第120話 疑念は“最適解”を呼ぶ
役所の執務室は、夜になっても灯りが落ちていなかった。
机の上には書類が積まれ、封蝋の割れた報告書が何通も開かれている。
役人は、深く息を吸い、目の前に立つ男に向き直った。
フェールの領主――ラバル男爵。
森に最も近い街を治める貴族であり、軍事も行政も熟知した現実主義者だ。
「――以上が、調査の結果です」
役人は淡々と述べた。
「街から消えた奴隷は複数名。追跡の結果、森へ入った痕跡は確認されました。
ただし……」
言葉を選びながら続ける。
「森の奥で、“村”のようなものを目撃したという報告があります。
しかも――魔物と人間が、共に生活しているように見えたと」
ラバルは、書類から目を離さず、しばし沈黙した。
そして、ふっと鼻で笑う。
「なるほど」
その声には、驚きよりも納得があった。
「統率の取れた魔物。
逃げ出した奴隷が、無秩序に散らばるのではなく、一か所に集まっている。
しかも、誰かに守られているように見える」
ラバルは、ゆっくりと顔を上げる。
「――魔人の仕業、と考えるのが一番“筋が通る”な」
役人は、内心で安堵した。
少なくとも、領主は突飛な話として切り捨てなかった。
「私も、その可能性が高いと考えております。
下手に兵を動かせば、被害が拡大する恐れがあります」
「だが」
ラバルは言葉を切る。
「何も手を打たないわけにもいかん。
奴隷が逃げ、街の外で保護されているという噂が広まれば、
統治そのものが揺らぐ」
彼は椅子に深く腰掛け、指を組んだ。
「……さて」
一瞬の沈黙。
「国一番のテイマー――アークを呼ぼう」
役人は目を見開く。
「アーク、ですか……」
「ああ。
彼ならば、魔物の視点を“借りる”ことができる」
ラバルは、地図を指でなぞる。
森の位置、街の位置、その間の距離。
「人間を送り込めば、警戒される。
だが、魔物ならどうだ?」
役人は、すぐに理解した。
「……潜入、というわけですね」
「そうだ」
ラバルは、静かに笑った。
「もし本当に魔人がいるなら、
テイマーの魔物は操られるか、排除されるだろう」
「逆に、何も起きなければ?」
「それはそれで面白い」
“魔人の仕業”という仮説が崩れる。
だがそれは、より厄介な可能性が浮かび上がるということだ。
――魔物が、自発的に秩序を持ち、
――人間が、そこに身を寄せている。
ラバルは、その先を口にしなかった。
「手配いたします」
役人は、即座に頭を下げる。
「頼む」
ラバルは、窓の外――森の方向を見やった。
「“正体”を、確かめる時だ」
その夜、フェールの街ではまだ誰も知らなかった。
この判断が、
剣でも軍でもなく――
観察という形で、森の村に触れようとしていることを。




