第18話 戦いのあとに残るもの
夜が、完全に明け切る前の時間帯だった。
空はまだ薄暗く、森の奥には霧が残っている。
湿った土の匂いと、鉄のような血の匂いが混じり合い、空気は重かった。
ヒトシは、その中心に立っていた。
足元には、倒れ伏したオークの死体がある。
一体、二体……数える必要はなかった。
頭の中に、はっきりと刻まれている。
九体。
すべて、動かない。
「……終わった、んだよな」
誰に言うでもなく、そう呟く。
だが、言葉にした瞬間、胸の奥に奇妙な違和感が残った。
終わった。
確かに、戦いは終わった。
だが――
(……何かが、残ってる)
ヒトシは、ゆっくりと息を吐いた。
吐き出した息が白くなる。
体はまだ、戦闘の緊張から抜け切れていない。
指先が、わずかに震えている。
(……俺が、やったんだ)
オークリーダーの胸を貫いた感触が、
まだ、手に残っていた。
骨槍が肉を裂き、
確かな抵抗を越えた瞬間。
(……殺した)
何度も、何度も頭の中で繰り返す。
逃げない。
目を逸らさない。
それが、自分が選んだ立場だった。
周囲では、ゴブリンたちが静かに動いている。
誰も騒がない。
誰も勝利を誇示しない。
負傷した者を支える者。
地面に転がった武器を拾う者。
壊れた柵を確認する者。
それぞれが、
自分の役割を理解しているかのようだった。
ヒトシは、その様子を見て、また一つ驚く。
(……俺が指示しなくても、動いてる)
昨日まで、命令されるだけだった存在たちが。
今は、自分で判断し、行動している。
(……完全に、群れだな)
その事実は、誇らしくもあり、
同時に重くもあった。
ヒトシは、ゆっくりと歩き出す。
死体の一体に近づき、膝をつく。
オークだ。
太い腕。
分厚い胸板。
もし、人間だった頃にこの姿を見ていたら、
間違いなく恐怖しただろう。
(……敵だった)
そして、
食料でもある。
その事実を、
頭では理解している。
だが、
心が、わずかに拒絶した。
(……人型、なんだよな)
ゴブリンも、オークも。
姿形は違えど、同じ「人型」の生き物だ。
それを――
(……食うのか)
ヒトシは、目を閉じた。
「……使う」
しばらくして、ヒトシはそう告げた。
短く、はっきりと。
ゴブリンたちの動きが、一瞬だけ止まる。
だが、誰も反対しなかった。
それが、すでに答えだった。
(……俺が言わなきゃ、始まらない)
長としての役割。
嫌な役目だ。
だが、誰かが背負わなければならない。
「……全部だ」
「肉も、骨も、皮も」
「無駄にするな」
ヒトシの言葉に、
ゴブリンたちは静かに頷いた。
解体は、想像以上に静かだった。
刃が入る音。
骨が外れる音。
血の匂いが、濃くなる。
ヒトシは、最初こそ視線を逸らしていたが、
途中から、目を背けなくなった。
(……慣れてきてる)
その事実に、
自分で自分が怖くなる。
だが、手は止まらない。
ここで吐けば、
ここで逃げれば、
それこそ「長失格」だ。
(……受け入れろ)
ヒトシは、自分に言い聞かせる。
(生き残るって、そういうことだ)
火が起こされる。
枝が燃え、
赤い炎が立ち上る。
肉が焼かれ、
脂が落ちる音がする。
強い匂い。
獣臭さ。
だが、以前よりも――
嫌悪感が少ない。
(……食える)
それが、正直な感想だった。
ヒトシは、一切れを手に取る。
熱い。
だが、我慢できる。
口に運び、噛む。
硬い。
だが、噛み締めると、
じわりと脂が広がる。
(……悪くない)
美味いとは言わない。
だが、不快でもない。
むしろ――
(……力になる味だ)
ゴブリンたちも、黙々と食べている。
誰かが、小さく息を吐いた。
それが、
この戦いを越えた証だった。
【《適応進化》が反応】
【捕食対象:上位魔物】
【捕食による身体適応を確認】
【耐久・筋力に軽微な変化】
ヒトシは、その通知を聞いて、
しばらく黙っていた。
(……やっぱり、食う意味はあるんだな)
戦う。
殺す。
食う。
それらすべてが、
生き残るための行動として評価される。
(……戻れないな)
だが、
戻りたいとも思わなかった。
食事が終わる頃、
空はすっかり明るくなっていた。
ヒトシは、村を見回す。
壊れた柵。
掘り返された地面。
だが――
死者はいない。
(……守れた)
その事実が、
胸の奥に、静かに広がる。
ヒトシは、地面に腰を下ろし、
空を見上げた。
(……次は)
(もっと強いのが来る)
オークで終わるわけがない。
この森は、
もっと過酷だ。
ヒトシは、静かに呟く。
「……準備、続けるぞ」
ゴブリンたちは、
その言葉に、確かに応えた。
声ではなく、
動きで。
こうして、
村はまた一段階、
先へ進んだ。
それが、
後戻りできない道だとしても。




