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第7話 兆し

入所してから、もうすぐ2ヶ月になる。

朝の走り込みの列から、高梨の姿が消えて5日目だった。


「……いないと、いないで変な感じだな」


号令のあと、水を飲みながらぽつりと言うと、隣でストレッチしていた三宅が頷いた。

メガネの奥の目つきだけはやたら真面目で、ニュースや掲示板をやたらチェックしている、情報通気味の同期だ。


「昨日、医務室行ってきましたけど……まだしばらく車イスっぽいですよ、高梨さん」

「そんな酷いのか」

「筋肉ごっそり持ってかれてるって。

 『命に別状ないのが奇跡なんだから文句言うな』って先生に怒られてました」


想像して、ちょっと顔をしかめる。


「でも、本人はわりと元気でしたよ」

「元気?」

「『労災も保険も下りるし、しばらく寝てても給料出るなら悪くない』って。

 ただ、『二度目は絶対いらねえ』とも言ってましたけど」


それはそうだろうな、と思った。



午前の座学が終わったあと、「B班集合」の声がかかる。

いつものメンバーから高梨が抜けて、その代わりに1人増えていた。


「本日からB班研修合流、日向ひゅうが


森山が、淡々と紹介する。


「元々はC班の予定だったが、こっちの人数のバランス見て回された。盾1枚減ったから、そのぶん動き回る役」


日向は、直耶より頭ひとつ低い、小柄な女だった。

短めのボブカット。防具越しでも、腕と太腿に余計な肉がついていないのが分かる。


「日向です。近接メインで、足はまあまあ速い方です。よろしくお願いします」


体育会系の部活にいそうな、はきはきした声だ。


「盾なしで突っ込むタイプか?」


榊が聞くと、日向は苦笑いした。


「突っ込みはしますけど、死ぬのは嫌なんで、ほどほどにしておきたいです」


そのやり取りに、三宅と大熊が小さく笑う。


大熊は、ごつい体格の男だ。腕も首も太くて、素直に「タンク役」と呼びたくなる見た目をしている。


(……なんでこいつ、研修生なんだろうな)


初めて見たときからの疑問は、まだ解けていない。


「はいはい、仲良し自己紹介の時間は終わり」


森山が、端末を掲げて全員の視線を集めた。


「今日の仕事は、前回と同じ浅層C〜D境界帯の別ルート。

 C4から先の枝を、もう少し埋めておきたいってさ」


ホログラムマップに、何本かの線が浮かぶ。


「それと——」


森山は、一部を拡大した。


「ここ最近、このゾーンで“群れ”の報告が増えてる。

 この前みたいな変なの1体で済んでるのは、むしろお前らの方が珍しい」

「え、そうだったんですか」


三宅が目を丸くする。


「浅層は“比較的安全”って言うけどな、『1体ずつ順番に来ます』なんて誰も言ってねえ」


榊が肩をすくめた。


「とにかく、今日は『最初から3、4体まとめて出てくる』つもりで動け。

 いつもそう思っとけ、って話でもあるが」


森山の言葉に、全員が小さく頷く。


「高梨のときみたいに、たまたまアレで終わるとは限らねえ。

 “浅層だから”って油断したら、そのうちニュースで“崩落事故”になるのはこっちだ」

「……了解です」


声に出したのは直耶だけじゃなかった。



エレベータで浅層まで降り、ゲートと簡易検問を抜ける。

C帯の入口を抜けて、いつものようにマーカーとログを照らし合わせながら進む。


壁には白い識別シートと、番号入りのプレート。

日本式の無骨なマーキングが、ところどころで回廊の肌に貼り付いている。


「この前の“遠隔持ち”、結局どうなったんですか」


三宅が小声で聞いた。


「死骸ですか?」

「回収班回したけど、ルート変動がきつくて、結局『今回は見送り』になったらしい。

 ログとサンプル片だけ研究部行き」

「もったいないですね」

「毎回毎回、でかいの拾って帰ってたらキリねえよ。こっちの手も足りなくなる」


大熊がぼそっと言う。


「……そうですよね。安全第一でお願いします」


日向の言葉に、森山が前を向いたまま言った。


「俺らは俺らの仕事するだけだ。余計なこと考えてると、足元すくわれる」



C4の広場を抜けて、未整理の枝ルートへ。

日向が榊の端末を覗き込みながら、小さく息を呑んだ。


「3体以上って……いきなりハードなんですけど」

「ですってよ、森山たいちょー殿」


榊はあえて軽く言うが、常に周囲を見回し警戒中だ。

日向が、冗談めかしながらも、少しだけ声を低くした。


「いいね。状況ちゃんと重く見てる新人は助かる」


森山が軽く笑っていた。


「隊列はいつも通り。

 先頭俺、その後ろ盾2枚。後衛2、最後尾に榊。

 日向、状況見て左右どっちでも動けるようにしとけ」

「了解です」


大熊と並んで前に出る。


「境、前は任せたぞ。お前の盾、意外と頼りになるからな」


大熊が、気楽そうな声で言った。


「“意外と”って付けるな」


言い返しつつ、シールドを構える。


そのときだった。

前方の暗がりから、低く唸るような声がした。


「……来た」


森山が立ち止まる。

ライトの輪が、少しずつ前方を舐めていった。


視界に、四つん這いの影が3つ浮かび上がる。

犬より一回り大きい、灰色の獣。

背中に変な骨は————生えていない。


見た目だけなら、前まで何度か見たことのある「いつものケモノ」に分類されるタイプだ。


ただ——


「……本当に3匹セットかよ」


大熊が、小さく舌打ちした。


1体が中央で低く唸り、残り2体が左右にじりじりと別れていく。


(挟みにくる気か)


嫌な形だな、と思った瞬間、中央の1体が短く吠える。


「来るぞ!」


森山の声と同時に、正面の獣が突っ込んできた。


——ガンッ。


直耶が反射でシールドを構え、鈍い衝撃が腕に走る。

盾の裏で骨が震えたが、足はなんとか踏ん張れた。


「ナイス受け!」


森山が、獣の脇に滑り込むように動き、喉元を浅く斬る。

血が飛び、獣が一瞬たじろぐ。だが、その横を灰色の影が2つすり抜けた。


「右、俺が押さえる!」


大熊が右側の獣に体当たりする。

防具がぶつかる重い音。


左側は——


「こっち!」


日向が飛び出していた。

小柄な体が地面すれすれに滑り込む。

獣の足首のあたりに、短い刃が閃いた。


「ッギャッ」


獣が悲鳴のような声を上げ、足をもつれさせて転ぶ。


(速っ……)


思わず見とれかけたが、その余裕はなかった。

正面の獣が、喉を狙って再び突っ込んでくる。


「境、そのまま押し返せ!」


森山の声が飛ぶ。


シールドを前に、さっきより低い位置で受ける。


身体のどこをどう使えば、踏ん張りやすいか。

頭で考えるより先に、訓練でも繰り返した動きをなぞるように勝手に足が位置を変えていた。


「今!」


獣の体重を利用して、横に弾くように盾を押し出す。

バランスを崩した獣の首元に、森山の刃が深々と入った。

血の匂いが、一瞬で強まる。


「1体目、ダウン!」


榊の声が後ろから聞こえた。

右側では、大熊が獣と取っ組み合いになっている。


「っだああああ!」


渾身のヘッドバットをかましたのか、鈍い音のあとで獣がふらついた。

だが、その直後——


「うおっ!」


大熊の肩口に、牙が食い込んだ。

防具越しでも分かる衝撃。


「大熊!」


三宅が叫んだ。


「大丈夫っ……っ、くそ、いてぇ……!」


大熊は、無理やり獣の頭を押しのけながら答える。

肩のプレートが、一部めり込んでいた。


「三宅、大熊下げろ! 榊、準備!」


森山が怒鳴る。

その間にも、日向が転んだ獣の喉元をもう一度切り裂いていた。


「左、片付きます!」


声と同時に灰色の影が倒れ、痙攣していた。

残るは右の1体。


「境!」


呼ばれて、正面から回り込むように走る。

まだ腕は動く。足もついてくる。


(さっきみたいに——)


自分の重心と、相手の動き。

どこに盾を置けば、相手の力がいちばん逃げ場を失うか。


考えている暇はない。

獣が飛びかかってくる。

シールドを、半歩だけ前。


——ガン。


さっきより軽く受けたはずなのに、獣の体が変な角度で跳ね返った。

その瞬間、森山の刃が背中に走る。


「終わり!」


短い声とともに、獣の動きが止まった。



「……っはあ、はあ……」


荒い息がヘルメットの中にこもる。

腕がじんじんと痺れていた。


「大熊、見せろ」


榊が、血の付いた肩口に手を伸ばす。


「装甲、ギリギリで止まってるな。牙が貫通しきってない。運がいい」

「よくねえよ、普通に痛えよ……」


大熊が顔をしかめる。


「でも、骨は無事だし、筋肉も表面だけ。この場での処置で十分だ」


榊は短く言うと、携帯医療キットからスプレーとパックを取り出した。


「防具、そこだけ外す。痛いけど我慢」

「さっきからそれしか聞いてねえな……っ」


バックルを外し、プレートをずらすと、下から噛み跡と青あざが現れた。

赤い線が何本か走っているが、肉がえぐれているほどではない。


「消毒する」


冷たい感触と、遅れてくるピリピリした痛み。


「いってぇ……!」


大熊が、思わず壁を拳で小突いた。


「はいはい、男の子なんだから頑張れ」


榊は淡々とした声で言いながら、傷の上に小さめのパックを貼り付ける。


「圧迫固定、完了。腕、ゆっくり回してみろ」


大熊が指示通りに動かす。


「う……うお……まあ、動くっちゃ動く」

「よし。現時点では軽傷扱い。

 大熊はこのまま前衛続行、ただし“噛まれた側”は極力さらすな」

「了解」


大熊が歯を食いしばりながら頷いた。

ここで、直耶はずっと気になっていたことを口にした。


「……森山さん、隊列、少しだけ変えてもいいですか」

「ん?」


全員の視線がこちらを向く。


「さっきみたいに、右から数が流れてきたとき——

 大熊さんの傷、また狙われるとまずいと思うんです」


(何やってんだ俺)


「だから、前に出る盾はそのまま2枚ですけど」


直耶は、自分と大熊、日向の位置を指でなぞった。


「右側からの入りは基本、全部俺が受けます。大熊さんは半歩だけ内側寄り。

 日向さんに、大熊さんの“傷と反対側”を回ってもらって、横から脚を落としていく感じで」

「壁側に傷を隠す形か。正面に来る分には、境の盾で殺す」


榊が短くまとめる。


「はい。さっきの感じだと、あいつら、誰か1人崩せば一気に押し込みに来るので」


森山が、少しだけ目を細めた。


「……そういうのは普通、俺か榊が考えるところなんだがな。境、お前戦略ゲームとかよくやってた方か?」


言葉とは裏腹に、声色はどこか楽しそうだった。


「悪くねえ。大熊、お前それで歩けるか」

「歩ける分には問題ねえよ。右側、境が全部受けてくれんなら、むしろ助かる」

「じゃあ、それで行く。境、お前、そういうこと考えるの向いてるな」


褒められているのだと理解するのに、やっぱり少し時間がかかった。


「……たまたま思いついただけです」


そう返したが、さっき盾を構えたときと同じように、

口の方が先に動いたような感覚があった。



その後も、回廊は淡々と続いた。


湿った石の匂いと、ライトの明かり。

足音だけが、一定のリズムで重なる。


「前方、気配増加」


榊の声が低く響いた。

今度は、影が2つ。


「2体。さっきより数は少ないが——」


森山が短く息を吐く。


「さっきと同じパターンなら、片方が真正面、もう片方が脇に流れてくる。

 境、例の並びで行くぞ」

「了解です」


1体目が、真正面から飛びかかってくる。


——ガン。


さっきよりも少しだけ早く、少しだけ低い位置で受ける。

盾の裏から伝わる重さが、自分の足へ素直に流れていく感じがした。


「右、流れる!」


視界の端で、2体目が大熊の方へ回り込もうとする。


「日向さん、右抜けて、そのまま脚お願いします!」


気付いたときには、声が出ていた。


「了解!」


日向が、大熊と壁のあいだをすり抜けるように飛び込む。

刃が獣の後ろ脚を払う。

大熊が、バランスを崩した獣の頭を押さえつける。

榊の警棒が、その首筋に叩き込まれた。


「2体目、ダウン!」

「こっちも終わり!」


ほぼ同時に、正面の獣も崩れ落ちる。

さっきより血の匂いは薄い。

誰も、新しい傷は負っていない。


「……今の指示、悪くなかったな」


森山がぼそっと言う。


「前の戦闘見て、ローテ考えてたのか?」

「いえ……なんとなく、です」


本当に、「考えた」というより「見れば分かった」に近かった。


(前、こういうのを図で描きながら考えてたことがある気がする。

 ……けど、そんな趣味はなかったはずなんだけどな)


はっきりしない記憶の輪郭をつかみそこねたところで、森山の声がその思考を切った。


「欲張ってもう一つ枝見るかどうかは——」


森山は、周囲を一度、無言で見回した。


「……戻りがてら、もう一戦分くらいは覚悟しとけ。

 それ以上は、どれだけ“安全寄り”でもやり過ぎだ」

「え、まだ行くんですか」


三宅が思わず漏らす。


「大熊の肩と、日向の足の反応、それと時間。

 境、お前の感覚では?」


急に振られて、直耶は少しだけ考えた。


(さっきまでと同じペースで行けるラインは……)


「もう一戦まで、だと思います」


気付けば、口が勝手に答えていた。


「二戦目と同じか、それより少し軽いくらいなら、誰も“戻れなくなる”ほどには削られない範囲。

 それ以上は、多分どっかで足が止まります」


森山が、小さく笑った。


「よし、同意見だ。だったら、“あと一回引いたら帰る”つもりで動くぞ」



その「あと一回」は、思ったより早く来た。

少し先の曲がり角の向こうから、低い唸り声が重なるように響いてきたのだ。


「……数、多い」


榊の声が、さっきより一段低い。


ライトの輪がカーブの先を舐める。

灰色の影が、4つ、5つ。

壁際で重なり合うように動いている。


「さっきの倍はいますね……」


日向が、息を飲む。

通路は少し狭い。左右に大きく回り込むスペースはない。


(ここで全部相手したら——)


自分でも驚くほど、はっきりとした「絵」が頭に浮かんだ。


大熊の肩。日向の足。自分の腕の痺れ。

通路の幅。獣の体格。押し寄せるタイミング。


「森山さん」


直耶は、反射で声を出していた。


「ここ、全部倒しきる前提でやったら、多分、誰か戻れなくなると思います」


森山がちらりとこちらを見る。


「……続けろ」

「今の腕の状態だと、盾で受けきれる回数に余裕がないです。

 通路も狭いんで、避けるスペースも少ない。

 ここは、“押し返しながら戻る前提”で隊列組んだ方がいいと思います」


口から出てくる言葉は止まらない。


「前方の押さえは俺と森山さんでやります。

 大熊さんは一歩下がって、左側に。右肩は絶対前に出さない。

 日向さんは、俺と大熊さんのあいだを行き来して、脚と目を削る役。

 三宅さんは、後ろに下がりながらマーカーとログ。

 榊さんは、一番後ろで全員の足並み見てください。誰か崩れたら一瞬で分かる位置で」


一気に言い切ったところで、森山が笑った。


「——お前、ほんと向いてるな、そういうの」


軽く頭をかいた。


「境の案、採用。全員、聞いた通りに動け。押し返しながら、さっきの広場まで下がる」

「了解!」


全員の返事が重なる。


「じゃあ——」


森山が、低く息を吐いた。


「境、正面任せたぞ」

「了解です!」


獣の群れが、通路いっぱいに膨らんだ。


1体目が飛び出してくる。

直耶は、ほとんど条件反射で盾を出していた。


——ガン。


衝撃が腕を焼く。

だが、足は止まらない。


「右、流れる!」

「日向さん、脚!」

「はいっ!」


声と動きが自然に連動する。


一歩押し返しては、半歩下がる。

その繰り返しで、少しずつ少しずつ距離を稼いでいく。


「大熊、肩! 上げすぎるな!」

「分かってるっての!」

「三宅、マーカー忘れるなよ!」

「分かってます!」


視界の端で、白い線が壁に走る。

「ここまで戻った」という痕跡が、後ろへ後ろへ流れていく。


何度目かの衝撃で、腕の感覚がぼやけてきた。


(——ここで踏ん張れなかったら、本当に誰か死ぬ)


自分で自分にそう言い聞かせる。

それが、妙にしっくり来た。


「もう少しで広場!」


榊の声が飛ぶ。


最後の1体を、森山の刃が払い落とすように切り伏せた。

その瞬間、ようやく通路の圧迫感が抜けた。



「……っはあ、はあ……」


荒い息が全員のヘルメットの中にこもる。


誰も、さっき以上の大怪我はしていない。

防具に新しい傷は増えたが、血の量は“想定内”で済んでいた。


「ここまで」


森山が、はっきりとした声で言った。


「浅層C〜D境界帯、群れ3組と遭遇。2組排除、1組は交戦しつつ後退。

 これ以上は欲張り過ぎだ。今日は引き上げる」


誰も、反対はしなかった。



装備を返却して、簡易ブリーフィング室に入る。


「浅層C〜D境界帯、巡回B班。

 新規枝ルート1本のログ更新。

 ケモノ型3体の群れ2組排除。

 4〜5体規模の群れ1組と交戦、広場まで押し返して撤退。

 1名軽傷。帰還後医務室送り。以上」


森山の報告は、いつも通り短かった。


「“浅層にも群れ頻度増加”ってことで、全体共有回しとく」


係官が言う。


「この前の“遠隔持ち”の件と合わせて、広報の文言はちょっと調整するだろうが……

 まあ現場は現場で気をつけろ」


(“比較的安全”って枕詞、また意味変わっていくんだろうな)


そんなことをぼんやり考えながら、部屋を出る。

廊下の端のベンチで、大熊が医務室行きの車椅子を待っていた。


「おう境。今日はビビらず前出てたな。

 つーか、お前の言った通りに並び替えてなかったら、多分どっかで転んでたわ」

「そっちこそ、肩噛まれても殴り返してたろ」

「まあな。……次、高梨に会ったらさ」


大熊は、少しだけ真面目な顔になる。


「『お前の席、ちゃんと空けといてやった』って言っといてくれ」

「自分で言えよ」

「言う前に、リハビリでへばってたらダサいだろ」


その理屈はよく分からなかったが、笑ってしまった。


「じゃあ、伝えとく」

「頼んだ」


医務班がやってきて、大熊を連れていく。


その背中を見送ってから、直耶はポケットからスマホを出した。

高梨とのメッセージ画面を開く。


『今日、B班戻り。群れ3。2組倒して、1組は押し返しながら撤退。

 大熊ちょい噛まれ。お前の時よりマシだったってさ』


少し考えて、最後に1行足した。


『席は空けといてやるから、さっさと戻れ』


送信を押してすぐ、「既読」が付く。


『おー、いいじゃん。俺の分も危ないの引いとけよ』


返ってきたスタンプは、なぜか足にでかい包帯を巻いた動物が親指を立てているやつだった。


食堂の匂いのする方へ、足を向ける。

次のスクラッチが当たるかどうかは知らないが——

少なくとも、今日は「自分の足で」そこまで歩いて行ける。


それだけで、十分だと思えた。


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