第17話 長の名を奪う
倒れたオークは、まだ生きていた。
呼吸は荒く、胸は上下している。
目は開いているが、焦点が合っていない。
痺れが、全身を縛っている。
ヒトシは、その様子を見下ろしながら、
喉の奥に込み上げるものを押し殺した。
(……ここで、決めないと)
今までは、止めるだけだった。
動けなくすれば、それでいいと思っていた。
だが――
オークは、回復する。
逃げれば、また来る。
数を揃えて、今度はもっと慎重に。
それは、想像に難くなかった。
(……終わらせる必要がある)
ヒトシは、拳を強く握りしめる。
「……前列、下がれ」
低く、はっきりと告げる。
ゴブリンたちは、一瞬戸惑いながらも、
すぐに距離を取った。
ヒトシは、骨槍を持って一歩前に出る。
倒れたオークが、かすかに目を動かした。
「……グ……」
意味を成さない声。
ヒトシは、深く息を吸い――
突いた。
喉元。
骨槍が、確かな抵抗を貫く。
ぐしゃり、という感触。
オークの体が、びくりと跳ね、
そのまま、動かなくなった。
「…………」
周囲が、静まり返る。
ヒトシは、槍を引き抜き、
自分の手を見た。
震えている。
(……殺した)
はっきりと、自覚する。
さっきまで、そこに生きていた存在を、
自分の判断で、終わらせた。
胃の奥が、重くなる。
だが――
目を逸らさなかった。
(……必要だった)
自分に、何度も言い聞かせる。
それを見て、
別の倒れていたオークが、
かすかに身じろぎした。
ヒトシは、迷わなかった。
二体目。
三体目。
いずれも、
確実に息の根を止める。
ゴブリンたちは、言葉を失っていた。
だが、誰も止めなかった。
それが、
この戦いの段階が変わったことを示している。
「……グルァァァァッ!!」
怒号が、夜を裂いた。
オークリーダー――グルドだ。
仲間が殺されたことを、
はっきりと理解した。
痺れに耐えながら、
それでも、立っている。
目は、血走っている。
「……来るぞ」
ヒトシは、静かに言った。
だが、今回は退かない。
「全員、下がれ」
その命令に、
ゴブリンたちは即座に従った。
堀の内側。
柵の影。
戦場の中央に残ったのは――
ヒトシと、グルドだけ。
グルドは、鼻息を荒くしながら、
ヒトシを睨みつける。
「……グブリン……」
低く、憎悪のこもった声。
ヒトシは、骨槍を構えたまま、
ゆっくりと答える。
「……ここは、俺たちの場所だ」
意味が通じたかどうかは、分からない。
だが、グルドの口元が、歪んだ。
次の瞬間。
突進。
真正面から。
迷いはない。
(……速い!)
ヒトシは、歯を食いしばり、
横に跳んだ。
地面が、爆発したようにえぐれる。
拳だ。
直撃していれば、
一撃で終わっていた。
(……秘策は、もう期待できない)
グルドの動きは鈍い。
だが、完全ではない。
気合で、痺れを押さえ込んでいる。
(……こいつ、別格だ)
ヒトシは、骨槍を突き出す。
グルドの肩をかすめる。
だが、深く入らない。
「……ッ!」
反撃の腕が、
ヒトシの脇腹を掠めた。
衝撃で、息が詰まる。
地面を転がりながら、
必死に距離を取る。
(……正面じゃ、勝てない)
当たり前の事実。
だが、
それでも戦わなければならない。
ヒトシは、視線を走らせた。
堀。
柵。
地面。
(……ある)
ほんの一瞬の隙。
ヒトシは、わざと足をもつれさせた。
転ぶ。
無様に。
グルドの目が、光った。
「……!」
勝ちを確信した動き。
拳を振り上げ、
叩き潰しにかかる。
その瞬間――
ヒトシは、地面を蹴り、
堀の縁へ転がり込んだ。
グルドの足が、
深く沈む。
「……!」
完全ではない。
だが、止まった。
ヒトシは、立ち上がり、
全力で槍を構えた。
(……これで終わらせる)
全身の力を込めて、
突く。
胸。
心臓の位置。
骨槍が、
確かな抵抗を貫いた。
グルドの動きが、止まる。
目が、ゆっくりとヒトシを見る。
「……」
何か言いたそうに、
口が動いた。
だが、声は出なかった。
巨体が、
そのまま、崩れ落ちる。
静寂。
しばらく、誰も動かなかった。
ヒトシは、
その場に立ち尽くしていた。
息が荒い。
全身が、震えている。
(……終わった)
ゆっくりと、
現実が染み込んでくる。
ゴブリンたちが、
恐る恐る近づいてくる。
誰かが、
ヒトシの背を叩いた。
別の誰かが、
空に向かって吼えた。
ヒトシは、夜空を見上げる。
(……また、戻れなくなったな)
だが、
後悔はなかった。
これは、
守るための殺しだ。
そして――
【《適応進化》が反応】
【強敵の討伐を確認】
【集団の生存領域を再定義】
【支配者の排除を評価】
ヒトシは、静かに呟いた。
「……生き残ったな」
それだけで、
今は十分だった。




