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第15話 踏み込んだ者たち


 最初に異変を告げたのは、風だった。

 森を渡る夜風が、獣臭を運んでくる。

 湿った土と、汗と、血の匂い。

 鼻腔の奥に、はっきりと残るそれは――

(……オークだ)

 ヒトシは、堀の内側で身を低くしたまま、静かに息を吐いた。

 心臓の音が、やけに大きく聞こえる。

 ドスン。

 ドスン。

 重い足音が、一定の間隔で近づいてくる。

(……隠す気、ゼロだな)

 前回の襲撃とは違う。

 あの時のオークは、油断し、侮っていた。

 だが、今回は違う。

 足音に迷いがない。

 立ち止まらない。

 まるで「ここに敵がいる」と分かっているかのようだ。

(……本気で潰しに来てる)

 ヒトシは、思わず喉を鳴らした。

 やがて、木々の隙間から影が現れる。

 一体。

 二体。

 三体――。

(……多い)

 頭では理解していた。

 斥候から、九体だと聞いていた。

 それでも。

(……実物を見ると、話が違う)

 オークの巨体は、想像以上だった。

 一体一体が、夜の森を圧迫している。

 しかも、隊列を組んでいる。

 前に二体。

 左右に二体ずつ。

 後方に控える三体。

 中央には、一回り大きな個体。

(……あれが、リーダー)

 ヒトシは、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。

 歩き方が違う。

 視線の動かし方が違う。

 ただの力自慢ではない。

 戦い慣れている個体だ。

 最初に罠が発動したのは、ほとんど偶然だった。

 前列のオークの一体が、

 重い足で地面を踏み抜く。

 ズズン、という鈍い音。

 落とし穴。

「グォッ!?」

 オークは完全には落ちなかった。

 膝まで沈み、体勢を崩しただけだ。

(……想定通り)

 ヒトシは、奥歯を噛みしめる。

 落とすためじゃない。

 止めるため。

 だが――

 次の瞬間、

 別のオークが、迷いなくその場所を避けた。

「……!」

 ヒトシは、思わず目を見開いた。

(……見て、学んでる!?)

 罠にかかった仲間を見て、

 即座に進路を修正する。

 それは、獣の反応ではない。

(……やっぱり、レベルが違う)

 背筋が、ひやりと冷える。

 だが、そのまま突破されるわけではなかった。

 避けた先に――

 堀がある。

 オークたちは、一瞬、足を止めた。

 深さを測るように、覗き込む。

(……考えてる)

 その事実に、ヒトシはまた驚いた。

(オークって、こんなに考える奴らだったか?)

 だが、すぐに思い至る。

(……違う)

(俺たちが、相手を変えたんだ)

 弱者のままでいれば、

 考える必要もなかった。

 だが、反撃した。

 殺した。

 奪った。

 だから、

 対等な敵として見られている。

 その時だった。

 前に出たオークの一体が、

 堀の縁で、わずかにふらついた。

「……?」

 本人も、違和感に気づいた様子だった。

 一歩。

 遅れる。

 足の運びが、ぎこちない。

(……え?)

 ヒトシの心臓が、跳ねる。

(……もう?)

 秘策――

 きのこから抽出した、あの液体。

 効くとしても、

 もっと後だと思っていた。

(……早すぎないか?)

 オークは首を振り、

 気合で踏み出そうとする。

 だが、動きが噛み合わない。

 後ろのオークと、歩調がずれる。

(……全員、微妙におかしい)

 ヒトシは、背筋がぞわりとするのを感じた。

(……効いてる)

 だが、それは同時に――

(……想定より、効きすぎてる)

 恐怖でもあった。

(これ、本当に「少し痺れる」だけか?)

 一瞬、そんな疑念が頭をよぎる。

 だが、考えている暇はない。

 中央のオーク――リーダーが、動いた。

 仲間たちを一瞥し、

 何かを察したように眉をひそめる。

(……気づいたな)

 異変を、理解した。

 リーダーは、堀を見下ろし、

 次の瞬間――

 跳んだ。

「……っ!?」

 ヒトシは、言葉を失った。

 助走なし。

 それでも、堀を越える。

(……冗談だろ)

 必死に掘った障害を、

 まるで無意味な段差のように。

 着地と同時に、

 リーダーは周囲を見渡す。

 そして――

 ヒトシを、見た。

 視線が、合う。

「…………」

 一瞬、時間が止まったかのようだった。

 オークの目に、

 はっきりとした知性が宿っている。

(……見抜かれた)

(俺が、指揮してるって)

 ヒトシの背中を、

 冷たいものが一気に駆け上がる。

 その瞬間。

 背後で、オークの一体が膝をついた。

「グ……?」

 力が抜けたような動き。

 別の一体も、

 脚がもつれる。

(……完全じゃない)

(でも、確実に)

 秘策は、効いている。

 リーダーが、ゆっくりと仲間を振り返る。

 その顔に、

 初めて焦りが浮かんだ。

(……よし)

 ヒトシは、拳を握りしめる。

 だが――

 安心したのは、ほんの一瞬だった。

「……来るぞ!」

 ヒトシは、思わず叫んだ。

 リーダーが、

 突進の構えを取ったのだ。

(……まだ動けるのか!?)

 痺れを感じながらも、

 無理やり力を引き出している。

(……やばい)

 ヒトシは、必死に頭を回転させる。

(戦力、確認しろ)

 自分に言い聞かせる。

 こちらは――

 ゴブリン三十弱。

 前に出られるのは二十前後。

 骨槍十本。

 石斧、石投げ。

 堀と柵。

 落とし穴。

(……まだ、ある)

(全部、使え)

 ヒトシは、声を張り上げた。

「……前列、下がるな!」

「刺せ! 深く刺すな、止めろ!」

 ゴブリンたちが、動く。

 恐怖はある。

 だが、逃げない。

(……すげえな)

 ヒトシは、戦場の中で、

 不意にそんなことを思った。

(俺たち、いつの間に、ここまで来た?)

 数日前まで、

 奪われるだけだった。

 今は――

 オークを止めている。

 リーダーの突進が、堀の縁で止まった。

 足が、もつれる。

「……今だ!」

 ヒトシの叫びに、

 骨槍が一斉に突き出される。

 深く刺さない。

 だが、確実に当てる。

 リーダーが、低く唸る。

 怒りと苛立ち。

 その表情を見て、

 ヒトシは理解した。

(……効いてる)

(だから、焦ってる)

 だが、勝ったわけじゃない。

 まだ、九体のオークがいる。

 まだ、

 殺される可能性は、十分にある。

 ヒトシは、息を荒くしながら、

 心の中で呟いた。

(……驚きは、まだ終わってないな)

 そして、覚悟する。

 この戦いは、

 ここからが本番だ。

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