第19話 変わってしまったもの
眠りは、唐突に終わった。
「――ッ!!」
声にならない悲鳴が、喉の奥で潰れる。
痛み。
それも、外から与えられるものではない。
内側から、全身を破壊され、組み替えられていくような感覚。
(……なんだ、これ……!?)
ヒトシの意識は半ば覚醒し、半ば沈んだまま、逃げ場のない苦痛を味わっていた。
筋肉が、膨張する。
骨が、軋み、伸びる。
皮膚の下で、何かが蠢く。
「……ぐ……ぁ……ッ……」
声を出そうとしても、肺がうまく動かない。
息を吸おうとすると、胸の内側が裂けるように痛む。
(……進化……か……?)
頭のどこかで、そう理解している自分がいる。
だが、理解と納得は別だ。
(……聞いてないぞ……!)
今までの適応進化は、戦闘中か、その直後に起きていた。
こんなふうに――
眠っている間に、全身を作り替えるなど。
聞いた覚えがない。
だが、現実は待ってくれない。
背骨が、音を立てて歪む。
腕が、無理やり引き延ばされる。
指が、床を引っ掻いた。
爪が――
伸びている。
(……おい……冗談だろ……)
恐怖が、痛みを上回る。
自分の体が、自分のものではなくなっていく感覚。
それでも、意識は切れない。
切らせてくれない。
まるで、
最後まで見届けろと命じられているかのように。
【《適応進化》が発動】
【条件達成を確認】
【個体進化:ゴブリン → ホブゴブリン】
【統率個体による群れへの影響を確認】
【集団進化を開始】
「……は……?」
その通知を“聞いた”瞬間、
ヒトシの思考が一瞬だけ、痛みを振り切った。
(……集団……?)
(……群れ……?)
問いを深める暇はない。
次の瞬間、
痛みが――倍になった。
「――ッ!!」
全身が、跳ねる。
骨が再度鳴る。
今度は、一本や二本ではない。
全身だ。
内臓の位置が、わずかにずれていく感覚。
視界が、赤く染まる。
(……死ぬ……)
一瞬、本気でそう思った。
だが――
死なない。
殺してくれない。
ただ、
変えられる。
どれほど時間が経ったのか、分からない。
永遠のようにも、
一瞬のようにも感じた。
やがて。
痛みが、すっと引いた。
嘘のように。
冷たい地面の感触。
荒い呼吸。
ヒトシは、仰向けに倒れていた。
「……は……っ……は……っ……」
息ができる。
ちゃんと、肺が動いている。
恐る恐る、指を動かす。
――動く。
だが。
(……重い……?)
感覚が、違う。
体が、
一回り以上、重くなっている。
ヒトシは、ゆっくりと上体を起こした。
視界が――高い。
「……?」
周囲を見る。
焚き火。
柵。
地面。
すべてが、
低く見える。
(……おい……)
立ち上がろうとして、
無意識に力を入れすぎた。
ドン、と音を立てて、
床を踏み抜きそうになる。
「……え?」
自分の腕を見る。
太い。
筋肉が、はっきりと浮き出ている。
肩幅も、広い。
(……俺……デカくなってないか……?)
喉が鳴る。
恐る恐る、
近くにあった水桶を覗き込んだ。
そこに映っていたのは――
見覚えのない顔だった。
緑色の皮膚。
だが、以前よりも濃く、締まっている。
顎は張り、
目つきは鋭い。
牙も、
はっきりと大きくなっている。
「……ホブ……」
言葉が、自然と出た。
「……ゴブリン……?」
その瞬間。
「ボスが……目覚めたぞ」
背後から、
はっきりした言葉が聞こえた。
「……え?」
ヒトシは、ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは――
ゴブリンたちだ。
だが。
(……なんだ、これ……)
全員、
デカい。
背が伸び、
体つきががっしりしている。
顔つきも、どこか精悍だ。
何より。
「……ボス、かっこよくなりましたねぇ」
――喋っている。
しかも、
流暢に。
「俺達も、随分変わりましたがね」
「正直、寝てる間は死ぬかと思いましたよ」
「でも、生きてる」
会話が、成立している。
文脈が、ある。
(……ちょっと待て……)
ヒトシの頭が、追いつかない。
「……お前ら……」
声を出す。
以前より、低い。
「……喋れるのか……?」
ゴブリンたちは、顔を見合わせた。
「……あれ?」
「前から喋ってませんでしたっけ?」
その返答に、
ヒトシは本気で固まった。
(……違う……)
(前は、ここまでじゃなかった……)
単語。
短い意思表示。
それが、限界だったはずだ。
それが今は――
(……普通に会話してる)
しかも、
冗談まで交えて。
「……適応進化、か……」
ヒトシは、額を押さえた。
「……群れ全体を、進化させた……?」
その問いに、
誰も答えられない。
だが、
全員が、同じ理解に至っていた。
これは、想定外だ。
【《適応進化》報告】
【統率個体の進化により、群れ全体へ影響】
【知能・身体能力:段階的上昇】
【群れの結束度:大幅上昇】
ヒトシは、深く息を吸った。
(……笑えないな……)
生き残るために、
必死にやってきただけだ。
なのに――
(……俺、どこまで行くんだ……)
だが。
ゴブリンたちを――
いや、
仲間たちを見る。
恐怖はない。
不安はある。
だが、
信頼もある。
「……なあ」
ヒトシは、ゆっくりと言った。
「……俺は、正直……」
「ここまで来るつもりはなかった」
仲間たちは、黙って聞いている。
「……でも」
拳を、握る。
「……生き残るためなら」
「……進むしかない」
ゴブリンたちは、
小さく、だが確かに頷いた。
誰かが、言った。
「……ボス」
「俺達も、同じです」
ヒトシは、目を閉じる。
(……もう、戻れないな)
だが。
戻る気も、
なかった。
夜は、明けた。
ホブゴブリンの長として。
そして、
群れを率いる存在として。
ヒトシは、
新しい一日を迎えた。




