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第116話 毒キノコと固穀

「……誰が、食べる?」

その問いが落とされた瞬間、

焚き火の音だけが、やけに大きく聞こえた。

誰も、答えない。

沈黙は短かったが、重かった。

誰もが視線を逸らし、無意識に一歩ずつ距離を取っている。

灰色がかった傘を持つ毒キノコ。

乾かしただけで指先が痺れる個体もある。

この村では――いや、この森では、「触るな」と教えられてきた存在だ。

「私は、反対です」

最初に口を開いたのはメリーだった。

声は静かだが、迷いがない。

「毒は毒です。

 処理しても、完全に抜ける保証はない。

 もし子供が誤って食べたら――」

「分かってる」

ヒトシは即座に頷いた。

否定もしない。説得もしない。

「だから、ここで試す」

焚き火の明かりが、ヒトシの顔を照らす。

その目は、冴えていた。

「……嫌だな」

ぽつりと、ゴブリンの一人が呟いた。

場の空気が、一段冷える。

「おいおい、ならやめておこうぜ!」

ヨークが思わず声を荒げる。

「だからこそ、だ」

ヒトシは視線を逸らさない。

「“毒”は、性質だ。

 量と処理で、姿を変える」

キノコに向き直り、続ける。

「食えるかどうかじゃない。

 どう食うかだ」

その言葉に、誰も反論できなかった。

しばらくして、一人の男が前に出た。

元料理人――ロイだった。

「……やらせてください」

皆が振り向く。

「毒を“消す”のは無理でも、

 毒を“逃がす”処理なら、知識があります」

震える声だったが、逃げてはいない。

「切り分け、水に晒し、

 何度も茹でて、湯を捨てる。

 成分を“留めない”料理です」

作業は慎重だった。

細かく裂かれたキノコは、

何度も水を替えられ、

火にかけられ、そのたびに湯を捨てられた。

匂いが、変わっていく。

最初は鼻を刺す刺激臭。

次第に、それが薄れ、

代わりに、土と森を思わせる香りが立ち上る。

「……食べるのは?」

誰かが、喉を鳴らしながら問う。

ヒトシは、即答した。

「俺が行く」

止める声はなかった。

一口。

ゆっくり噛む。

――痺れ。

一瞬、舌の奥がびり、と震えた。

誰かが息を呑む。

だが、次の瞬間。

「……あれ?」

ヒトシの眉が、わずかに上がった。

「……うまい」

ざわ、と場が揺れる。

強い旨味。

噛むほどに出てくる、深いコク。

刺激は残るが、それは毒ではなく、香辛料のような感覚だった。

「信じられない……」

メリーが、呆然と呟く。

ロイは、膝に手をついた。

「毒が……

 “味”に変わってる……」

量は少ない。

大量生産はできない。

だが。

「“食える”ことは分かった」

ヒトシは、静かに結論づけた。

「非常食として、

 そして、味の補助として使える」

適応進化のアナウンスは、まだない。

だが、この瞬間、

村の常識が一つ、確実に壊れた。


次に持ち出されたのは、硬い穀物だった。

皮が厚く、粉にしてもざらつく。

焼けば割れ、煮れば芯が残る。

「正直、期待してねぇです」

ヨークが肩をすくめる。

「俺もだ」

ヒトシも否定しない。

ロイは黙って穀物を見つめ、

やがて、ぽつりと呟いた。

「……これは、

 “主役”にしちゃいけない」

一同が注目する。

「粉にして焼くから、不味い。

 粒のまま煮るから、芯が残る」

ロイは、穀物を水に浸した。

「砕いて、煮る。

 煮てから、練る」

時間がかかった。

砕いた穀物は、とろりとした粥になり、

そこに、先ほどの毒キノコを少量混ぜる。

塩は使わない。

旨味だけで、勝負する。

出来上がったものは、見た目は地味だった。

だが――

「……あ」

サラが、思わず声を漏らす。

「これ……悪くない」

「腹に、残るな」

ヨークが、どんぶりを見下ろす。

「派手じゃないけど……

 落ち着く味だ」

量は作れる。

腹も満たされる。

「主食にはならないが」

ヒトシが言う。

「土台にはなる」

失敗ではなかった。

完璧でもなかった。

だが――

「これで、死なずに済む」

その一言が、全てだった。


夜。

焚き火の前で、ヒトシは座っていた。

毒キノコは、成功。

量がない。

固穀は、工夫次第で食える。

味は控えめだが、腹を支える。

「……万能な答えは、ないか」

それでも。

「“食えない”は、減った」

ロイが、深く頭を下げた。

「改良します」

「もっと、美味くします」

その目は、料理人のものだった。

適応進化のアナウンスは、まだ来ない。

だが、ヒトシは確信していた。

これは、正解に向かう途中だ。


鍋の中で、固穀が静かに煮えている。

 昼間に試したものとは違う。

 同じ素材、同じ水、同じ火――

 だが、ロイの手つきだけが、明らかに変わっていた。

「……もう一度、やらせてください」

 それは懇願ではなかった。

 自信とも違う。

 ただ、“分かった気がする”という顔だった。

 村の者たちは、口を出さない。

 失敗も成功も、今日だけで十分見てきた。

 今は、黙って見守る時間だった。

 ロイは、固穀を一度すべて鍋から引き上げ、

 水を捨てる。

「捨てるのか?」

 ヨークが思わず言う。

「ええ。でも――」

 ロイは、穀物を布に包み、

 力を込めて押し潰し始めた。

 ぐ、ぐ、と鈍い音。

「砕くんじゃない」

「“潰す”んです」

 繊維が壊れ、

 中の白い部分が、じわりと滲み出す。

「固い理由は、殻です。殻を割るんじゃない」

「殻を“外す”」

 ロイは、それをもう一度、鍋に戻した。

 今度は、水ではない。

 毒キノコの処理で使った、二度目の湯。

 旨味と刺激が、わずかに残る液体。

「……混ぜるのか?」

 サラが尋ねる。

「はい。単体じゃ弱い」

「だから、借ります」

 火を弱める。

 煮立たせない。

 ただ、温め続ける。

 時間が、流れる。

 やがて、鍋の中から立ち上る匂いが変わった。

「……?」

 最初に反応したのは、コボルトだった。

 鼻が利く。

「甘い……?」

 ヨークが目を丸くする。

「いや、甘いだけじゃねぇ」

「腹が……減る匂いだ」

 ロイは、何も言わない。

 ただ、最後に塩をひとつまみ――

 ナンが置いていった、貴重な塩だ。

「……できました」

 器に盛られる。

 固穀は、もはや“固い穀物”ではなかった。

 粘りがあり、

 噛むと、ほのかな甘みが広がる。

 ヒトシが、先に口をつけた。

 一口。

 噛む。

 飲み込む。

「……主食だ」

 それだけ言った。

 だが、その一言で十分だった。

 ヨークが続く。

「派手じゃねぇけど……」

「これ、毎日いけるな」

 メリーは目を閉じて、味を確かめる。

「……毒キノコの刺激が、後味に残る」

「飽きないわ」

 村に、静かなざわめきが広がる。

 量は、ある。

 満腹感も、ある。

 何より――

 続けられる味だった。

 ロイは、ようやく息を吐いた。

「……俺、料理人でした」

 誰に言うでもなく、そう呟く。

「奴隷になってから、ずっと忘れてた」

「“腹を満たす”じゃなくて、“生きるための飯”を作る仕事だったって」

 ヒトシは、火を見つめたまま言った。

「正解なんて、まだない」

「でも――今日、生き延びる方法は増えた」

 ロイは、静かに拳を握る。

「改良します」

「もっと、うまく」

「子供でも、老人でも、怪我人でも食えるように」

 ヒトシは、頷いた。

「それでいい」

「俺たちは、勝ち方を覚えていく」

 火は、まだ燃えている。

 この村は――

 剣だけで生きる場所ではなくなり始めていた。

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