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第103話 鎖が揺らぐ

 朝の空気は、ひどく静かだった。

 村の一角、仮設の寝床として用意された建物の前で、エドガーは目を覚ました。

 土の匂いがする。だが、不快ではない。

 むしろ――落ち着く。

(……生きてる)

 それが、最初に浮かんだ感想だった。

 首元に指を伸ばす。

 そこには、確かに“鎖”がある。

 奴隷の証であり、命綱であり、檻だ。

 だが。

(……重く、ない?)

 昨日まで、常に意識にまとわりついていた圧迫感が、今は薄い。

 命令されていないのに身体が動かせる、その事実に、エドガーは小さく息を呑んだ。

 隣で、誰かが身じろぎする。

「……起きたか?」

 声をかけてきたのは、同じ奴隷の男だった。

 歳はエドガーより上だろう。片足を引きずっている。

 ――会話。

 エドガーは、はっとした。

 昨日まで、奴隷同士で言葉を交わすことはなかった。

 必要がなかったからではない。

 意味がなかったからだ。

 命令は上から降ってくる。

 意思疎通は不要。

 感情は、邪魔になる。

 それが、常識だった。

「……ああ」

 だが、エドガーは返事をした。

 自然に。

 それが、異常だった。

 建物の外に出ると、ゴブリンたちが動いていた。

 木を運び、水を汲み、食事の準備をしている。

 誰も、怒鳴らない。

 誰も、命令しない。

 それでも、作業は進んでいる。

(……不思議だな)

 エドガーは、そう思った。

 ゴブリンが、奴隷を監視していない。

 逃げられる可能性を、まるで考慮していない。

 いや――

(逃げる、理由がない……?)

 その考えに至った瞬間、胸の奥がざわついた。

 食事が配られる。

 昨日と同じ、温かいスープとパン。

 だが、今日は少し具が多い。

 エドガーは、ゆっくりと口に運んだ。

 ――美味い。

 昨日よりも、はっきりとそう感じた。

 塩気。

 脂の旨味。

 柔らかく煮込まれた野菜。

(……冒険者だった頃)

(こんな飯を食ってたな)

 思い出す。

 仲間と焚き火を囲み、笑いながら食べた食事。

 あの頃は、当たり前すぎて気にも留めなかった。

 だが今は違う。

「……うまいな」

 エドガーが呟くと、隣の老人が目を潤ませた。

「……久しぶりだ」

「何が、です?」

「“味がする”飯を食ったのが、だ」

 エドガーは、言葉に詰まった。

 昼前になる頃、異変はよりはっきりと現れ始めた。

 誰かが、ゴブリンに話しかけている。

 コボルトが、怪我人の包帯を替えている。

 奴隷同士で、冗談のような言葉が交わされる。

 ――あり得ない光景。

 そして、それを最も理解できずにいたのは、村の側だった。

「……なあ」

 若いゴブリンが、ヒトシに小声で言った。

「こいつら、逃げねぇぞ?」

「逃げる理由がないからな」

 ヒトシは、短く答えた。

 だが、内心は穏やかではなかった。

(……おかしい)

 治療をした。

 飯を食わせた。

 寝床を与えた。

 それだけだ。

 それだけで、ここまで変わるはずがない。

 ヒトシは、エドガーたちを見る。

 目に、怯えがない。

 だが、従属の光もない。

 代わりにあるのは――戸惑いだ。

(支配が、薄れている)

 その瞬間、ヒトシの頭に声が響いた。

【適応進化が反応】

【強制支配の不安定化を確認】

【感情的結束の優位を検出】

【自発的行動を促進】

 ヒトシは、思わず歯を食いしばった。

(……そういうことか)

 奴隷魔法は、命令に従わせる力だ。

 だが、安心や感謝を縛ることはできない。

 支配は、恐怖が前提だ。

 だが、恐怖が薄れた瞬間――

 鎖は、意味を失う。

(俺は……)

(何をしてるんだ)

 ヒトシは、自分に問いかける。

 人間を助ける理由。

 正義感か?

 理想か?

 ――違う。

(正直、わからない)

 ただ一つ、はっきりしていることがある。

(あいつが、許せない)

 ガイウス。

 人を道具として笑う男。

 命を“価値”で切り捨てる男。

 ヒトシは、拳を握った。

(……理由なんて)

(後から、つければいい)

 今はただ、目の前の現実を選ぶ。

 支配ではなく、結束。

 恐怖ではなく、安心。

 それが、正しいかどうかは分からない。

 だが。

(俺は、こっちを選ぶ)

 鎖は、まだ首にある。

 だが、確かに――揺らぎ始めていた。

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