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第102話 治療という異常

 ガイウスは、笑っていた。

「いいだろう」

 あの男は、そう言って肩をすくめた。

「君の言う理想の世界があるなら、だ」

「その役立たずどもに、飯でも食わせてやってくれ」

 挑発でもあり、試しでもある声音だった。

 ――どうせ無理だ。

 そんな確信が、隠しもしない態度に滲んでいた。

 ヒトシは何も言い返さなかった。

 ただ静かに、頷いた。

「分かった」

 その一言で十分だった。

 ガイウスはそれ以上興味を示さず、村の入口で踵を返す。

「明日の朝には戻る」

「それまでに、気が変わらなければな」

 そう言い残し、護衛を連れて森の外縁へと引き返していった。

 残されたのは――

 村の前に座り込む、疲弊した人間たちだった。

 病人。

 怪我人。

 老人。

 歩けない者。

 咳を止められない者。

 包帯が血で黒く染まっている者。

 そしてエドガー。

 彼は、呆然とその光景を見つめていた。

(……本当に、置いていった)

 命令もなく。

 監視もなく。

 ただ、「試す」ためだけに。

 エドガーの中で、胸の奥がひりつく。

(あの人は……)

(本当に、変わってしまったのか)

 村側の動きは、早かった。

 ヨークが一声かける。

「動ける奴、来い」

「寝床を作る」

 ゴブリンたちが駆け出し、

 オークが倒木を運び、

 コボルトが水を汲む。

 ヒトシは、エドガーの前に立った。

「君が、まとめ役か?」

 エドガーは一瞬、身を強張らせた。

 魔物に話しかけられる。

 それも、対等な声で。

「……はい」

「エドガーです」

「怪我人と病人は、こちらで区別できます」

 ヒトシは頷く。

「助かる」

 それだけだった。

 感謝でもなく、評価でもなく、

 当然の協力者としての言葉。

 それが、エドガーには異様に感じられた。

 治療が始まった。

 まずは、洗浄。

 汚れた布を外し、

 傷口を洗い、

 膿を取り除く。

 呻き声が上がる。

 だが、殴られることはない。

 怒鳴られることもない。

「大丈夫だ」

「動くな」

 短い声が、淡々と飛ぶ。

 薬草を煎じた匂いが広がり、

 包帯が新しく巻き直される。

 病人には、温かい飲み物が渡された。

 奴隷たちは、戸惑っていた。

(……なぜ?)

(見返りは?)

(何を、要求される?)

 誰もが、それを待っていた。

 だが、何も来ない。

 代わりに、

 木の皿が配られた。

 湯気の立つ、食事。

 エドガーは、震える手で皿を受け取った。

 パン。

 固くはない。

 表面が香ばしく焼かれている。

 スープ。

 鶏肉と野菜。

 脂が浮き、匂いが濃い。

(……食事だ)

(まともな……)

 ここ数週間。

 彼が口にしていたのは、

 乾いた麦の塊と、水だけだった。

 それも十分に与えられない日が多かった。

 エドガーは、パンを千切る。

 口に入れる。

 ――柔らかい。

 噛むと、穀物の甘みが広がる。

 喉を通る時、引っかからない。

 次に、スープを飲んだ。

「……っ」

 思わず、息が漏れる。

 温かい。

 腹の奥に、じんわりと染みていく。

 肉は、硬すぎず、

 脂があり、

 噛めば旨味が出る。

 野菜も、煮崩れていない。

(……美味い)

 涙が、勝手に溢れた。

 エドガーは、慌てて俯く。

 周りを見ると、同じだった。

 老人が、ゆっくり噛みしめている。

 怪我人が、無言で皿を抱えている。

 病人が、咳を止め、目を閉じている。

 誰も、喋らない。

 ただ、生きるために食べている。

(……おかしい)

 エドガーは、心の底から思った。

(魔物だ)

(魔物の村だ)

(なのに……)

 見返りを求めない。

 鎖もない。

 怒鳴り声もない。

(ここは……)

(どこだ?)

 その時、ヒトシの声が聞こえた。

「無理に動くな」

「今日は休め」

「生き延びることだけ考えろ」

 命令ではない。

 忠誠を求める声でもない。

 ただの、指示だった。

【適応進化が反応】

【他者の生存を前提とした行動を検知】

【集団維持行動の深化】

 エドガーは、その場で気づかなかった。

 だが確かに、

 何かが、静かに変わり始めていた。

 夜が更ける。

 村の外では、

 ガイウスが焚き火を起こし、空を見上げている。

 村の中では、

 奴隷だった者たちが、初めて――

 安心して目を閉じていた。

 その異常さを、

 まだ誰も、言葉にできずにいた。

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