第142話 ミヤリ救出後の余波
森は、静かだった。
つい先刻まで、怒号と剣戟、魔法の炸裂音が響いていたとは思えないほどに。
焦げた土と倒れ伏した魔物の死骸だけが、ここで何が起きたのかを物語っている。
ミヤリは、ヒトシの前に座らされていた。
縄は解かれ、手当ても済んでいる。
だが、膝を抱えたまま、しばらく顔を上げられずにいた。
「……生きてる、よね。私」
か細い声だった。
「生きてる」
ヒトシは即答した。
慰めるでもなく、誇張するでもなく。
ただ事実を述べるように。
ミヤリは、ゆっくりと顔を上げた。
涙は出ていなかったが、目の奥に、強い疲労が溜まっている。
――あのゾルゲルトに捕らえられ、
自分が「素材」として見られていたと知った恐怖。
それは、簡単に消えるものではない。
そこへ、足音が近づく。
「……ミヤリ」
ロディだった。
魔法剣士としての凛とした雰囲気は、今は影を潜めている。
鎧のあちこちが傷つき、剣も欠けている。
だが、表情だけは、戦闘中よりも遥かに必死だった。
「……ごめん」
最初に出た言葉は、それだった。
ミヤリは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに苦笑する。
「何よ、急に。リーダーらしくない」
「らしくなくていい」
ロディは膝をつき、ミヤリと視線を合わせた。
「俺は、判断を誤った。
森に入るなと言われていたのに、
周りの視線と、空気に流された」
冒険者たちの集結。
フロンティア脅威論。
“様子を見るだけ”という建前。
そのどれもが、彼らの判断を鈍らせていた。
「……助けてくれた」
ロディは、視線をヒトシへ向ける。
「君たちが来なければ、
ミヤリは、今ここにいなかった」
ヒトシは首を振った。
「結果論だ。
それに――」
言葉を切り、続ける。
「俺たちも、あの男を放置すれば
森と街、どちらにも被害が出た」
ロディは、その言葉の意味を噛み締めた。
魔物の王――ゴブリンロード。
その立場でありながら、
彼は「均衡」を見ていた。
「……礼を言わせてくれ」
ロディは立ち上がり、深く頭を下げた。
エトワールのリーダーが、
魔物の前で頭を下げる。
その光景を、ナレンとバイドも、静かに見守っていた。
「借りは、必ず返す」
「返さなくていい」
ヒトシは淡々と答える。
「ただ、覚えておいてくれ。
俺たちは、敵じゃない」
ロディは、力強く頷いた。
その後。
エトワールは、森の外へ戻った。
そして――
彼らは、集結していた冒険者たちの前に立つ。
「聞いてくれ」
ロディの声は、よく通った。
「この森で起きていることは、
俺たちが想像していたものとは違う」
ざわめきが広がる。
「フロンティアは、無差別に人を襲う街じゃない。
今回、ミヤリを攫ったのも、
フロンティアでも、魔物でもない」
誰かが声を上げる。
「じゃあ、あの魔物の軍勢はどう説明する!」
ロディは、真っ直ぐに答えた。
「森には、俺たちの知らない勢力がいる。
それを、利用しようとする冒険者もいる」
ナレンが一歩前に出る。
「少なくとも、
ここで集まって“討伐”を叫ぶのは、
誰かの思惑に乗るだけよ」
バイドが腕を組み、低く言った。
「俺たちは、撤退する」
その一言が、決定打だった。
A級パーティー・エトワール。
実力も、名声も、群を抜いている。
その彼らが引く。
それは、冒険者たちの空気を、一気に変えた。
「……じゃあ、俺たちも様子見だな」 「街に戻るか……」 「情報が足りなさすぎる」
集団は、分解を始める。
焚き火が消され、
簡易テントが畳まれ、
人の流れが、森から遠ざかっていく。
ヒトシは、少し離れた場所から、それを見ていた。
「……ひとまず、終わったか」
ヨークが肩を鳴らす。
「正直、戦争になるかと思いましたよ」
サラが息を吐く。
「冒険者社会って、厄介ね」
メリーは、森の奥を見つめたまま言う。
「でも、助けた意味はあったと思う」
ヒトシは、ゆっくりと頷いた。
――今回の件で、
フロンティアは「敵」ではなくなった。
少なくとも、
すべての人間にとっては、そうではない。
だが同時に。
この森に、
別の“歪み”が入り込んでいることも、はっきりした。
(……まだ終わらないな)
ヒトシは、静かに思う。
冒険者社会の影。
力を奪う者。
噂に群がる者。
そして、
それらを利用しようとする者たち。
フロンティアは、
もう“辺境”ではない。
誰かにとっては、
価値ある場所になってしまった。
それが意味するものを、
ヒトシは、嫌というほど理解していた。




