第35話 第二波
「うぉーーーー!」
「まじか!」
直耶は寮の喧騒で目が覚めた。
廊下を走る足音。
ドアを叩く音。
誰かの笑い声。
屋外から何台ものローター音がバタバタと騒々しく響く。
時計を見れば午前5時。
外はまだ薄暗い。
寝ぼけた頭を振って、大あくびを一つ。
枕元のスマホが通知で震え続けている。
「境!起きたか!?」
「⋯うるっさ⋯⋯なに、どうしたん⋯⋯」
高梨が二段ベッドの上から身を乗り出した。
目を見開いて、血走っているようにすら見える。
とても寝起きの顔には見えない。
「⋯なに? なんかあった?」
「大変だよヤベーよ! 多分増えたんだ!」
「⋯? 落ち着けって、何? 何が増えたんだ?」
「違う違う!そんなレベルじゃないって!さすがにすげーって!」
「たのむ、わかるように話して⋯」
「回廊が!めっさふえた!!」
「はぁ?」
高梨がスマホを押しつけるように向けると、そこには動画サイトの速報枠が映し出されていた。
スタジオと、画面端には世界地図。
地図には赤い点が点滅していた。
ひとつふたつ⋯どころではない。
あちこちだ。
声を上ずらせながら、アナウンサーが原稿を読み上げる。
「――繰り返します。緊急速報です。
新たな回廊の入口が、世界各地で同時に確認されています。
現時点で確認されているのは各国の首都や主要都市が中心。
出現数は照合中ですが、いずれも未明の同一時間帯とみられます。
ただし、SNS投稿と自治体発表が入り乱れており
正確な地点数は把握できていません」
アナウンサーは一呼吸置き、原稿の行を変えた。
声のトーンが、わずかに硬くなる。
「なお、入口の先がどうなっているかは不明です。
また、地下鉄など既存の地下インフラに直ちに影響が出ているという報告は、現時点では入っていません」
その瞬間、スタジオのカメラがコメント席の二人を抜いた。
男性解説者が眉を寄せ、女性コメンテーターのヤンカカが
両手を胸の前で合わせる。
「ヤンカカさん、地下インフラへの影響がないという点、
どう見ますか?」
ヤンカカは、やたら明るい笑顔で頷いた。
「もう、素晴らしい! ほんまに素晴らしいです!
だって考えてみてください、地下鉄が止まったら⋯
通勤、物流、病院、ぜんぶ大混乱ですよ?
それが今のところ大丈夫って、回廊ちゃん⋯!
配慮ができる子やん!」
「⋯⋯配慮と言えるかは、まだ」
解説者が言いかけたのを、ヤンカカは勢いで押し切る。
「でもね、これ偶然にしては出来すぎてません?
入口が出るなら、普通は地下に穴があいて、
地盤が崩れて、ガス管が⋯ってなるのに、
入口だけ、スッて!エレベーターだけ、ポンって!」
アナウンサーが、困ったように笑いながら軌道修正する。
「現時点では影響が確認されていない、という段階です。
ただ、確かに――入口の周辺で地盤沈下などの報告は
今のところ限定的です」
「ほらぁ!ほらぁ!
回廊ちゃん、人類の生活守ってくれてる可能性ありますよ!」
解説者が、さらに眉間の皺を深くした。
「逆に言えば、そこまで整合的に影響が出ない形で出現しているのは不思議ですねぇ。
自然現象なら、もっと粗雑な痕跡が残ると思います。
配慮というより、設計された――」
ヤンカカは、首を傾け、わざとらしく可愛く言う。
「設計でもええやん?
だって設計ってことは、考えてくれてるってことやもん。
回廊ちゃん、賢い!えらい!人類のこと、ちゃんと見てる!」
アナウンサーが、原稿に目を落として釘を刺す。
「一方で、現場では見物人が集まっているとの情報があり
各自治体は不用意に近づかないよう呼びかけています。
SNS上では入口付近からの配信を試みる投稿も確認されていますが、
真偽不明の映像が混在しています。危険ですので――」
ヤンカカが、最後に笑顔のまま言い放った。
「そう!危ないことはあかん!
回廊ちゃんがどんだけ賢くても、人間がアホやったら終わりですから!」
解説者が小さく息を吐いた。
「⋯⋯同意します。そこだけは」
理解が追いつかない。
今この状態を、素晴らしい、と言うのか。
回廊が世界各地にあることは知っている。
世界各地に点在している、くらいの理解だった。
正確な数も場所も、普段はニュースで流れる程度。
その後各国に対応組織ができ、制度と装備が整った。
世の金が回廊へ吸い込まれていったのもその延長だ。
国内で運用と設備が整っているのは湾岸だけだと思っていた。
入口が増えたところで、受け皿がないならば何もできない。
警備、医療、物流、計測、搬送、通信。
全てがセットになっている。
訓練と検査と補償も、国内は湾岸を中心に動いている。
だが、ほかの国内入口が出来た?
湾岸周辺が目立つが、画面は地方の主要都市にも切り替わっていく。
同型の入口――見慣れたエレベーターだ。
周囲は街角や河川敷も見える。
そこにむき出しのエレベーターの機構が不気味に佇んでいる。
回廊出現から大変動まで約3年。
大変動からたいして間を置かずにこの変化。
なにが、どうして。
高梨がスマホをいじりながら早口で言う。
「ほら、もうネットも祭り!」
直耶が覗くと、確かに流れていた。
『回廊アプデきたー!』
『野良湧きしてて草www』
『回廊たん!ボクの期待に応えてくれる回廊たん!ハァハァ(´∀`)』
『俺、近くに有ったら絶対潜るって決めてたんだ』
『初動勢が勝つだろ常識的に考えて!』
『出来立ての回廊ってことだろ?未踏破領域キター!』
『攻略勢集合、固定組むぞ』
『回廊RTAやります。チャンネル登録よろしく!』
『リスクは必要経費です。本当にありがとうございました』
『回廊様、世界発展のためにありがとう。とりあえず拝んどくわ』
『絶対、出来立てのダンジョンコアあるわ。俺、コア壊してダンジョンマスターになるわ』
『俺もダンマスなりてぇwww』
頬が引きつる。
攻略?あんな訳の判らないものを?
そもそも何をしたら攻略なんだ?
皆、何を考えているんだ?
それに、ろくに訓練を積んでいない一般人が遊び半分で潜る?
文字通り「死ぬほど」危険な場所へ?
直耶の疑問をよそに、廊下の喧騒がさらに大きくなる。
「湾岸近場の入口、本当に増えてるってよ!」
「こっそり配信する?今なら登録者ウハウハじゃね!?」
「やめとけって!会社のお偉いさんに見られたら終わるぞ!」
「知らねーよ、世界規模なんだろ?どうせ皆始めるって!
クビになったら配信で食うわ!今しかねーって!」
そんな言葉が隊員の中で飛び交っている。
混乱と興奮が同居して、正常な判断がついていない。
直耶が声をかけようとしたが、もう足音は過ぎ去っていた。
そんな直耶を見て、高梨が真顔で話し始めた。
「境、なぁ、これ⋯絶対一般人も勝手に潜るぞ」
「⋯⋯潜る、だろうな」
「しかも攻略だってよ。リスクは経費だってよ?」
「⋯だな」
「まぁ、わかるよな!やっぱ冒険はロマンだよな!」
「⋯は?」
「だって、回廊だろ?しょうがないじゃん!」
「いや、高梨、なに言っ⋯」
「いやぁ!楽しみだなぁ!新しい回廊にはケモミミっ娘とかいるのかなぁ!
俺、そんなハーレム夢見てたのよ!妄想が広がるなぁ!」
「お、落ち着けって!」
言った瞬間、寮のスピーカーから放送があった。
『おはようございます。
寮の皆様はそのまま指示があるまで待機してください。
繰り返します。
寮の――――』
「ほら!待機だって!」
高梨が肩を落とす。
「えー⋯⋯」
「えー、じゃないから。設備が揃ってる湾岸で潜行止めるんだぞ?
前に大変動だってあったんだ。回廊に何があるかわからないって事だろ?」
「⋯⋯あー、増えた入口、エレベーターだけだもんな」
「よく考えてみろ。エレベーターが勝手に生えたんだぞ?
あり得ない、だろ⋯?」
「いやいや、しょーがないっしょ。出てきたんだから。相変わらず心配性だな!」
「ぐ⋯⋯わかった。とりあえず、食堂いこう」
*
皆、落ち着かない様子で食堂に集まっていた。
備え付けのテレビは速報を流し続ける。
アナウンサーの声がさっきより硬い。
「危険ですので、現場での撮影目的の接近は絶対におやめください。
また、回廊を攻略対象として捉えた集団による無断突入が複数地点で確認され――」
そこで一瞬、言葉が詰まった。
スタジオが空気を飲む。
映像が切り替わった。
どこかの回廊入口前が映し出された。
むき出しのエレベーター前に、もう人が集まっている。
各々、手にはバットや刃物が見える。
ヘルメットや厚着の上着で武装しているようにも見えた。
周囲には、タオルを頭に当てて座り込んでいる人影もあるようだ。
三脚、ライト、手に持ったスマホ。
勝手に作られた受付。勝手に並ばせる列。
画面の端に、手書きのボードがいくつも映った。
!攻略班受付!
★固定パーティ募集★
♪初見歓迎♪
■自己責任■
笑っていた。
煽っていた。
扉が開いた。
何人かがまとめてエレベーターに乗り込み、扉が閉まる。
映像はそこで切れた。
スタジオに戻ると、アナウンサーはなんとか言葉を紡いていた。
「げ、現場では負傷者が出ているようです。きゅ、救助要請も相次いでいるようです。
各自治体は現場への接近を控えるよう――」
高梨が小さく呟いた。
「⋯⋯あーりゃりゃ」
直耶は返事ができなかった。
食堂の誰かがスマホを見て笑っている。
「そりゃそうなるだろwww」
「ほんと、自己責任だよなぁ」
「でも挑戦は尊いわな!素晴らしい!」
「次はもっと上手くやるといいなぁ。次があれば」
これが…慣れた結果?
本当に自分だけが、自分の価値観が、異常、なの、だろうか?
*
食堂から戻った後も落ち着かず、仮眠もとらずに待機していた。
午前9時。
とうとうスピーカーから講堂に集まるよう指示が出た。
講堂はごった返してた。
椅子が足りない。立っている者もいる。
前に立ったのは、いつか見たような気のする男だ。
「珍しい、部長じゃね?」
誰かの声で、日向の実験の際に見た男と気が付く。
部長はマイクを手に、落ち着いた声で淡々と話し始める。
「湾岸周辺で入口が増えました。世界でも同様の事象が出ています。
回廊そのものは以前から世界各地にありましたが、入口の増殖は異常事態です。
現場運用は、いったん守りに寄せます」
緩くざわめきが走る。
部長は視線を動かさない。
「通達もしましたが、湾岸は本日から潜行停止。
入口周辺への自主接近も禁止。命令です」
部長は続ける。
「移動は会社手配を基本とします。
やむを得ず個別手配した場合は、申請により精算します。
今回の目的は回廊の攻略ではありません。
入口周辺の受け皿を作ります。既に社として動いております。
自治体、警察、必要なら自衛隊とも連携します。
封鎖線、導線、救急、受付、聞き取り、記録。
まずは周辺の安全確保と連携。
社長から直接OKが出ているので、ノウハウも共有して良い。
とにかく被害を抑えましょう」
誰かが小さく、舌打ちした。
部長は構わず言った。
「先ほど伝えた通り、すでに社は全力で動いています。
各地の協力も非常に前向きです。
なお、潜行は救助案件のみ例外として実行。
条件が揃った場合のみとします。無理は禁物。
勝手に潜る者は、処分対象です」
処分対象。
その言葉が場を静めた。
そこで誰かが手を上げた。若い声だ。焦りが混じっている。
「⋯な、なんで自衛隊とか、特殊部隊を入れないんですか。プロなら――」
部長は首だけを少し動かし、別の人物に視線を渡した。
人に埋もれて見えなかったが、佐伯女史が前列に座っていたらしい。
ゆっくりと前に出た。
「戦闘のプロは初動は確かに頼りになります。反応が速いし、動きも正確です。
ただ回廊では限界が早い傾向があります。
理由としては、『なんだか良く分からない危険刺激』への反応が速すぎるからです。
短時間の救助なら投入できますが、長期運用の主力には向きません」
担当は一拍置いて言い直した。
「だからと言って、素人が向いているわけでもありません。
強すぎず、鈍すぎず、嫌な予感を言語化できる中間の人間。
そんな人の稼働日数が伸びるイメージです。
会社員でも訓練し、装備と運用で支えれば戦えますから」
部長が頷き、短く締めた。
「以上です。各班の具体指示はチームリーダーから。動ける者から動いてください」
空気がいっせいに動き出す。
全体通達は終わった。
ここからは現場だ。
*
森山は壁際で班員を待っていた。
全体の指示が降りた後、班ごとに散っていくのが分かる。
「境。こっちだ」
直耶が近づくと、森山は短く言う。
すぐに班員全員が揃った。
「我々は近辺が割り当てられた。確認されたのはお台場。
入口周辺の地上運用立ち上げ。救助要請の一次整理。
俺と境、三宅。三宅は記録と現地情報の整理。
境は現場判断の補助」
直耶は頷く。全員が不安な顔を隠せない。
森山は直耶の顔を見て、少しだけ言葉を柔らかくした。
「お前達は兵士じゃない。俺も兵士じゃない。
だから止まれる。止まれるなら生き残れる」
「⋯⋯はい」
「皆、覚えておけ。半歩出て、半歩下がれ。それだけでいい」
一方、別の方向で高梨が誰かに捕まっているのが見えた。
指示を受けている。表情だけが騒がしい。声はよく聞こえない。
森山が言う。
「榊、大熊、高梨は西方面。横浜だ。内容は同様。
喜べ、追加情報だ。
やはり国内主要都市にも出ているようだ。
遠方は現地と他社が押さえる。うちは近辺を確実に固める」
*
その頃、日向の配信が始まっていた。
画面の中、日向は椅子に座ってゆっくり息を吸っていた。
まだL値が戻りきっていない。
現場復帰の許可が出ないのだ。
結果、今は別の場所で役目を果たしていた。
日向は穏やかに言う。
「回廊の入口が増えています。世界中で、です。
驚きより、興奮が先に来た人もいると思います。
私もその気持ちは分かります。
でも、お願いがあります。
独断で潜らないでください。
戻れないと救助が必要になります。
救助が増えると、本当に助けるべき人が助けられなくなります。
あなたの軽い一歩が、誰かの帰り道を奪うかもしれません。
回廊は強い人が向いているとは限りません。
お願いします。
近づかないでください。
撮影しないでください。
潜らないでください」
頭を下げる。
お願い。お願い。お願い。
コメント欄は流れ続ける。速すぎて読めない。
『回廊たん、初動勢に優しくして』
『日向さんが正しい』
『今動いた奴は英雄だろ?』
『止めるな、進め』
『回廊様の試練だろ』
お願いが届く速度より、拡散が速い。
善意より、興奮のほうが軽い。
直耶は荷物をまとめる為、画面を閉じた。
*
あれよと状況に流されている。
直耶、森山、三宅は森山の自家用車で移動する事となった。
三宅が後部座席でタブレットを膝に置き、地上の情報をチェックしていた。
「うわぁ⋯」「えー⋯」
独り言に気づいていないようだ。
「三宅?」
「あ、隊長すみません。あらゆる回廊で、配信しようとしたり、勝手に潜ったり⋯
メチャクチャやってるみたいで⋯」
「⋯そうか。少しでも止めよう。回廊で犠牲が増えれば、今後また何が起こるかわからん」
「え?それってどういう⋯」
「⋯⋯⋯」
森山はそのまま口を噤んだ。
車窓の景色が流れ、湾岸が遠ざかる。
それでも直耶は前を見た。
納得してしまう速度に置いていかれないために。
納得できない自分が、まだどこかで正気だと信じるために。
車はお台場へ向けて走った。




