第31話 復帰
朝のブリーフィングスペースは、昨日までよりも人が多かった。
増えたのは探索者だけではない。
新品のヘルメットが眩しい新規隊員達だ。
直耶の記憶にしっかり残っている、あの訓練を乗り越えてきたのだろう。
そして彼らを囲うように立つ総務と現場運用のスタッフ。
壁のホワイトボードには、太い字で追記がされていた。
『ビーコン運用停止に伴う手動マッピングに切替』
直耶はその一行を見ても特に驚かなかった。
ビーコンが、正式に役に立たない判定を受けた。
「おい境。見ろよ、ビーコン引退だってさ。
まぁ、しゃーないかもな」
高梨が肩を寄せてくる。
「……代わりが手動か」
「アナログ回帰。いいね。俺の青春は平成だからな」
「高梨さん、いくつなんです?」
三宅が即座に突っ込んで、場に薄い笑いが走った。
大熊も小さく息を吐く。
「でもマッピングって、具体的にどうやるんですか?」
その問いに答えたのは榊だった。
「改めて説明しますが、大変動前のビーコンは全て反応がありません。ロスト扱いになります。
また、大変動後もビーコンは使用しました。
残念ながら位置情報を含みデータはもう取れないようです」
皆が顔を見合わせる。
「デジタル機器が期待できない以上、ローテクで行きます。
要所は歩数、曲がり角の角度、壁の特徴、床の材質。
見えたものをできるだけマッピングします。
戻り道は印を残しますが、印が残る保証は無いですね。
ですが、やらない訳にはいきません。」
「印が残る保証もないか……」
大熊が渋い顔をする。
榊は淡々と続けた。
「残らなかったら、残らなかったと記録しましょう。
残らないことが情報になりますから。
詳しくはまた後ほど通達が行きます。
各班内での役割が変わりますから気を引き締めていきましょう」
その榊の横に、森山が立った。
森山は周囲のスタッフと短く言葉を交わし、最後に探索者の方を向いた。
「聞いての通りだ。ビーコンは廃止する。」
森山は一度だけ見回して、言い切った。
「それと、俺は本日から正式に現場復帰する。
ベテランが足りない。以上」
直耶の視界の端で新規隊員たちが一斉に背筋を伸ばしたのが分かった。
目が輝いている。
回廊に夢を見ている。
自分もそんななかの一人だった。
スタッフの一人が森山に耳打ちするが、即座に否定した。
「ダメだ。新人を前に出すのはまだ早い。
回廊はこちらを待ってくれない」
スタッフの表情に、ほんの一瞬だけ不満が滲む。
会社は、焦っている。
素材が欲しい。結晶が欲しい。成果が欲しい。
回廊が「産業」になり始めた瞬間から、それは避けられない流れだった。
「じゃ、出発前に編成確認だ」
森山が言った。
「第三探索。編成は昨日と同じ……
の予定だったが、一人戻る」
その言葉に、何人かが顔を上げた。
「日向。前に」
「はいはい」
軽い返事が飛んで、日向が前に出た。
いつもの探索用。髪はまとめ、手袋も装備もきっちり。
何より、表情が楽しそうだ。
高梨が直耶の耳元で囁く。
「日向っち戻ってきた……早くね?
昨日の夜、具申するって話だったろ?」
「俺、この後隊長に言うつもりだったから、まだ何も言ってない」
直耶が高梨とコソコソ話していると
日向が森山の方を見て肩をすくめた。
「昨日からじゃないですよ。
私、結構前から言ってました。戻りたいって」
森山が短く頷く。
「本人の意向だ。俺が手を回した。以上」
「隊長、仕事早すぎて助かりました」
笑って言う日向に向かい、高梨が手を挙げた。
「質問!日向さん!もうアイドル業やめたの?」
「何そのテンション!それに、アイドルじゃないし!
疲れたのもあるけど、実践でスライムに魔法試すことになったんだよ」
即答だった。
「映像撮られるたびに『すごい!』って言われるのは、最初は気分いいよ?
でもね、こっちは汗かいて必死に生きてるだけなんです」
プリプリ言いながら、日向は少しだけ顔をしかめて、すぐに戻す。
「それに……魔法だって、万能じゃない。
現場にいないと分からないことがあるでしょ」
その言い方には、自信も混じっていた。
森山が編成を口にする。
「前衛盾、大熊。遊撃・スカウト、境。
中衛盾・遊撃、俺。フォローアップ、榊と三宅。
背後警戒、高梨。
――日向は後方寄り。状況次第で前に出る。基本は温存だ」
「え?バシバシ前に出るんだと思ってた」
日向が文句を言う。
「でも正しいだろ」
高梨が、やけに真面目な声で言った。
「隊長、昨日の緑のやつ。
物理が効きづらいって話、マジっすよね?」
森山が頷く。
「盾が溶け、刺突も通りが浅い。
――あれは物理戦では分が悪いと判断した。
本来ならば火炎放射器等が良いかもしれんが、機器が動かないのでは意味がない。」
高梨が「よし」と小さく言って、日向の方を見る。
「だからさ。これ、理屈は単純じゃん。
物理が効かない奴には魔法!ゲームの基本ってね!」
日向が「雑だなぁ」と笑う。
「雑だけど、合ってると思う」
高梨が胸を張った。
「ほらな! 俺、天才!」
「はは、まぁ頑張るよ」
日向が笑って、場が少しだけ温まった。
森山が手を叩く。
「行くぞ。今日も内部探索。ルートを伸ばすぞ」
*
扉の向こうは、今日も洞窟だった。
そんなことに安心してしまう。
靴底が土に沈み、壁の白い粒が淡く明滅していた。
「三宅、榊。マッピング開始」
森山の合図で、三宅がポーチから厚手のメモ帳を取り出す。
榊は鉛筆と、細いメジャーのようなものを持っていた。
歩数だけじゃなく、曲がり角の距離も取るらしい。
「右壁、白粒濃度高。床、細砂。天井、低め」
三宅が呟くように読み上げ、榊が書く。
直耶は前を見ながら思う。
これが「戻り道」になる。
ビーコンの電子音より、よほど頼りない。
けれど、頼りないものを頼りにするしかないのが現状だ。
「境、前方」
通路の曲がり角を覗いた瞬間、直耶は息を止めた。
一体じゃない。
4、5……いや、6。
濁った肌の小柄な影が、石を蹴る音を立てて散開する。
真っ直ぐ向かってくる一体が、やけに大げさに刃物を振り回した。
こちらに気付いている。
「境、下がるな。前を見ろ、左右だ」
森山の声が低い。
直耶は槍を構えたまま視線だけを滑らせる。
右壁沿いに二体、左の影に二体。
残りが後ろへ回ろうとしている。
――囲むつもりか。
大熊が盾を前へ出し、足を踏みしめる。
「来い。まとめて受けてやる」
先頭のゴブリンが飛び込んできた。
盾に金属が当たる音が洞窟に跳ねる。
直耶が槍を突き出した瞬間、刃が視界を横切った。
いや、刃じゃない。
白い、曲がった――牙?
考えるな。
今は倒す。
直耶は一歩だけ踏み込み、槍で一体の胸元を貫いた。
手応えは直ぐに塵に変わった。
よく見ると、どのゴブリンも形は違えど同じナイフを持っているように見える。
やはり、見覚えがある。
コボルトの牙だろうか。
牙を削り、柄に括りつけただけの“牙ナイフ”。
粗末な作りだ。
「うわ、センス悪っ」
高梨が吐き捨てる。
ゴブリン達がジリジリと距離を詰めてきた。
こちらも大熊を先頭に全員が構える。
刹那、一体が叫ぶとゴブリン達が牙を構え
残り全員が奇声を上げながら突撃してきた。
まるで子供が全力で武器を構えて向かってくるようだ。
狙いは⋯大熊だ。
ゴブリンが全て大熊の方を向いている。
「落ち着け!大熊は防御態勢!それ以外はナイフを構えろ!
組み付かれるな!フォローするぞ!」
数が多すぎるし速い。
退くには近い。
迎撃しかない。
震えを堪えるように槍を強く握り構える。
先頭が大熊とぶつかる瞬間。
大熊は盾を激しく押し出し、叩きつける。
はじき返されたゴブリンは、そのまま後続を巻き込んで
将棋倒しに転がった。
「よくやった!今だ!」
森山の指示に反射で足が動く。
一気に間合いを詰め、体重を乗せてゴブリンの山に槍を突き立てる。
嫌な手応え。
喉を貫く一撃は、ゴブリンを塵にするには十分だった。
次々と班員が戦果を挙げる。
あっという間に高梨のナイフが、最後の一体を塵に還した。
「大熊、よくやったな」
「はは、手が痺れましたよ。上手くいきました」
壁のようなその体躯は、まだまだ出来ると静かに語っていた。
*
少し進むと分かれ道だ。
十字路のように枝分かれしているようだ。
すると、不意に右奥が騒がしい。
人の怒声か?
大熊が黙って盾を構える。
走るような靴音が先から複数響く。
どんどん近づいてくる。
「――っちやがれ!」
「――まれ!」
すると、分かれ道をこちらへ曲がって走る影。
怒声と足音より先に姿を現したのは
白い何かをかぶった小柄な体躯だった。
こちら側に気づくと固まるように足を止めた。
背丈と体躯はゴブリン。
息を切らせている。
頭が……白い?
白い骨を被っている。
穴の位置が、目に合っている。
人間の頭の骨。
直耶の胃が、冷たく沈んだ。
「……なに、それ」
日向の声が、トーンを落とす。
その瞬間だった。
通路の奥から、足音と怒号が追いついた。
「いたぞぉ!!」
人間の声。
感情が鋭い。
曲がり角の向こうから、自分たちと同じ身なりをした
別班が雪崩れ込んでくる。
「はぁ!はぁ!てめぇそれ、どこで拾った!?誰を殺した!!」
返事代わりにゴブリンが踵を返し
叫んだ先頭の男にむけてナイフを振り上げ飛びかかる。
急な動きに組み付かれ尻もちをつくが
後ろの盾役が蹴り飛ばした。
そのまま怒りに任せるように首の骨を踏み折り殺す。
ゴブリンはそのまま人の頭蓋骨ごと、結晶を残して塵になった。
静かになった洞窟で、尻もちをついたまま
男が吐き捨てるように言う。
「……許せねぇ、ゴブリンって奴のやる事は
本当にゲームや漫画のまんまかよ⋯胸糞わりぃ」
わなわなと握る拳から怒りが伝わってくるようだ。
男に森山が声をかけた。
「そちら、D班か。気持ちは分かる。だが次は追うな。
今日はたまたま勝てただけだぞ」
男は一瞬だけ黙って、歯を食いしばる。
「……森山さんの班でしたか。先にいてくれて助かりました。
分かってます。分かってるけど……
あれを見て、冷静でいろって方が無理だ」
「⋯そうかもしれん。だが、それでもだ」
「⋯そう、でしたね。つい頭に血がのぼってしまいました。
よし、皆探索に戻るぞ」
その声を皮切りに、D班が隊列を組み直し
来た道を戻り始める。
そんな中、榊は淡々とメモを取っていた。
「人の頭蓋骨を兜代わりにするとは、悪趣味ですね。
先ほどのゴブリンの集団も同様のナイフを所持していました。
所有者と共に塵になるのは厄介です。
サンプルに回収すらできない」
三宅が低く言った。
「……トロフィーのつもりでしょうか」
「わかりませんが、そうかもしれませんね」
*
分かれ道を、D班とは別の方に曲がる。
少し進んだ時だった。
ぐぢゅり。
気づいた時には声が出ていた。
「来た!スライムだ!」
奥からも、ズルズルと音が続く。複数だ。
森山が低い声で叫ぶ。
「日向!」
「はい!」
日向が前に踊り出た。
大熊、森山、高梨と3名で日向を囲う。
もしものためだ。
日向がスライムに掌を向けると、鋭く炎が走った。
熱が空気を焼き、スライムに着弾すると一気に表面が泡立つ。
そのまま燃え尽きたようで、ころりと何かが転がった。
「マジか!あっさりじゃん!やっぱ魔法すげぇ!」
「さぁ!どんどんいくよ!」
日向の声に合わせて、何本もの炎が走り
あっという間にスライムは全て燃え尽きた。
残ったのは核らしきものや粘液。そして結晶。
着実に成果があがっていく。
「すっげぇ!無敵じゃん日向っち!」
「あはっ!まかしといてよ!」
笑顔が眩しい。
「ふぅ!つぎつぎ!」
「日向、落ち着け。一旦下がれ。
引き続き周囲警戒。先へ進むぞ」
*
「撤退するぞ!」
森山の声が響く。
そこには真っ青な顔でうずくまる日向がいた。
時間は少し遡る。
スライムを焼いた後、順調に探索を続けていた。
コボルトの集団をはじき返し。
行き止まりを戻り。
スライムの群れを再度焼き。
マッピングを続ける。
そして、ゴブリンを立て続けに塵に返した。
回収した素材が増え、皆の表情が明るい。
それに反比例するように、日向の口数は減っていた。
そして、三度目のスライムとの遭遇戦が終了した時。
日向は倒れた。
「全員、日向を中心に周囲警戒!
日向、どうした。大丈夫か?」
森山が日向へ声をかける。
「すみません⋯気分⋯悪くて⋯」
「わかった。榊、頼む」
「はい。では日向さん、まずは⋯」
テキパキと榊の問診が進む。
直耶は後ろの様子を気にしながらも、警戒に務めていた。
今やれることをやるしかない。
森山の声が響く。
「撤退するぞ!」
その指示に、三宅がマップを広げナビゲートを開始した。
帰り道は警戒しながら日向をカバーしつつの撤退。
だが、不思議と何事もなくエレベータホールに到着した。
「帰り道、マップと相違ありませんでした⋯」
「そうか、良いことだな」
三宅が不思議そうにつぶやくと、森山が返す。
当然のはずなのに、それを疑わなければならない。
何もなく帰れたことが、逆に気持ち悪かった。
いや、良くない。
何かで帳尻を合わせる必要はないはずだ。
そう直耶は考えながら、エレベーターで揺られる。
生きて戻った、という実感が遅れて湧いてきた。
*
日向はそのまま医療班へ引き渡された。
歩けているが、しんどそうだ。
だが、気丈に「またこの班で行きますから」と森山に告げながら。
地上の素材提出窓口は、昨日よりさらに忙しかった。
直耶たちの前に、別班が並んでいる。
透明ケースの中には焦げた布きれ、黒ずんだ爪、ゴブリンのだろうか?腕の骨と思われるもの。乾いた破片。
中には、指ほどの結晶も見えた。
「班名、採取地点、採取時刻を申告してください」
職員が淡々とラベルを貼っていく。
並んでいる別班の隊員の笑い声が響く。
その横で、また別の誰かが医療班に連れられていった。
直耶は思う。
潜ってるのは自分たちだけじゃない。
成果も、損耗も、回廊の中で毎日積み上がっていく。
社会がそれを飲み込み始めたから、今日も窓口が詰まる。
榊が袋を窓口に差し出した。
「第三探索。洞窟状通路。
コボルト、ゴブリン、スライム多数。
塵化確認。素材回収。スライムは魔法で塵化確認済み」
職員の眉がわずかに動いた。
「承知しました」
森山が直耶たちを見回す。
「よし、ブリーフィングは明日とする。
マッピング班、記録を清書して提出」
「了解です」
三宅が頷く。榊はもうメモを見直している。
*
大熊、高梨と三人で寮へ戻る帰り道。
雑談しながら直耶は思う。
回廊は優しくない。
けれど、人間はすぐに慣れる。
慣れて、笑って、次へ行く。
直耶は槍の感覚を思い出す。
槍は、ちゃんと効く相手がいる。
効かない相手には、日向がいる。
そして、次はどうするかを決めるのが、森山と榊で。
自分たちは同期で、同じ速度で少しずつ現場に馴染んでいく。
その現実が、妙に頼もしくも、怖くもあった。




