第111話 噂の始まり
酒場の空気は、いつも通り重かった。
戦争が終わった街の夜は、静かすぎる。
半壊した建物、戻らない者たち。
人々は酒に言葉を探している。
「……信じられねぇ話だろ?」
ガイウスは、酒をあおりながらそう切り出した。
向かいに座るのは、護衛崩れの男と、商人風の中年。
どちらも、ガイウスの素性は知らない。
「森の奥に、
“話す魔物”がいる」
男たちは顔をしかめた。
「魔物が喋る?
はは、そりゃ珍しいな」
「笑うな」
ガイウスの声は低い。
怒りではない。
冷えた、確信の色だった。
「奴は人間の言葉を使う。
考え、選び、命令する。
まるで……人間の王みたいにな」
商人が眉をひそめる。
「それ、テイマーじゃないのか?」
「違う」
即答だった。
「操ってるんじゃない。
魔物どもが、自分の意志で従っている」
その言葉に、場の空気が変わる。
酒場に漂うざわめきが、わずかにこちらを向いた。
「そんな馬鹿な……」
「俺もそう思った」
ガイウスは、口の端を歪める。
「だがな。
奴は“正しいこと”を語るんだ」
「正しい?」
「人と魔物は同じだとか。
命に差はないとか。
……笑えるだろ?」
誰かが、乾いた笑いを漏らした。
「だが、怖いのはそこじゃない」
ガイウスは、声を落とす。
「奴の周りにいる人間だ。
元奴隷だ。
鎖を外され、
“選べ”と言われた人間たちが――
あいつの味方になった」
商人が、息を呑む。
「……それが広まったら」
「ああ」
ガイウスは、静かに頷いた。
「街の秩序は崩れる。
奴隷が、道具じゃなくなる。
魔物が、敵じゃなくなる」
杯を置く音が、やけに大きく響いた。
「だから言ってるんだ」
ガイウスは、ゆっくりと立ち上がる。
「奴は危険だ。
剣が強いからじゃない。
魔法が使えるからでもない」
目が、細くなる。
「“信じさせる”からだ」
誰かが、ぽつりと呟いた。
「……それって、王じゃないか」
ガイウスは、振り返らずに言った。
「そうだ」
「だから俺は、
あいつを王にさせない」
酒場の扉が、軋む音を立てて閉まる。
その夜、街に残ったのは、
ひとつの噂だった。
――森の奥に、
人間を惑わせる魔物の王がいる。
それが、
すべての始まりだった。




