第123話 名を持つ者に伸びる手
森は、静かだった。
風の流れも、鳥の声も、いつもと変わらない。
だが――違和感だけが、確かにあった。
「……こいつです」
コボルトの斥候が、短く告げる。
その先に立っていたのは、一体のゴブリンだった。
粗末な腰巻。
武器も持たず、背を丸めて、地面を見つめている。
――村のゴブリンではない。
それは、グルナには一目で分かった。
服装も、匂いも、立ち方も。
何より、“空気”が違う。
「……聞いていた話と、ずいぶん違うな」
グルナは、目を細める。
「もっと騒がしいと聞いていたが……」
返事はない。
ゴブリンは、ただ立っている。
周囲のコボルトたちも、妙に静かだった。
――静かすぎる。
「どうした?」
グルナが問いかける。
その瞬間だった。
キン、と短い金属音。
視界の端で、何かが閃いた。
「――っ!?」
振り向く暇はなかった。
目の前にいたコボルトが、ナイフを逆手に構え、一直線に突っ込んできたのだ。
「おいっ!?」
反射的に身を捻る。
刃は、グルナの脇腹をかすめ、地面に突き立った。
「なにを……!」
怒鳴ろうとして、言葉が止まる。
そのコボルトの目は――虚ろだった。
焦点が合っていない。
だが、動きは異様に正確だ。
「――操られている!」
理解した瞬間、別の影が割り込んだ。
「ぐっ……!」
グルナの前に出た、村のコボルトが肩口を切り裂かれる。
血が飛ぶ。
「下がれっ!」
グルナは叫び、体勢を整える。
その間にも、ゴブリンが――笑った。
いや、正確には、笑わせている“何か”がいた。
『さっそく、名前持ちじゃないか……』
ゴブリンの口が、動く。
だが声は、違った。
低く、落ち着いていて、余裕がある。
『いいねぇ……グルナくん』
ぞくり、と背筋が冷える。
『ぜひ、欲しい』
――その瞬間。
ヒトシの意識に、警告が叩きつけられた。
【適応進化:緊急反応】 【コミュニティへの侵害を感知】 【外部からの強制支配を検出】
【テイマースキル:完全操作】 【視覚共有:有効】
【警告】 【群れの仲間が操られています】
「……っ!?」
ヒトシは、息を呑む。
初めてだ。
ここまで**明確な“敵意ある干渉”**を、適応進化が示したのは。
「敵が来てる……!」
即座に立ち上がる。
「操られてる仲間がいる!」
「どこからですか!?」
ヨークが叫ぶ。
「斥候から、そんな報告は――」
「斥候が操られてる可能性がある!」
ヒトシは即断する。
「全員、警戒態勢!」
その頃。
森の奥で、グルナは歯を食いしばっていた。
操られたコボルトは、迷いなく動く。
だが――
「……お前」
グルナは、低く言った。
「この村を、舐めるなよ」
負傷したコボルトを庇いながら、一歩前に出る。
名を持つ者として。
この群れの一員として。
ゴブリン――いや、その向こうの存在が、愉快そうに呟いた。
『いい……本当にいい』
『こんな村があるなんて』
その声には、確かな欲があった。
――狩る側の目だった。
そして、ヒトシの中で、確信が生まれる。
(こいつは……話し合いで済む相手じゃない)
テイマー。
群れを“個体”としてではなく、“所有物”として見る存在。
森に、
新たな火種が、踏み込んだ瞬間だった。




