第1話 ゴブリンかよ
視界がやけに低い。
いや、低いというより、世界そのものが大きい。草の一本一本がやけに主張してくるし、木の根は人の太腿ほどもある。空気は湿っていて、鼻につく青臭さがあった。
「……なんだ、ここ」
声を出した瞬間、違和感に気づく。
声が、低い。
喉の奥で鳴るような、掠れた声だった。
嫌な予感がして、自分の手を見る。
――緑色だった。
小さく、節くれだった指。爪は黒く硬い。肌は人間のそれではない。
「……は?」
慌てて体を触る。腕も脚も短い。筋肉はあるが、しなやかさよりも粗さが勝つ体つきだ。腹のあたりには、妙にしぶとそうな皮膚の感触がある。
理解が、遅れて追いついた。
「……ゴブリン、かよ」
どうやら俺は、事故で死んだらしい。そこまでは分かる。問題はその先だ。異世界転生。よくある話だ。だが、なぜゴブリンなのか。
人間ですらない。
勇者でも、貴族でも、せめて人型の何かですらない。
「異世界転生って……普通、もうちょっとこう……」
文句を言っても仕方がない。現実は変わらない。俺はゴブリンで、ここは森の中だ。
周囲を見渡すと、同じような緑色の体をした存在がちらほら見える。数は……三十ほどか。簡素な巣穴のような集落があり、木の枝と草で作られた寝床が点在している。
なるほど。
「……弱いな、この村」
自然と、そんな言葉が口をついた。
武器らしい武器はない。棍棒とも言えない木切れが数本あるだけ。装備も皆無。知能も高くないらしく、周囲のゴブリンたちは意味のない声を上げたり、ぼんやりと地面を掘ったりしている。
中心には、少しだけ体格のいい個体が一体いる。おそらく、ゴブリンリーダーなのだろう。
だが――弱い。
外敵が来たら、ひとたまりもない。オークどころか、獣に襲われても終わるだろう。
その瞬間、理解した。
ここは、詰んでいる。
ゴブリンという種族は、弱い。
数が多いだけで、知恵も力も乏しい。
冒険者にとっては経験値でしかない存在だ。
つまり。
「……とにかく、生き残らないといけない」
高尚な目的なんていらない。
世界を救う? 無理だ。
人間と仲良く? 夢物語だ。
まずは今日を生きる。
次に明日を生きる。
それだけでいい。
腹が鳴った。
見ると、近くのゴブリンが木の実のようなものをかじっている。渋そうな顔をしているが、食べられないわけではなさそうだ。
――食料の確保。
――安全な場所。
――敵から逃げる手段。
考えるべきことは山ほどある。
だが、不思議と恐怖はなかった。
人間だった頃よりも、頭が冴えている気がする。余計な感情が削ぎ落とされ、必要なことだけを考えられる。
そのとき。
【スキル《適応進化》を獲得しました】
脳裏に、無機質な声が響いた。
「……適応、進化?」
意味は分からない。だが、嫌な感じはしなかった。
むしろ、しっくりくる。
弱いなら、適応すればいい。
不利なら、変わればいい。
ゴブリンであることを嘆くより、
ゴブリンとして生き残る方法を探す。
「よし」
小さく頷く。
「まずは、生きる」
それだけを目標に、
俺の――ゴブリンとしての人生は始まった。




