第34話 観察対象に追加されました
CORRIDOR JAPAN。
回廊発生から一年で、複数存在する探索者企業の中で
日本の回廊運用を事実上掌握した巨大企業。
報道では「国家と連携する巨大探索企業」「回廊対応の要」と持ち上げられている。
午前七時半。
社長フロアの会議室は、まだ外の光が弱い時間から稼働していた。
テーブルの上にあるのは契約書のドラフト、出資比率の表、物流の輸送枠、医療リソースの配分案、海外拠点との情報連携の覚書。
どれも一つ間違えれば、CORRIDOR JAPANだけでなく
回廊運用そのものが止まる。
新屋恒一、48歳。
ニュースでは「異常な吸収合併を成し遂げた切れ者」と呼ばれる男は、いつも通り無表情で、ただ速かった。
「買います。今日中に合意。条件はこれで固定」
彼が指先で示したのは、中堅探索企業の買収条件だった。
現場の人数ではない。拠点でもない。
回収物の一次処理ラインと医療搬送の民間ネットワーク。
CORRIDOR JAPANが欲しいのは人より回る仕組みだ。
「吸収後のブランドは残します。現場の反発を抑えましょう」
「看板を残す、と」
「看板で命が延びるなら安いものです。
契約は統合。権限は一本化。例外は作りません」
法務が「独禁法の観点で」と言いかけた。
新屋はそこで初めて目を上げる。
「分かっています。だから先に政府側の立場を作るのです。
こちらが先に筋を通しましょう」
秘書が横から短く補足する。
「内閣府と総務。今朝の回線は確保済みです。
先方は公的対応力の確保という名目なら通す意向です」
「よろしい。では名目を作って、実体を運びましょう」
新屋はペンを置き、次の資料へ滑らせた。
今度は海外企業との提携。
軍需と医療と物流、三社が絡む共同供給契約だ。
「盾の基材、現状は供給ラインが細い。
ここが詰まると全部が止まりますね」
「国内生産に切り替えますか?」
「切り替えます。今日、設備投資の枠を出しましょう。
機械の購入指示を。ラインを増やします。問題は原料ですね」
研究班の責任者が口を開く。
「素材の安定供給は回収量に左右されています。
全て探索者任せでは安定しません」
新屋は頷いた。
「だから回収量を上げる施策ではなく、歩留まりを上げます。
回収物の選別基準を統一しましょう。
回収物は現場の手土産ではない。国家資源です」
会議室の空気が一段だけ硬くなる。
誰かのペン先が止まり、すぐにまた動き出した。
「次。海外の情報連携。
うちの条件は明確。生データをよこせとは言いません。
向こうも嫌がるでしょう」
「では何を?」
「変化の兆候だけ共有とします。
敵の傾向、素材の傾向、魔法の傾向。
兆候だけで十分です。こちらは対策を前倒しできますから」
誰かが言った。
「情報は武器ですね」
「ええ。弾より軽くて、命中率が高い。
厄介なのは、撃った本人が撃った感覚を持たないことですね」
淡々とした冗談に、誰も笑わなかった。
新屋はさらに資料をめくる。
「次は医療。現場の死者が増えると、うちが炎上します。
焼けるのは現場じゃなく、世論と政治。
故に医療は善意ではなく、保険としてさらに上積みします」
「基金を?」
「基金と、提携病院の枠を増加。
搬送は民間を使い、摩擦を減らしましょう。
自治体と揉める前に、枠を買います。
交渉は私がしましょう」
ここで初めて、役員の一人が苦い顔をした。
「社長が直接やる案件では」
「私がやります。これは経営判断です。現場運用ではない」
新屋は言い切って、次のページに移った。
広報戦略。
事故が起きたときの言葉。
魔法が希少であることの見せ方。
期待を煽りすぎないための温度調整。
「魔法は希少。希少ゆえに失ったら大問題。
大問題だから責任を押し付け合う。
ここまでがセットですね」
会議室が静まる中、新屋は続ける。
「責任の押し付け合いは止められない。
なら受け皿を先に作り、責任の行き先を会社に寄せます。
個人に落とすと現場が萎縮しますから。
萎縮は効率を落とし、効率が落ちると開発が止まる。
開発が止まると死者が増える。終わりです」
この男は最悪の結末を何度も頭の中で回してきたのだ。
秘書が横から次の予定を小声で告げる。
「このあと、官邸です。
その後は海外窓口。研究機関連絡。
午後にM&Aの最終合意です」
「了解。移動中に読みます。
今朝の資料は全部、決裁に回して」
会議は締まった。
人が立ち上がり、書類が消えていく。
新屋は最後まで座ったまま、机の端に残った一枚の紙だけを見ていた。
とある個体に関する報告。
新屋はその紙を、指で一度だけ叩いた。
「……同調が鈍い、か」
その言葉に、怒りも焦りもない。
あるのは、純粋な興味だけだった。
そして彼は、誰もいない社長室へ戻る。
デスクに肘をつき、受話器を取った。
「……ええ。はい。概ね想定通りです」
穏やかな声だった。
「魔法の発現頻度は依然として低い。
希少性も保たれています。――はい、その点は問題ありません」
新屋は、薄く笑った。
「ただ……一人、少々気になる個体が出まして」
楽しそうに軽く頷く。
「いえ、才能というほどではありません。むしろ、逆です」
指先で、デスクをとんとんと叩く。
「効きが悪い、とでも言いますか。
世界の流れに妙な抵抗を示すタイプでして」
それは不満ではない。
報告だ。
そして、どこか楽しげでもあった。
「本人に抵抗している自覚は、おそらくありません。
むしろ摩擦に疲れている。
現場の兵隊です。至って平凡。
欲も、野心も薄い」
新屋は肩をすくめた。
「……ですが、回廊内での判断が妙に安定しているようです。
死線での躊躇が少ないが、無謀ではない。
……はい。こちらとしても、少し観察する価値があるかと」
椅子に座る位置を直し、だんだんと前のめりになっていく。
「もちろんです。勝手に壊れても困りますので」
新屋は、そこで小さく息を吐いた。
「……ええ。
面白いかどうかは、まだ分かりません。
彼の影響か、所属チームも長持ちしていますね。
⋯はい、承知しました」
そう言って、受話器を静かに置いた。
新屋は立ち上がり、窓の外を眺めると
湾岸の向こうに白い施設群が広がっている。
「ふふ、気にして頂けるとは、運の悪い……
いや、運の良い奴だ。さて……」
誰に向けたでもない独り言。
「少し、様子を見るとしよう」
*
秘書は資料を抱えて社長室の前に立った。
中から低く音が聞こえる。
何かと忙しい方だ。今もきっと取引先と電話中だろう。
社長は一人で話をまとめることが多い。
特に重要な案件ほどその傾向がある。
秘書はノックを控え、その場でじっと待っていた。
ほどなくして、声が止む。
「失礼いたします」
「どうぞ」
社長は書類に目を落としていた。
「次の会議資料です」
「ありがとう。置いておいてください」
秘書は一礼し、退出する。
――今の、どこ宛の電話だろう。
そんな考えが一瞬よぎったが、すぐに消えた。
詮索する必要はない。
社長は、そういう立場の人間だ。
秘書は業務に戻った。
*
この日の探索は、比較的「当たり」の部類だった。
洞窟状の通路。
いつもの扉の先は、前日と通路の作りが変わっていた。
天井は低すぎず分岐も少ない。
出現した敵も、これまでに何度も対処してきたゴブリンが中心だ。
森山の指示のもと大熊が前に出て盾を構え、直耶が距離を取って突く。
高梨が横を抑え、三宅と榊が後方で全体を見る。
特別なことは何もない。
連携がうまくいき、判断も早く、無駄な動きが少なかった。
結果、危なげなく突破できただけだ。
「……今日、楽だよな」
「ふふ、油断すんなよ。ミスタースライム」
「ぐぬ…わかってるよ!」
高梨の軽口に、珍しく大熊が笑いながら返した。
少し緩んだ空気が場を包む。
油断してはいけない事は皆、理解している。
だが、日が経つごとに生まれる『慣れ』。
そんな雰囲気が漂っていた。
直耶は今日も「運が良かっただけ」と自分に言い聞かせ
気を引き締めた。
だが、帰還後に耳に入った他班の報告は軽くない。
同じ時間帯、別ルートに入っていた探索班が負傷者を出した。
敵の数が想定より多く撤退が遅れたらしい。
直耶たちの班は偶然避けて通っただけだ。
当たり前にある危険。
それをまた意識する必要を感じていた。
*
休憩室。
缶コーヒーを片手に、直耶は壁の掲示板を眺めた。
海外回廊の速報が要点だけ箇条書きになって貼られている。
――海外で、魔法使用者が事故。行方不明。
――責任所在は調査中。
魔法。
高梨をスライムから救えてから、分かったことがある。
進むべき方向が、なんとなく分かる。
危険な分岐を、なんとなく避ける。
あの感覚。
いつか日向が言っていた。
使い方が頭に流れ込んで来たのだと。
使うと気分が悪くなるのだと。
頭の中にあった、コンパスのように考えていたモノ。
ようやく理解した。
頭に定着したと言ってもいいかもしれない。
これは、『直感の魔法』だ。
日向のような『出す』タイプではない。
ぼんやり、ずっと働いてて――意識すると、急に鋭くなる。
だからか。
戦闘時に妙に攻撃を読めたり、弱点を突けたのは。
だからか。
目的地の方向がわかったのは。
それに――使った覚えがないのに、疲れ方だけは増えていく。
胃がムカつく日が増えた。
音がうるさい。
光が痛い。
日向の『あの顔』が、ふと重なる。
自分はいつ、何を使ったことになるんだろうか。
そういえば、帰投後の測定では
直耶のL値はいつも大きくは落ちていない。
むしろ『安定している』側だと医療班に言われる。
なのに、身体だけが先に拒否反応を出す。
よく、わからない。
なんなのだろうか。
数値は戻っているはずなのに。
回廊の外でも働いている直感。
自分の身体に消えたエネルギー結晶。
誰にも言えない秘密がまた、増える。




