第16話 崩れ始める牙
最初に崩れたのは、隊列だった。
それまで、オークたちは一定の距離を保ち、互いの動きを見ながら前進していた。
罠を踏めば避け、障害を見れば測り、最短距離を選ぶ。
――理性的な進軍。
だが、それが、少しずつ噛み合わなくなっていく。
「……?」
ヒトシは、最前列の動きに違和感を覚えた。
右に出るはずのオークが、半歩遅れる。
左のオークが、その遅れに気づかず前に出る。
肩がぶつかり、低い唸り声が上がった。
(……ズレてきてる)
それは、疲労ではない。
混乱だ。
そして――
次の瞬間、
一体のオークが、明確に転んだ。
「グッ……?」
堀の縁。
足を踏み出すはずの場所で、
脚がもつれ、そのまま地面に倒れ込む。
(……来た)
ヒトシの背中を、ぞくりとした感覚が走る。
秘策が、
段階を上げて効き始めている。
倒れたオークは、すぐに立ち上がろうとした。
だが、腕に力が入らない。
地面を掴もうとして、
指が、空を切る。
「グ……グォ……」
苛立ちと困惑が混じった声。
それを見た、隣のオークが一瞬、足を止めた。
その一瞬。
「――今だ!」
ヒトシの声が、夜を切り裂いた。
骨槍が、突き出される。
深く刺さない。
致命傷は狙わない。
だが、
確実に当てる。
オークの太腿。
脇腹。
肩。
次々と、槍が触れる。
倒れたオークは、
そのまま、起き上がれなくなった。
(……止まった)
ヒトシは、息を呑む。
想定していた。
だが、実際に見ると――
(……本当に、止められるんだな)
恐怖と安堵が、同時に押し寄せる。
しかし、オークは馬鹿ではない。
中央のリーダーが、低く吼えた。
「……グルドッ!」
名だ。
自分の名を名乗ることで、
仲間の注意を引く。
それだけで、
オークたちの動きが、わずかに整う。
(……すげえな)
ヒトシは、内心で舌打ちした。
(指示一つで、戻すか)
だが、それも長くは続かなかった。
別のオークが、急に立ち止まる。
肩で息をし、
片膝をつく。
「……?」
仲間が声をかける。
だが、返事がない。
次の瞬間、
そのオークが、横に倒れた。
完全な痺れではない。
意識もある。
だが、
体が言うことを聞かない。
(……効きすぎてる)
ヒトシの胸に、不安がよぎる。
(……これ、後で問題にならないか?)
だが、今は考えない。
生き残る方が、先だ。
「……押せ!」
ヒトシは、初めてその言葉を使った。
「今なら、押せる!」
ゴブリンたちが、一斉に前に出る。
今までは、
罠と障害の後ろで戦っていた。
だが、今は違う。
数で圧をかける段階だ。
石が飛ぶ。
骨槍が突き出される。
倒れたオークを、囲む。
完全に殺さない。
だが、動けなくする。
オークの一体が、
必死に腕を振る。
その拳が、
一体のゴブリンを弾き飛ばした。
「――っ!」
小さな体が、地面を転がる。
息が詰まる音。
ヒトシの心臓が、跳ね上がる。
(……まだ、危ない)
数で押しても、
一撃の重さは、オークが上だ。
「……下がれ!」
ヒトシは、即座に叫んだ。
前に出すぎたゴブリンたちが、
半歩、距離を取る。
それだけで、
被害が抑えられる。
(……指示、通ってる)
それも、ヒトシにとっては
想定外の驚きだった。
リーダー――グルドは、状況を見渡していた。
仲間が倒れている。
立てない。
動きが鈍い。
そして、
ゴブリンたちが、前に出てきている。
――あり得ない光景。
だが、現実だ。
グルドは、初めて後退した。
ほんの一歩。
だが、確かに。
(……下がった)
ヒトシは、その動きを見逃さなかった。
(……効いてる)
(心にも、だ)
捕食者が、
獲物を警戒し始めている。
それは、
立場が崩れ始めた証拠だ。
それでも、
勝利はまだ遠い。
オークは、まだ九体。
倒れているのは、数体にすぎない。
そして、
この秘策がどこまで持つかは分からない。
ヒトシは、骨槍を握りしめながら、
心の中で呟いた。
(……これ以上、驚きはいらない)
だが、この夜は――
ヒトシの願いを、
簡単には聞き入れてくれそうになかった。
戦いは、
次の段階へ入ろうとしている。




