農耕、してる?)

 衝撃だった。

 さらに進む。

 簡素な小屋が、いくつも並んでいる。

 木と泥で作られた、粗末な家。

 だが、雨風は防げそうだ。

 そして。

「……鶏?」

 小屋の脇に、

 柵で囲まれた一角があった。

 中で、小さな羽の生き物が動いている。

 家畜だ。

 ヒトシは、完全に立ち尽くした。

(……オークが……畜産……?)

 想像していなかった。

 いや、

 想像しようとしなかったのかもしれない。

(……俺たちと、同じことをしてた)

 生きるために。

 安定するために。

 その事実が、

 胸の奥に、奇妙な感情を生んだ。

「……ボス」

 背後から、声がかかる。

「……気配があります」

 ヒトシは、即座に現実に戻った。

「……どこだ」

「……あそこ」

 小屋の影。

 草むら。

 次の瞬間。

「グルァッ!」

 怒号とともに、

 オークが飛び出してきた。

 数は――五体。

(……残党か)

 ヒトシは、すぐに判断する。

 装備は貧弱。

 動きも、荒い。

(……弱い)

 その事実に、

 ヒトシ自身が一番驚いた。

(……いや)

(俺たちが、強くなったんだ)

 戦闘は、一瞬だった。

 骨槍が、オークを止める。

 石が、頭に当たる。

 オークの反撃は、重いが――

 遅い。

「……この前の奴らとは、違うな」

 誰かが呟く。

 ヒトシも、同意見だった。

(……別格だったのは、あの一団だ)

 この五体は、

 生き残っただけの存在。

 統率も、覚悟もない。

 最後の一体が、地面に倒れた。

 だが、ヒトシは叫んだ。

「――殺すな!」

 骨槍が、寸前で止まる。

「……捕まえろ」

 仲間たちが、驚いた顔でヒトシを見る。

「……生きてる方が、使える」

 理由は、それだけだった。

 オークは、

 この土地を知っている。

 畑を知っている。

 家畜を育てている。

(……学べる)

 それは、

 狩りよりも重要なことだった。

 五体のオークは、

 縛られ、地面に座らされていた。

 怯えと警戒が、混じった表情。

 ヒトシは、その前に立つ。

(……ここからだ)

 奪うだけの存在になるか。

 学び、取り込む存在になるか。

 その分岐点。

 ヒトシは、ゆっくりと口を開いた。

「……俺たちは」

「……生き残りたいだけだ」

 通じるかどうかは、分からない。

 だが、

 ここから先は――

 新しい段階だった。

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