第106話 残された者たち
夜が、静かに村を包んでいた。
焚き火はある。
食事もある。
寝床も、毛布も用意されている。
それでも――
村の外縁に集まる人間たちは、落ち着かなかった。
元・奴隷。
そう呼ぶしかない彼らは、火の明かりから少し距離を取り、互いの顔を確かめ合うように座っていた。
誰も鎖をつけていない。
誰も命令を出さない。
それが、何よりも不安だった。
「……なあ」
誰かが、ぽつりと呟く。
「俺たち、どうなるんだ?」
答えはない。
エドガーは、焚き火を見つめたまま、言葉を探していた。
数日前まで、考える必要のなかったことだ。
命令に従えばいい。
従えなければ、殴られる。
それだけの世界だった。
(……自由、か)
喉の奥が、ひりつく。
ありがたいはずなのに、怖い。
行き先がない。
帰る場所がない。
街へ戻れば、また奴隷になるかもしれない。
森に残れば、魔物と暮らすことになる。
どちらも、未知だった。
村の奥では、魔物たちが集まっていた。
ゴブリン。
オーク。
コボルト。
彼らもまた、戸惑っている。
「……どうするんだ?」
若いゴブリンが、ヒトシを見る。
「追い出すのか?」
別の者が言う。
「食い扶持は、楽じゃないぞ」
正論だった。
村は、まだ復興の途中だ。
余裕があるわけじゃない。
人間を受け入れる理由は――
ない。
ヒトシは、しばらく黙っていた。
焚き火の向こうに、元奴隷たちの影が揺れている。
(……分かってる)
(正しい答えなんて、ない)
助けた理由も、はっきりしない。
正義感でもない。
博愛でもない。
ただ――
ガイウスが、許せなかった。
それだけだ。
ヒトシは、立ち上がった。
静かな動きだったが、周囲が一斉に気づく。
魔物も、人間も。
視線が、集まる。
「……聞いてくれ」
声は低く、穏やかだった。
「俺は」
一拍、置く。
「お前たちを、村に縛るつもりはない」
元奴隷たちが、ざわつく。
「ここに残れとも、言わない」
「追い出すとも、言わない」
ヒトシは、はっきりと言った。
「選ぶのは――お前たちだ」
沈黙。
あまりにも、あっさりした言葉。
命令でも、条件でもない。
選択。
それが、どれほど重いかを、彼らはまだ知らない。
「……選ぶ?」
エドガーが、かすれた声で聞き返す。
「俺たちが?」
「ああ」
ヒトシは頷く。
「ここに残るなら、守る」
「出て行くなら、止めない」
「ただし」
少しだけ、視線が鋭くなる。
「どこへ行っても、もう“所有物”じゃない」
その言葉が、胸に刺さる。
元奴隷たちは、息を呑んだ。
誰かのものではない。
誰かの命令に縛られない。
それは――
救いであり、同時に、突き放しでもあった。
しばらくして、誰かが泣き出した。
理由は分からない。
安堵か。
恐怖か。
あるいは、その両方か。
ヒトシは、何も言わなかった。
答えを急がせるつもりはない。
これは、彼ら自身の問題だ。
自由とは、選ばされることだ。
その重さを、ヒトシは知っている。
人間だった頃も。
ゴブリンになってからも。
選び続けて、ここまで来た。
夜は、深くなっていく。
村の中で、初めて――
人間と魔物が、同じ不安を抱えて眠る夜だった。
まだ、答えは出ない。
だが、確かに。
鎖は、もう――
どこにもなかった。




