第132話 決着
アークは、自分の手を見ていた。
震えてはいない。
だが――感覚が、戻ってこない。
(……繋がっていない)
いつもなら、森に出る前から感じ取れるはずだった。
魔物たちの存在。
従属の糸。
思考の輪郭。
だが今は、静まり返った水面のように、何も返ってこない。
「……馬鹿な」
低く呟いた声は、本人の耳にさえ空虚に響いた。
――テイムが、失敗した。
いや、失敗ではない。
拒絶された。
それも、技術や力量の差ではない。
仕組みそのものが、上書きされた感覚。
(あれは……魔物じゃない)
アークの脳裏に浮かぶのは、ヒトシの姿だった。
人間のようで、しかし明確に違う存在。
(支配される側じゃない……支配を“理解している側”だ)
テイマーとして、これほどの屈辱はない。
百体の魔物を従え、戦場を踏み潰してきた自負が――根こそぎ否定された。
ラバルはアークが戻らない事に気が付き、会談を行った部屋に戻って来た。
「……どうした?」
ラバルが、静かに声をかける。
長年の付き合いだ。
戦場も、酒場も、修羅場も共に越えてきた。
だからこそ分かる。
これは、ただの失敗ではない。
「……ラバル」
アークは、珍しく視線を逸らした。
「俺は、テイマーだ」
「知っている」
「だが……限界がある」
その言葉に、ラバルは眉をひそめた。
「限界?」
「テイムは、相手が“従属の構造”を受け入れることで成立する」
「恐怖、欲望、力の差……理由は何でもいい」
アークは、拳を握りしめる。
「だがヒトシは違う」
「支配という概念を、外側から見ている」
沈黙が落ちる。
ラバルは、すぐには言葉を返さなかった。
「つまり?」
「……俺の技は、通じない」
ラバルの目が、僅かに細まる。
(これは……)
政治家としての嗅覚が、警鐘を鳴らしていた。
アークの語りが終わったあと、場にはしばらく沈黙が落ちた。
森の奥から吹き抜ける風が、葉を擦る音だけを残していく。
誰も口を開かない。
アークは、もうヒトシを見ていなかった。
自分の掌を見つめている。
そこには何もない。
だが、かつて確かにあったはずの「繋がり」が、完全に消えたことだけは、はっきりと分かっていた。
「……俺は、テイマーだ」
アークは、低く呟いた。
「魔物を従え、制御し、戦わせる。それが俺の生き方だった」 「相性、才能、鍛錬……全部やった。百体以上を同時に扱えるようになるまで、な」
笑おうとして、失敗する。
「だが……」 「お前の前では、それが全部“意味を持たなかった”」
ラバルは、その横顔を見て、はっきりと理解した。
(――壊れたな)
戦闘ではない。
敗北でもない。
信じてきた前提そのものが、否定された顔だ。
「魔物は、操れるものだと思っていた」 「少なくとも、そうでなければ人間社会は成り立たないと」
アークは、ようやくヒトシを見る。
「だが、お前たちは違う」 「従属じゃない。命令でもない」 「……“拒絶できる”」
その言葉が、重かった。
テイマーにとって、
それは世界の根幹が崩れる宣告だった。
ラバルは、深く息を吐き、前に出た。
「……ヒトシ」
彼は、貴族としてではなく、
ひとりの男として声を掛けた。
「今回の件、理解した」
ヒトシは黙って聞いている。
「これは――」 「少なくとも、君たちから我々への宣戦ではない」
ヒトシの眉が、わずかに動いた。
「……そう言い切れるのか?」
問いは、静かだった。
だが、刃のように鋭い。
「アークは俺に“テイム”を仕掛けた」 「仲間を操った」 「それを、どう見る?」
ラバルは目を伏せた。
逃げない。
「正直に言おう」 「我々が、踏み込みすぎた」
顔を上げる。
「魔物が街を作る」 「人と共に生きる」 「奴隷が自らの意思で離れる」
「……理解しようとせず、“管理できるか”で考えた」
ラバルは、はっきりと言った。
「補償すべきは、今は我々のほうだ」
その言葉に、場の空気が変わる。
「奴隷の件は、追求しない」 「少なくとも、この森とフロンティアに関しては」
ヒトシは、少しだけ視線を落とした。
考えている。
「……それで、街は納得するのか?」
「納得はしないだろうな」
ラバルは苦笑する。
「だが、それでもいい」 「納得しない者を抑えるのが、貴族の仕事だ」
一拍。
「君たちを“敵”に回すより、よほど現実的だ」
沈黙。
そして、ヒトシは短く言った。
「……分かった」
それ以上、言葉はいらなかった。
この瞬間、
剣も、魔法も、進化も使われていない。
だが――
ひとつの国が、ひとつの街を“敵ではない存在”として認識した瞬間だった。
アークは、最後まで黙っていた。
その背中は、以前よりも小さく見えた。
テイマーとしての誇りを失った男は、
初めて「人として」、何かを考え始めていた。
そしてヒトシは、胸の奥で確信する。
(……これは終わりじゃない)
(だが、確実に一線は越えた)
フロンティアは、
もはや森の中の異物ではない。
人間社会に“理解され始めた存在”になったのだ。
それが、祝福か。
それとも、新たな試練か。
答えは、まだ先にある。




